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喫茶室ルノアールのお茶をどうぞ! [カフェ]

都市型喫茶店として創業以来、早くからチェーン化を図り、喫茶店の直営店チェーンとしては業界の大手に成長した「喫茶室ルノアール」こと銀座ルノアール。駅前での展開が多いにもかかわらず、他のチェーン展開をしているコーヒーショップと比較してもゆったりとした座席配置となっている。


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とてもゆったりしていて大人の空間だ。なんかビジネスマンが寛げる空間というか、大人の空間なんですよね。


ルノアールは「名画に恥じない喫茶店」のコンセプト通り、まるで画廊に居るようなゆったりした静かな雰囲気があって、接客がていねいで居心地が良い。これは低価格喫茶チェーンにはないものだ。


もうチェーン店なので、どこの街でも存在する。


自分は新宿東口のアングラエリアにあった(いまは存在していなかった。)ルノアールと、渋谷の東急ハンズのそばにある2か所のルノアールを頻繁に愛用していた。


喫茶室ルノアールは、1品1品がすごい高いんですよね~。コーヒー1杯だけでもめちゃめちゃ取られた記憶があって、メニューを見てもどの品もみんな高いので、それ以来ルノアールは高い!というイメージが植え付けられた。


コロナ前の2018年当時のネットニュースであるが、「昭和の喫茶店」が廃れる一方で「ルノアール」が好調な理由というニュースがリリースされたようだ。



首都圏のビジネスパーソンがほっと一息つける都会のオアシス「喫茶室ルノアール」を経営する銀座ルノアールが、8年連続で過去最高の売上高を更新する見通しだ。


ルノアールのコーヒーは1杯600円前後と、喫茶店にしては割高だ。にもかかわらず、銀座ルノアールは2017年3月期まで緩やかに売上高が伸びている。08年に56億9300万円だったが、17年には76億4600万円と、過去10年で3割ほど増えている。


利益が出にくく継続するのが難しいとされる喫茶ビジネスで、喫茶室ルノアールが第一線であり続けられる理由はどこにあるのか?本当に不思議である。


大半の店でWi-Fiと無料で使える電源が整備されている。3時間で1000円くらいのネットカフェに比べれば、モバイルで仕事をする人にとってはコストパフォーマンスが良好。


仕事の合間に頭を整理したり、本を読んだりするために来店する常連客も多く、新聞も無料で読める。つまり、一種のサテライト・オフィス兼休憩所として気軽に使える便利さがある。


また、打ち合わせや商談によく使われることから、貸会議室を併設している店舗もあるほどだ。オフィスの延長線上で愛用されているのも、ルノアールの強みである。



この喫茶室ルノアールで昔からコアなファンの間で面白い都市伝説が存在する。


それはコーヒーを頼んだ後にやってくる無料のお茶をどうぞ!というサービスである。


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ドリンクがなくなりかけた時に店員さんが持ってきてくれる和風の湯呑みに入った温かいお茶。これはルノアールを訪れたことがある方にとっては、気になる存在で誰もが知っている伝説だ。


巷では、あまり長居を続けると、このお茶をどうぞ!というのはルノアールからの「あの~そろそろ・・・」という遠回しな意味合いなのだ、という噂が世間を風靡した。(笑)


自分もよく体験した。いままでそんなことは微塵にも思ってなかったのであるが、巷の噂でそういうことなのか!ということで驚いて笑ってしまった。



喫茶室ルノアールで出されるお茶。あのお茶は、「早く出ていけ」という意味なのか、それとも「どうぞゆっくりしていってください」という意味なのか…。


これはたしかに大問題である。(笑)これは結構世間で大々的に議論された問題でもあった。


巷では面白可笑しくしたいので、「あの~そろそろ・・・」で解釈する人が圧倒的多数を占めた。


でもそれでは風評被害的にもルノアール側も営業的に困るであろう。


実は、ルノアールは「花見煎餅」という煎餅屋さんの喫茶部門が独立して誕生したという経緯がある。そういった事情から、ルノアールが創業当初はメニューに日本茶と煎餅のセットがあったそうだ。


お茶を出す理由については、「ゆっくりおくつろぎください」という意味が込められているそうです。


喫茶店では長時間いると回転率が下がりそうなので、すぐに帰って欲しいと思うのは当然の心理だと思います。にも関わらず、むしろ長時間滞在することを促してくれるなんて、「都会のオアシス」をコンセプトに掲げるルノアールらしいサービスと言えるでしょう。


ちなみに、このルノアールのお茶は「帰って下さい」的な意味があるという都市伝説的な噂が流れたことがあるそう。実際は、そんな京都のお茶漬け的なメッセージ性(笑)は一切ないので、存分にゆっくり過ごしてよいそうです。


・・・ということだそうです。


そりゃそうですよね。(笑)そんな訳ないですよね。(^^)


世間のギャグ体質の解釈には困ったもんですよね。(笑)


自分もやっぱりそうなのか、と安心しました。


銀座ルノアールへのそういう誤解を封じるためにも、以下のルノアール社長 小宮山文男さんのインタビューを読むことをお薦めする。



トップインタビュー 明日を拓く「型」と「知恵」 - 喫茶店が持つ多彩な役割。「場所提供」で地域貢献も――株式会社銀座ルノアール 代表取締役社長 小宮山文男さん(下)



以下その部分を抜粋。


●「おくつろぎください」という気持ちが込められたお茶


都心の低価格セルフカフェでは効率性を重視して、お客の平均滞在時間が十数分という店もある。固い椅子の採用で回転率を上げようともする。ルノアールはこうした戦略とは逆で、座り心地のよい椅子を用意し、滞在時間の長さも気にしない。店内には新聞も置き、居心地を提供することでリピーターや常連客を多く獲得している。


