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屏風絵を探せ!安土城再建への道 [城]

自分はお城が大好きなんだけど、専門的に詳しいかというとそうでもなく、なんちゃって城マニアに分類されると思うのだが、いつか日本の名城を訪ねつつ日本各地を行脚したい、という夢は持っている。(城郭考古学者 千田嘉博先生の”日本最強不滅の城ライブ”のノンノン版を実践したいのである。(笑))


もう何回も日記で紹介していると思うが、自分にとって1番のお城は、やはり織田信長の安土城である。お城好きの自分の原点のようなお城である。


すべてにおいて革新的な発想の持ち主だった信長による戦うためのお城というよりは魅せるためのお城という意味合いが多かったお城である。


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子供の頃にNHK大河ドラマでCGで再現された安土城の天主を見たのがきっかけで、そのなんとも奇異な意匠に衝撃を受けた。ふつうの伝統的な日本のお城の天守らしくないのだ。いっぺんにその姿に魅かれてしまった。


自分は、もう子供のころから本当に日本史が大好きで(日本史の授業が大好きで大好きで、その時代の人の暮らしを頭の中で想像するのがなによりも楽しかった。)、お城にも心惹かれていたのだが、いわゆる日本の名城と言われるお城の外観と比較して、安土城は、あまりに個性的で、非常に奇異な印象なのだ。


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どこか唐風というか南蛮風というか異国情緒なエキゾティックな感じがして、それが和様と混ざったようなまさに独創的。格好いいのである。


やっぱり信長らしいお城だと思ってしまう。


安土城が、日本の他の名城の外観と比較して、あまりにその外観が奇異と感じるのは、ずばり5階の朱色(赤)の八角形の円堂の外観のところなのだと自分は確信している。


城全体の外観のバランスを観たとき、この赤い八角円堂の部分が、思いっきりインパクトが強くて、我々への印象度を強くしているのである。


安土城は本当に格好いいです。


信長以降、名城がいろいろ建築されていくが、安土城はいろいろな面において、その先駆けとなったお城なのである。〇〇の元祖、オリジナルは安土城だった、という要素はすごく多いのである。そういう意味でも安土城は城のパイオニア的存在だったのだ。


でもこの安土城の天主の姿は、あくまで想像図でしかないのだ。1885年から2005年に至る120年間の間、7人の学者によって、その復元案というのが示された。


天主の復元案として、1994年、内藤昌による復元案が有名である。自分も子供の頃から内藤案で安土城をずっとイメージしてきた。


そこでやはり歴史のミステリーである。信長時代の本当の安土城天主はほんとうにこのようなデザインだったのか?それは自分のみならず、歴史ファンだったら、誰もがそのミステリーを知りたいと思っている。


安土城は1576年築城、1582年に焼失。

わずか6年程度で失われてしまったのである。


安土城は築城から消失までの期間が6年くらいしかないから資料が全然ないのだ。


つまり安土城天主の姿を記録した書類がどこにもなく、その本物の天主を見た人はだれもいないのである。



織田信長に仕えた旧臣、太田牛一という人がいて、彼が信長の幼少期から本能寺までを纏めた編纂した「信長公記」は織田信長の人生を記した公式資料としていまも絶対的な評価、立ち位置にいる。


安土城の中の構造は、その信長公記の中に結構詳しく書いてあるのだ。


どこそこの部屋は何畳あって、その隣の部屋にはこういう飾りがついているとか、いろいろ書かれている。でも残念ながら、外から見た構造についてはいっさい書かれていなく、外観がわからない。


安土城の全体の見た目の資料がほとんどない、と言っていい。安土城天主の内部が、吹き抜け構造であることは、そのような設計図資料が現存していることをなんかの番組で観た記憶があるのだが、外観がどうだったか、という資料はまったくないのだ。