昔から中高年男性に支持された店ゆえ、伝統的に喫煙客も多い。店ではタバコも販売しており、これは「手持ち分が切れた時にお客さまご自身で買いに行かれるよりも、すぐに提供できるサービスの一環」だという。


「最盛期はタバコ関連の売り上げだけで年間1億円を超えていました。現在は半分以下に減りましたが、それでも喫煙されるお客さまには喜ばれています」


時代とともに男女の気質の変化も感じている。


「男性喫煙客の多くは、ドリンクを飲んでからタバコを取り出します。逆に女性は、席についてすぐタバコに火をつける方も目立ちますね」


・・・・・


ついでにこっちも。


一番驚くのが接客。街中にあるカフェや喫茶店であれば当たり前のように回転率重視。飲んだら出ていって的な空気感があります。ルノアールは真逆。頼んだ飲み物が終わると「お茶はいかがですか?ごゆっくりどうぞ・・・」と言って熱いお茶を持ってきてくれます。


そしてしばらくすると「お茶の入れ替えです。ごゆっくりどうぞ・・・」と言って新しいお茶を持ってきます。追い返そうどころかいつまでも居てください的な感じなのです。その頃、相談ピーク時の週末には朝9時から夜9時くらいまで12時間近く居たこともあります。


顧客層も自然に絞り込みがされています。店内に明るいイメージはありません。来ている人は個別商談らしき人、一人でパソコンをパチパチ打って作業をしているような人ばかり。周囲がそんな人だからより入りやすくなります。店員も不必要に歩き回らないから面倒なことはありません。そんな雰囲気が店に来てほしい人を呼んでいる流れができています。


一番すごいと思うことは、こうしたことを全く宣伝していないこと。ここからは想像の域になりますが、基本姿勢を守り、地道にコツコツ実践し続けてきていることに徹しているように見えます。


普通だと「ゆっくりしていただくことを第一に考えたルノアール、決して追い返したりしません」といったキャッチコピーを作って売り出していきがち。そんなことは一切せず、ひたすら店としての姿勢を貫いている感じがします。


・・・こんな感じです。やはりあの都市伝説はイカサマだったんですね。(笑)



私がこの日記でこの風評被害をここで決着をつけるように、正すことにします。


でも、「あの~そろそろ・・・」のほうが世間的には面白いことは確かですね。(笑)









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新宿東口 [街歩き]

上京して社会人スタートした1987年からの7年間。小田急新百合ヶ丘の会社寮に居たとき、かならず休日の遊び場として徘徊していたのが、新宿東口エリアの界隈である。自分的には新宿というと、この東口エリア界隈のことを指す。


十数年ぶりに新宿中村屋の純印度式カリーを堪能して、建て直しリニューアルした新宿中村屋ビルと、新しいレストラン&カフェ マンナも経験することができた。


お腹がいっぱいになったところで、ひさしぶりに出てきた新宿東口エリア。ちょっと懐かしさのあまり散策してみようかな、と。あの頃からどんなところがガラ変しているか。。


新宿東口を歩いていると、やっぱり胸キュンとするよね。なんか人間として青かった(いまでも不完全人間ですが。。笑笑)若かった頃の自分をど真ん中に投影している街で、あの頃の想い出がいっぱい詰まっている。


東口エリアを歩いていて何をするか、なのであるが、北海道の田舎育ちの人間にとって、あの当時は、とにかく東京という街が新鮮で、いろいろ東京のことを知りたい。休みの日には寮の部屋でくすぶってないで、どんどん歩き回って東京を実感しよう!というのが自分の考えにあった。北海道の田舎もんにはすべてが新鮮であった。


自分の中には、東京=新宿(東口)という方程式が成り立っていた。


だからただ街中をぶらぶら歩いているだけなのである。街の様子とか、こんなところにこんな建物があるのか、そしてショッピングとか。そしてメインだったのは、やはり食べ物関係ですね。新宿東口でいろいろな食べ物屋さんを発見するのが楽しくて、いろいろ食べ歩きました。


だから今回のじつにひさしぶりの新宿東口散策でもどうしても食べ物中心の探し物になりました。また先日ご紹介した24時間サウナもよく利用した。伊勢丹の近くと歌舞伎町のいまの東急シアターの向かいにあった。花金のウィークエンドに24時間サウナで宿泊して、翌日は新宿三丁目にある西武新宿プリンスホテルのブッフェでモーニングをいただいて、そこから寮に帰るという日々の繰り返し。


人生、つねに新しいことにチャレンジ、習得するだけじゃ疲れるんじゃないでしょうか。自分のように長年人生やってくると、振り返りのほうがエネルギー消耗しなくて楽です。(笑)懐かしさを楽しむ、ということも人生必要なのではないでしょうか。気持ち的にもキュンとするものです。


自慢ではないですが、自分は新宿にはかなり土地勘があります。

自然と土地勘を養うぐらい新宿の街は歩き回った自負があります。


新宿東口といえば、やっぱりまずここである。スタジオALTA。一時代を一世風靡したタモリさんの「笑っていいとも!」のスタジオでした。自分の世代ど真ん中のロングセラー番組でした。


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自分はじっさい生放送のスタジオには行ったことはないけれど、あ~ここでやっているんだな~といつも思っていました。


いまスタジオALTAのビルの横には、こんな猫の3Dオブジェクトの試みがあるんですね。いま話題です。15分に1回の間隔で、猫が3D的に飛び出してくるんですよね。現場にいるとほんとうにそう感じます。新しい新宿東口の観光スポットですね。


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そして、なんといっても新宿東口と言ったら、この東口から新宿通りを眺めたこのシーンではないでしょうか。新宿東口を代表する風景だと思います。


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交差点の角にあるお店は変わっているかもしれないけど、ビッグカメラは昔からありますね。いまは白い壁で覆われて、デパートみたいな趣になってますけど、昔はここは出店というか外にどんどん商品を展示していて、そこに売り子さんがいっぱいいて、お客さんがその外の売り場にたむろっている、というそういう風景でした。


そして新宿通り。ここは新宿東口の自分のメインストリートですね。


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この通りには小さなカジュアルな洋服売り場があって(いまはもちろんありませんが。)、自分はかなりの頻度で買っていました。あの頃は洋服にお金をかけていました。



紀伊国屋書店。

まさに新宿東口といえば、紀伊国屋書店ともいうべき絶対的存在でした。この本屋さんもよく入りました。


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新宿東口は、この新宿通りのメインストリートから1本駅側に入ったところのエリアがかなりマニアックで自分は愛好していました。ちょうど新宿通りから、新宿南口の甲州街道に行くまでの間に存在しているエリアで、なんかアングラな雰囲気でいいのです。このアングラエリアは飲食店関係が充実していて名店が多いですね。なんか食べ物関係などかなり自分に所縁のあるお店がいっぱいあります。とくにこのエリアにある喫茶店はよく通っていました。喫茶店通いが趣味みたいなところもありましたので。


このアングラエリアに行くのに、いまこういうゲートができているんですね。驚くと同時に笑ってしまいました。(笑)


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アングラエリア


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この新宿ライオン会館も昔からありますね。


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ここで、ステーキのレアを頼んだことがありましたが、もう中身が冷え冷えの生肉という感じで、美味しくないな~と思い、それ以来ステーキはミディアムにすることにしています。レアは頼まなくなりました。それがここの新宿ライオン会館で学んだことです。




アングラエリアに昔から存在する天ぷらの名店「つな八」。ここはまさに老舗で天ぷらとしては名店中の名店です。お値段もすごく高いです。そしていつも劇混みです。予約しないと長時間待たされます。


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昔、北海道の友人のおもてなしに、この新宿つな八を利用したことがあって、天ぷら定食を堪能しましたが、なんか高い、劇混みの割にはあっけない瞬殺だな~と思ったことを覚えています。



そして、これも日記で紹介しましたが、名曲喫茶「らんぶる」。


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ここはお話した通り、自分の新宿におけるたまり場みたいなところでした。ここで長時間時間潰しているみたいな。店内はクラシック音楽が静かに流れていて、店内の内装がとてもクラシックで素敵です。かなりハマりました。名曲喫茶というのは、こういう喫茶店のことを言うんだな、と最初に知ったのが、この新宿の名曲喫茶「らんぶる」でした。



アングラエリアでは、いまはこの場所に新宿東口横丁というのができていますね。(笑)これは驚きですね。もちろん昔は存在していなかったです。


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昔このビルには喫茶室ルノアールが入っていました。よく使っていましたが、喫茶室ルノアールは基本高いんですよね。コーヒー1杯だけでもすごく高い。そして長時間居続けると、天下のお茶をどうぞ!がやってくるし。(笑)いまは喫茶室ルノアールはもうありませんね。かわりに椿屋珈琲というのが入っていますね。自分はまだ椿屋珈琲は1回も入ったことがないです。1度は入ってみたいです。



アングラエリアには、もうひとつじつにクラシックでこれぞ、純喫茶!カフェではなく喫茶店。という名店があります。


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それがここの珈琲タイムスです。ここはかなりクラシックで素晴らしいですよ。まさに純喫茶のお手本のような喫茶店です。けっしてカフェではないです、あくまで喫茶店です。当時からあまりに老舗なのでいつ潰れてもおかしくなかったですが、まだ存在していたとは驚きでした。(笑)ここは自分は愛好者でした。


自分は喫茶店愛好者なので、こうしてみると、この新宿東口、とくにアングラエリアは、喫茶店の名店が多いことがわかります。



当時は、名曲喫茶「らんぶる」の隣、近くにあったディスク・ユニオン。移転したことは知っていましたが、こんなところに移転していたとは!今回初めて知りました。


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当時、珍しいCDをここで漁って夢中になっていました。いまでは貴重な音源探しという行為ですが、これからは、そういう行為自体も少なくなりそうですね。ひさしぶりに中を覗いてみたら、やはりアナログ中心になっていました。やはり漁るという行為はアナログですかね。


あと、アングラエリアでは、落語の寄席をする芝居劇場というかそういう建物があったように記憶しています。毎回大相撲の旗みたいに、その寄席のやる落語家の掛看板みたいなものが壮麗に並んでいた建物がありました。いま行ってみるとなくなっていますね。いつか入ってみたいと思っていたのですが。



このアングラエリアを突き抜けていくと、新宿南口、甲州街道にぶち当たります。

その甲州街道沿いにあるうなぎ屋さん。「登亭」

正直、店の名前は憶えていませんでした。たしかここに、よく通っていたうなぎ屋さんあったな。それもお店全体が黄色だった。いまここに再会して、お店の名前を思い出しました。でも全然覚えていませんでした。


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懐かしすぎる~。(笑)

まだ潰れずに存在していたとは!自分の時代からずっと生きながらえているうなぎ屋さんです。ここでよく、うな重、鰻の蒲焼定食食べました。ここはとても美味しかったです。値段も当時は控えめでしたね。


いますごい鰻の値段が高騰しているではないですか?そのときに自分が頭の中に思い出したのは、新宿のあそこのうなぎ屋さんも高くなっているのかな?と思ったことです。それくらい自分にとって、うなぎ屋=新宿のうなぎ屋「登亭」というイメージがはびこっていた。。。それくらい通っていたお店です。


ここから、また新宿通りのほうに向かいます。



伊勢丹。


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まさに新宿に昔からある老舗百貨店。中に入ったことは数回しかありませんが、まさに伝統の百貨店です。外観に威厳があります。


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丸井〇I〇Iも昔からありますね。でも丸井と言えば、自分としてはやはり渋谷のほうがメジャーだと思います。自分は渋谷のほうの丸井をよく使っていました。



新宿通りをすこし東口に向かって歩くと、ビッグカメラが見えますね。


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これは自分の時代にはなかったものですね。こんな大きな変貌があったんですね。ビッグカメラは東口付近のほうは昔からありました。




新宿通りを東口沿いに歩いていくと、そこから枝道に入っていくと、カレー「ガンジー」があります。


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ここはカレーの隠れた名店で、欧風のカレーを堪能できます。いまネットで調べると、ここは欧風カレーということになっているのですが、自分の記憶ではもっとユニークなちょっと普通では味わえないような特殊なカレーだった記憶があるのですが。だからこそ、こんな枝道の入ったところの目立たないお店なんだけど、宝物を見つけたみたいな、そんなお店でした。


なんのカレーだったか、覚えていないです。欧風カレーってあまりに普通っぽくて。そんなのに自分が興味を示して通うかな~と思うのですが。5回くらい通い詰めました。



また新宿通りに戻って、今度は紀伊国屋書店から歌舞伎町方面に向かう枝道に入ります。ここもいろいろ怪しげなアングラな飲食店がいっぱいあります。自分はアングラな雰囲気が好きなんですね。(笑)




うなぎの「こばやし」。


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ここは新宿に昔からある老舗の名店で、新宿ではかなり有名なうなぎ屋さんです。自分は2、3回入ったことありますが、まさに暗くて狭くて、いまに潰れそうな伝統ある老舗なのですが、年老いたお婆さんが切り盛りをしていて(当時はワンオペでした。)うな重、うなぎの蒲焼定食を食べたことあります。美味しかったです。お値段は高かったような。



その隣には・・・


出た~~~。桂花ラーメン。(笑)


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東京で革命を起こした本場熊本ラーメン、桂花ラーメン。

社会人スタートの頃、アムスの同期友人に教えてもらったのが最初に知るキッカケ。

この桂花ラーメンがウマいんだよ、ということで。その最初に教えてもらって入ったのが、この新宿東口エリアにあるこのお店だったです。


アムス友人といっしょに入って食べたこともありますし、自分1人で入ったことも何回もある。熊本ラーメンらしい豚骨ベースのこってりしたラーメンで、これはこれで美味しいな、と思いました。


でも、いまや熊本県、福岡県、新宿、渋谷、池袋で店舗を構える桂花ラーメンだが、自分が桂花ラーメンを食べるために入ったお店はこの新宿東口店しか経験がないのです。他店舗は入ったことない。


だから自分にとって、桂花ラーメンといえば、ジャストでこのお店のことを言います。見ての通り、店内は超狭いです。(笑)


よく調べていないが、入社時期だった1987年だから、おそらく桂花ラーメンも東京に進出したばかりではなかったのかな?その第一号店がこの東口の店舗じゃなかったのかな?



沖縄料理ってどんなものなのかな?初めて食べてみたいと思って、沖縄料理食べさせてくれるお店をいろいろ探して入ったのが、この「沖縄食堂 やんばる」。沖縄料理店をいろいろネットで調べたのですが、やはり自分は新宿にすごい土地勘があるので、アクセスに有利な新宿のお店にした、ということです。さっきのうなぎ屋「こばやし」や桂花ラーメンの斜め向かいにあります。


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もうだいぶ前の昔のことなので、どんな沖縄料理のメニューを食べたか覚えていませんが、これが沖縄料理か~という感じで楽しみました。




つい最近見つけた金沢カレー「ゴーゴーカレー」の新宿歌舞伎町店。

新宿通りから歌舞伎町に向かう途中にあります。


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ここは地下にあって、かなり狭いアングラ色いっぱいですが、金沢カレー、あの独特のテイストを十二分に楽しめて美味しいです。金沢カレーには、ゴーゴーカレーとチャンピオンカレーの二大勢力があるのですが、東京ではチャンピオンカレーを経験することは難しく、もっぱらこちらのゴーゴーカレーになると思います。



まっあまり長時間は歩けないので、こんな感じでしょうか。

やっぱり自分の想い出に残っているのは食べ物関係が多いですね。(笑)新宿東口といえば、自分の頭の中にずっと記憶として残っているのは、やはり食べ物関係と喫茶店関係なんですね。


以前紹介しました高層ビルの新宿西口、そしてダイナミックオーディオ、そしてこの新宿東口というのが、自分の青春時代を謳歌した場所でした。


ひさしぶりにその想い出の場所をいろいろ巡って楽しかったです。こんなに変わっていたのか、と驚いたところもありますが、総じてあまり変わっていないという印象のほうが大きかったです。












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新宿中村屋 [グルメ]

小田急新百合ヶ丘に会社寮があったときは、そのまま小田急に乗って、新宿まで出ることが多かった。通勤では、下北沢で井の頭線に乗り換えて、そのまま渋谷まででて、そこから山手線で品川、大崎、五反田である。でも休日は、やはり小田急でそのまま新宿に出ることが圧倒的だった。


新宿は、自分の遊びのスポットであった。

新宿にはじつに濃厚な想い出がある。

渋谷じゃないんだよね。あの頃は新宿だった。


以前お話したと思うのだけど、新宿のどこで遊ぶというかぶらぶら歩くか、というと2通りある。新宿西口と新宿東口である。


新宿西口はいぜん紹介したと思う。

高層ビルがそびえ立っているエリアである。


ここには、夜、よく彼女とのデートスポットであった。夜の高層ビルエリアは、都会的なセンス、雰囲気が漂っていて、じつに格好よかった。


で、ふだん土日の休日はどこで遊ぶかというと新宿東口のエリアだった。自分にとって、新宿と言ったら、もうそのまま新宿東口のエリアのことと言っていい。新宿というと、すぐにあの東口エリア界隈のことを思い出すほど、愛着がある。隅々までよく歩いていてよく知っていたな~。


大人になってから、新宿や渋谷には行かなくなった。新宿、渋谷は若者の街ですね。あの人混み、雑多な広告看板、あのごちゃっとした感覚。もう大人にはキツ過ぎる。


やはりいまは赤坂とか大人の高級な街のほうがいいです。


新宿東口は、あの紀伊国屋書店がある新宿通りがいちばん想い出が多い。新宿と言ったら、まずあの新宿通りのあの風景のことを思い出してしまう。そして新宿通りからさらに1本中に入ったりすると、またいろいろなエリアが広がっていて面白かった。歌舞伎町は含まない。歌舞伎町もよく歩いたけど、あそこはご存じのように猥雑な感じで、あまり好きではなかった。でも歩いてよく知っています。(笑)


そんな中で、紀伊国屋書店のある新宿通りにある”新宿中村屋”というカレー店に超ひさしぶりに行ってみたいと思った。新宿といえば、新宿中村屋というくらいカレーが有名なところで、ここはよく立ち寄って食べていた。あの店内の様子は、いまだに克明に頭の中に刻み込まれていて忘れられない。カレーと言ってもふつうのカレーではなく、カレーの元祖、インドのカレーを食べさせてくれるお店ということで有名であった。


自分にとって、新宿といえば、あの新宿中村屋でカレーを食べているシーンを絶対思い出してしまう。それだけ頻繁であった。


ひさしぶりにどうなっているかな~。新宿中村屋のインドカレーってどんなカレーだったっけ?どんな味だったっけ?


カレー大好き少年である自分は、急に食べたくなり、超久しぶりに新宿中村屋行ってみよう、ということになった。



新宿中村屋は、紀伊国屋書店の斜め向かい側にあったはず。


たしか、ここだったよな~。


ところが自分のイメージにあった新宿中村屋がない。そのかわり、新しいビルで、新宿中村屋というビルそのものが存在していた。


新宿中村屋本店から、新宿中村屋ビルへ。


あれ~~~。建て直したのか~。リニューアルしたのか~~。

そりゃそうだよな。あれからすごい年月が経つ。


ネットで調べてみると、老朽化を原因に旧新宿中村屋本店は閉業になっていた。2011年の頃だ。新宿中村屋本店は、ビル老朽化に伴い建て替え工事を行うため、2011年の10月19日の営業で休業に入る、とある。再開は2014年だ。ということは、自分は新宿中村屋にもう12年以上も行ってなかったんですね。(笑)ご無沙汰しておりました。


ネットで自分がお世話になっていた頃の新宿中村屋の写真を探してみた。


ありました!!!そうです。ここです!まさしくこの建物です。

懐かしいな~。店内の様子もよく覚えていますよ。


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2011年の閉店の最後のときは、ファンが集まって大変な賑わいだったそう。


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そして、自分が今回行ったときに、あらたにお目見えしていた新しい新宿中村屋は、こんな感じでした。もうビルそのものが新宿中村屋ビルでした。


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最新鋭のカッコいいビルで、各フロアにいろいろな新宿中村屋のいろいろモールが存在している感じですね。


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ここで長年に渡って、新宿中村屋に対して大きな誤解をしていたこと気づく。というか、新宿中村屋に対してきちんとした知識、理解がなかった。単にインドカリーのお店としか認識がなかったのだけれど、ビジネスの本流はそこではなかった。今回日記を書くにつれて、新宿中村屋について調べてみたところ、ようやく真の姿を理解できた。長年に渡って誤解をしていたようだ。すみません。



1901(明治34)年にパン店として本郷に創業した新宿中村屋。1909(明治42)年に現在の新宿に移転し、クリームパンの考案や、中華まんじゅう、月餅、水ようかんの缶詰など、独創的な商品を世に送り出してきた。中でも、日本に亡命し同店がかくまったインドの独立運動家が、1927年(昭和2)年に作った「純印度式カリー」は多くの文化人・著名人にも愛され、現在も同店の看板メニューとして人気を博す。



新宿中村屋は、明治34年創業の老舗食品メーカー。現在は全国の駅ビルや百貨店などの直営店で、お菓子などを中心に販売している。


NHKの朝ドラ「なつぞら」に登場した川村屋は、新宿中村屋がモデルなのではないかと話題になったのを覚えている方もいるのでは?また2020年6月には、アド街ック天国の「東京でカレーのおいしい街ランキング」内で新宿は第2位となり、その中で新宿中村屋が取り上げられた。


●新宿中村屋の歴史


新宿中村屋のはじまりは、東大の正門前で営業していた「中村屋パン」というパン屋さんであった。創業者は相馬愛蔵・黒光夫妻。菓子パンの定番「クリームパン」は、新宿中村屋の創業者夫妻が、シュークリームをヒントに編み出したものなのだそう。


クリームパンの生みの親だったとは驚きですね。


独創的なパンを次々考案する中村屋パンの売り上げは好調であった。しかし当時売上高を少なく申告することは商売人の常識だったなか、正直な2人は売上高をごまかすことなく伝えていたため、莫大な税金に苦しめられることに。


そこでさらなる売り上げアップを目指し支店を出すことにした。白羽の矢が立ったのが、現在の新宿あたりだったといいます。その当時新宿付近はみすぼらしい街でしたが、愛蔵は将来性があると感じたのだそう。現在の新宿の様子を見ると、その目論見は当たっていたことになりますね。


新宿中村屋が新宿に支店をオープンさせたのが明治40年。かなりの売り上げを達成し、新宿支店は現在の新宿中村屋の場所へと移転しました。この移転がきっかけで、新宿中村屋は和菓子の販売に乗り出すことになったのです。


お客様に選ばれる和菓子を作るため、手始めに上質なもち米を使用した賃餅をリーズナブルな価格で販売。これによりもともとの中村屋のお客様に「中村屋の和菓子は上質だ」と印象付けることに成功し、和菓子の販売はうまくいきました。


新宿中村屋が洋菓子を手がけるようになったのは大正9年。次の年にはロシアパンの製造も手がけるようになりました。このころの日本は食文化が様変わりし、洋食屋洋菓子が広がりつつあったのです。


新宿中村屋は大正12年、さらに業績を伸ばし株式会社となりました。この頃から新宿も大きく様変わりし、百貨店や大型店が次々進出するように。客足はこういった大型店にとられ、小売業者は打撃を受けたと言います。


こうした状況を打破するため、純喫茶のオープン、営業時間の延長、腕のある技術者をやとうなど新宿中村屋は新たな策を次々打ち出しました。昭和2年には現在でも新宿中村屋を代表する商品「純印度式カリー」「月餅」「中華まん」を開発。こうした策が功を奏し、新宿中村屋はさらに売り上げを伸ばすことに成功したのです。


昭和23年、ビルを直して営業再開にこぎつけ、その後従業員たちの奮闘もあり、新宿中村屋は復活を遂げました。どんどん業績を伸ばす新宿中村屋は、徐々に全国に販路を広げていきました。


大阪で開かれた万国博覧会への出店を機に、新宿中村屋の知名度はさらに上昇。創業者夫妻をモチーフとしたテレビドラマや小説もできるほど注目度は大きかったそうです。


●純インド式カリー(純印度式カリー)誕生秘話


新宿中村屋が「純インド式カリー」を生み出したのは1927年のこと。新宿中村屋本店のキャッチフレーズ「恋と革命の味」が生まれたのもこれがきっかけだったと言います。純インド式カリーの販売が始まった6月21日は、恋と革命のインドカリーの日としているのだそう。遊び心があって素敵ですね。


現在ではどこでも食べられるインド式カリーですが、その当時まだ日本ではかなり珍しかったそうです。ではなぜ新宿中村屋で、純インド式カリーの販売に至ったのでしょうか?


それは創業者夫妻の娘がインドの独立運動家であるラス・ビハリ・ボース氏と結婚したことがきっかけだったのだそう。愛蔵氏も本物を提供することにこだわりました。しかしその当時、なかなか納得のいく食材が手に入らなかったといいます。そこで愛蔵氏は自社の養鶏場や牧場を作り、自分たちの手で納得のいく食材を揃えたのだそうです。こうした努力が実り、純インド式カリーは現在でも愛される新宿中村屋の代表メニューとなったのです。



当時日本に広まっていたのは小麦粉を使った欧風タイプのカレーです。ところが、ボースが作ったのは本場インドのカリー。お米はインディカ米を使用し、スパイスの強烈な香りが漂います。またお肉も日本人が見慣れない骨付きのゴロっとした大きな鶏肉。その異国の料理に日本人は初め戸惑いを隠せませんでした。そこで相馬夫妻はお米をインディカ米のようにソースが浸透し、なおかつジャポニカ米のようにモチモチ感がある白目米にします。しばらくするとお客さまが骨付き肉やスパイスの香りにも慣れ、次第に売り上げが伸びていくようになりました。当時、町の洋食屋のカレーが10銭から12銭程度でしたが、中村屋のカリーは80銭。それにも関わらず飛ぶように売れたそうです。


こうして、純印度式カリーは中村屋の名物料理になりました。そこにはボースの、相馬家との出会いと、祖国に対する愛情があったのです。



情報引用元


長く親しまれる老舗「新宿中村屋」の愛される秘密を大公開(スイーツビレッジ)



そうだったのか~~~。いまようやく知るその真実。新宿中村屋というのはもともとはお菓子屋さんだったんですね。クリームパンの発明、中華まんじゅう、月餅、水ようかんの缶詰・・・もともとはお菓子屋さんなのです。


新宿中村屋は、和菓子、洋菓子、菓子パン、中華まん、レトルト・缶詰のカレーなどを製造販売しているほか、いわゆるデパ地下やショッピングセンターなどで菓子店と(直営店15店)、レストラン(直営店10店)を営業している。また、関東で販売される中華まんのシェアトップを占めており、コンビニエンスストア向け業務用食品にも商品を持つ。2019年(平成31年)3月期の売上比率は、菓子事業76%、食品事業22.5%、賃貸事業1.5%である。


・・・との正式紹介文です。


新宿中村屋の原点ってここだったんですね。しかもお菓子類にしても日本では発明者、パイオニア的存在だったのです。しかも明治からとか、大正からとかハンパではないくらいのパイオニア的存在。


インド式カリーは、あくまでついでだったんですね。(笑)

でも純インド式カリー(純印度式カリー)は、サブビジネスであるにも関わらず、新宿中村屋の代表メニューにまでなってしまったのです。


自分の昔の記憶にある新宿中村屋本店の店内を思い出してみました。確かに店内は、レストランというよりは、喫茶店という趣で、ガラス張りで外の通りから中の喫茶コーナーが丸見えで、外を歩いているとあ~こんなところに素敵なカフェが!と思ってしまうのです。それだけ目立っていました。コーヒー、紅茶、ケーキなどの軽食もメニューに豊富だったです。というか、喫茶メニューのほうがメインメニューの扱いでした。そのメニューの中に、サブとして純インド式カリー(純印度式カリー)があったのです。


そういえばだんだん思い出してきました。自分は当時新宿中村屋をインドカリーを食べるだけではなく、単に新宿東口エリアを歩いていて疲れたから、ちょっとひと休み、というカフェ的な感じで利用していたのでした。間違いない。だからふつうにアイスコーヒーとケーキだけとかそういう場合も多かったです。物販コーナーの中に、ちょっと無理やりスペースをこしらえた喫茶店という感じで、自分はほんとうによく利用していたのです。


ショーウインドウでの物販コーナーもありました。それが新宿中村屋のお菓子類だったんですね。


ようやくほどけかかっていた記憶の糸がむずびあってきました。


でも人生の長年に渡って、純インド式カリー、インド式カリーの元祖を食べたいのなら、新宿中村屋・・・とずっと頭に中に刻まれていたのです。そういうイメージのほうが圧倒的でした。店内が単なる喫茶店の装いというのは、この日記を書くときに、頭の中にだんだんと蘇ってきました。



大正末、百貨店の新宿進出に中村屋は少なからず脅威を感じていました。また、お客さまから「買い物の時一休みできる場所を設けてほしい」とのご要望を以前からいただいていました。そこで創業者相馬愛蔵は喫茶の開設を検討。しかし喫茶のようなていねいなお客扱いは容易にはできないだろうと尻込みしてしまいます。ボースは祖国インドの味を伝えるため、「喫茶部を作るならインドカリーをメニューに加えよう」と提案しました。そして1927(昭和2)年6月12日、喫茶部(レストラン)を開設。同時に、純印度式カリーが発売されました。


・・・とのことですから、自分の利用理由とまったく同じですね。新宿東口エリアのあの新宿通りで、買い物ついでにひと休みしたいとかならず思うので、そういうときに、あそこの新宿中村屋本店の喫茶店はすごくいい場所にあって、ものすごく目立つので、ついついスルスルと入ってしまうものなのです。





新しく新宿中村屋ビルというビルそのものが新宿中村屋になって現在。B1FとB2Fに自分が目指すお店がありました。


B1Fには、ボンナというスイーツ&デリカ専門のショップがありました。

ちょっと覗いてみることに。


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自分はこの日の取材当時は、新宿中村屋はインドカリーのお店という徹底的な思い込みがあったので、なんでスイーツなんて手広くビジネスを拡げているのだろう、と不思議でした。儲かっているんだな、というレベルで。


インドカリーのレトルトはもちろんスパイス系や調味料、そしてスイーツ、なんとワインも揃えている感じで、女性に人気が出そうなスポットだなと思いました。なかなか素敵でしょう?


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そして自分の本命。純インド式カリー(純印度式カリー)を食べるために、今度はB2Fのマンナというレストラン&カフェに入ります。


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ここはレストラン&カフェという広い括りなので、純インド式カリーだけじゃないです。いろいろな料理が食べれると思います。ちょっとこの日は他のメニューは確認しませんでしたけど。。。麻婆豆腐やボルシチ、中華料理など、国際色豊かな名物メニューがたくさんあるようです。


自分が在りし日の新宿中村屋本店のことを思い出すと、お菓子ショップのところに無理やりスペースをこじ開けて、喫茶店を無理やり作って、そこで、喫茶メニューのほかに、サブとして純インド式カリーを提供していた時代を思い起こしますと、いま現在はこんなゴージャスな店内。ものすごい進化としか言いようがないです。


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自分はもちろん迷うことなく、純インド式カリー(純印度式カリー)をオーダーします。


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ご飯を白目米にしました。幻の米”白目米”です。


白目米は江戸時代、美食家や一流料亭、徳川家などが好んで食していた最高級米です。昭和13年頃までにインドカリーに用いておりましたが、作付け量の少ない白目米は栽培されなくなり、幻の米となったのです。中村屋では平成8年にインドカリー誕生70周年を記念し幻の米となっていた白目米を、総料理長の二宮が2年間かけ、半世紀ぶりに復活させ、農林水産大賞も受容しました。幻の米”白目米”の特徴としては、小粒でべとつかず、カリーソースをかけると平均して浸透し、一粒一粒によく絡まり、インドカリーの味を引き立てるお米だそうです。


新宿中村屋では、期間限定で白目米をサービスしていましたので、そりゃ大変!いまのうちに味わったみなければ!と思い、白目米にしました。


純インド式カリー(純印度式カリー)。もう何年ぶり?ざっと軽くみても10年以上ぶり?


やっぱり元祖のインドカリー。よこすか海軍カレーもそうだったけど、初めて日本に来日したカレーの味と言うのは、得てして現代人好みのコクのある濃いカレーか、というとそうでもないんですよね。元祖のカレーというのは意外にさっぱりしていて、かなり淡白な味で、いかにも昔のカレーという感じです。


ぜんぜん辛くない。まったく辛くない。なんかでんぷん多めのいかにもカレーを一般人が食し始めたときに出回ったカレーらしい素朴であっさりしたカレーでございました。これはやはり昔のカレーだよな~という感じがしました。


甘みがあるかな。超高級米の白目米と合わせると、これはこれは、大層高級な上品なカレーでございました。非常に淡白ではありますが。骨付きの鶏肉が美味しいですね。現代普及しているカレーとはまったく別次元のひと味もふた味も違う純印度式カリー。現代のカレーとは同じ土俵上、ものさしでは語れない独特の美味しさがありました。非常に美味しいカレーだと思います。まさに日本で最初にインドのカレーを紹介した新宿中村屋のカレーはぜひ食べておかないといけないカレーだと思います。




10年以上前、いやそれより遥かに若かった社会人スタートの青春時代に、新宿の街を遊びのエリアとして活動していた時代。新宿通りを歩いているときに、ちょっとひと休みしたいと思うときに、とても目立つ休憩場所だった新宿中村屋の喫茶コーナー。そこで何回も食べた純印度式カリー。こんな味だったかな~とちょっと思い出せない感じではありました。でもこういう味だったんでしょう。メニューに登場して以来味は変わってないと思います。



素人の自分の味覚がいかにあてにならないか(笑)、は以下の「新宿中村屋」料理長の石崎厳さんの純印度式カリーの秘訣のコメントであきらかである。いかに純印度式カリーが手の込んだ高級料理のカリーなのかが分かる、というものだ。


それを紹介して終わりとしよう。


――カリーの素材は、それぞれどんなこだわりがありますか


石崎:「まずはタマネギ。兵庫県淡路島・丹後地方で栽培された肉厚な大玉のタマネギを、1人前1個(約300g)ほど使用し、バターでアメ色になるまで炒めます。次に加えるのは、骨付きの鶏。お客様から『どこの部位を使っているの?』と聞かれることも多いのですが、もも肉もむね肉も、1羽丸ごと使っています。誕生当時から鶏肉の質にはとくにこだわり、一時期は自社で養鶏場も持っていたほど。現在は、飼料や飼育日数、環境などまで指定した契約農家から仕入れています。それから、小麦粉を使わずにとろみを出すために重要なのが、自家製のヨーグルトとゼラチン質が豊富な鶏からとったブイヨン。カリーに自然なとろみとコクを与えてくれます」



――スパイスにも、おいしさの秘密がありそうです。


石崎:「使用するスパイスは計20数種類で、2回に分けて加えます。1回目は、肉を炒めるとき。挽き方や配合の異なる2種類のカリー粉をブレンドして加えるのですが、このうち1種類は、発売当時からボース氏より受け継いできたカリー粉を使っています。2回目は、煮込み終わった後に、液体状の“煎じマサラ”を加えます。煎じマサラは、当時ボース氏が黒っぽい液体を加えていた、という見聞をもとに、のちのシェフが考案したもの。6~7種類のスパイスを1時間ほどかけて抽出しています。これを仕上げに加えることで、スパイスの香りがさらに引き立ちます」


石崎:「『新宿中村屋』では、カリーを長時間煮込んだり、一晩寝かせたりすることはしません。煮込みすぎると鶏肉がかたくなってしまいますし、スパイスの香りも飛んでしまうので、完成したカリーはその日のうちに提供します。お客様に一番いい状態で召し上がっていただくために、一度に作るのではなく、毎日100~150人分を数回に分けて仕込んでいます。それから、提供温度もしっかりと管理しています。ソースポットとお皿は事前に温めておき、カリーとライスも温度管理してお出しします」



――豊富な薬味がつくのも特徴的ですね。


石崎:「発売当時の写真を見ると、薬味はそこまでついていませんが、戦前からチャツネは添えられていたようです。現在は、キュウリの酢漬け「アグレッツィ」と、らっきょうとオニオンチャツネ、マンゴーチャツネ、レモンチャツネ、粉チーズを添えています。薬味の使い方は人それぞれで、お皿の縁に全種類並べて少しずつかける人もいますし、最初から全部のせて混ぜて食べる人もいます。段階的にいろいろな味が楽しめるのも、お客様に喜ばれています」




――伝統の味を守り抜くには、どんな苦労がありましたか?


石崎:「カリーのスパイスは、最初はインドから取り寄せていたようですが、戦中、戦後は手に入らない時代もあったようです。その時には、ボース氏とともに日本でインド独立運動をしていた友人が、『新宿中村屋』のためにカレー粉をブレンドして持ってきてくれたそうです」



石崎:「また、長い歴史のなかでは、手に入らなくなってしまった素材もあり、時代に応じてどう素材を選び、味を伝えていくかが大切だと感じています。『新宿中村屋』の味は、支えてくれる農家さんや業者さんがあってこそ守られているもの。たとえば付け合わせの「アグレッツィ」に使っている小さなキュウリは、たった1日収穫が遅れただけで大きくなってしまうため朝晩2回収穫する必要があり、作ってくれる農家さんが減少しています。また、創業当初インディカ米に代わって採用した「白目米」も、収量が少ないため戦後は幻の米として手に入らなくなってしまいました。インドカリー発売70周年の際に、もう一度お客様に食べていただきたいと栽培をスタートし、1998(平成10)年からは限定的にですがお客様にご提供できるようになりました」








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