だから安土城天主が本当はどんな意匠だったのかは、誰も知らないし、誰も見たことがないのである。歴史のミステリーなのである。


安土城天主でわかっていること。


内部構造:信長公記などから検討可能。

外部構造:外観を表す資料がない。


である。


当時実際に城を観覧した宣教師ルイス・フロイスなどが残した記録によって、焼失前の様子をうかがい知ることはできる。

ところが信長時代の安土城天主の姿の証拠となる資料が現存する可能性があるのだ。

それが「安土山図屏風」である。下の図は模写図である。


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信長が権力を誇示するために狩野永徳に安土城を描かせた金箔の屏風が、あるイエスズ会員の司祭に贈られ、彼が日本を離れるときに同行した天正遣欧使節によりヨーロッパに送られてローマ教皇庁に保管されているという記録があるのだ。


それが安土城の姿を知る決め手の一つと考えられ、現在に至るまで捜索が行われているが、未だに発見されていないのだ。


当時のその真の姿はいまや誰も知らない。


安土山図屏風は、宣教師の記録から、安土城と城下町を忠実に描いているとみられる。日本に来たイエズス会巡察使に信長が贈った後、天正遣欧使節に託されてローマ教皇グレゴリオ13世に献上された。バチカン宮殿(バチカン)に1592年まで存在していた記録があるが、その後約400年以上、行方不明になっている。


つまり、この屏風絵にこそ、信長時代の本物の安土城天主が描かれているのである。


「屏風絵を探せ!」


これは信長ファン、安土城ファンならずとも、歴史ファンだったら、誰もが熱望する信長時代の本物の安土城の姿である。


本当に数々の復元案で描かれてきたような姿なのか。

もし、全然違っていたらどうしよう?(笑)


自分は最近よくこういう夢を見るのだ。

ニュースでセンセーショナルに報道されているのである。


「信長が狩野永徳に安土城を描かせた金箔の屏風が、ヨーロッパの〇〇の国で見つかりました!」

「これは歴史的に大変な衝撃です。信長時代の本物の安土城はこんな姿だったのです!」


その屏風絵に描かれている安土城天主を見た瞬間、自分は衝撃を受けているのである。


復元案と全然違うじゃんか!

すごい地味じゃんか!(笑)


こんなオチなのである。(笑)


屏風探索は滋賀県が1980~87年に、旧安土町も2004~07年に探索し、バチカンやイタリアに研究者を派遣したが、重要な手がかりは発見できなかった。


自分は、人生を終えるまでの間に、この屏風絵が見つかってほしいと心から懇願しているのである。信長時代の本物の安土城天主の姿が、じつはどうだったのか、知りたいのである。


安土城を再建する、というファンたちの熱い要望がいまも寄せられている。



安土城の再建が進まない理由。それが「資料が少ない安土城」に要因がある。


安土城はなんで中々再建されないのか?


①再建するには情報が不十分(設計図が不明)

②発掘調査が進んでいない(まだ進捗2割程度)

③莫大な再建費用がかかる(数百億円誰が払う。)


①は1番ネックになっている。


設計図があったりとか、長い間建っているならば、それを描いた絵の資料が残っているかもしれないけど、安土城は築城から消失までの期間が6年くらいしかないから資料が全然ない。


安土城再建に関しては、いままでは文化庁は資料が少ないと再建を許してくれなかったのだが、2020年にはちょっと基準が緩くなったのである。


設計図がなくてよくわからない部分があっても史跡の魅力を高めるために整備をしてもいい=復元的整備、再建してもいい、ということになった、のである。


これは大きな譲歩というか、かなり革新的なことだと思うのだ。


文化財復元に関する新ニュース

文化庁が2020年4月に新しい基準を公表。


そうなると、安土山図屏風が、この安土城の外観の資料としてはかなり有力な手掛かりとなってくる。もしかしたら、それが現存しているかもしれない。


その屏風絵を見つけられるかどうか、それが安土城再建のひとつのポイントになってくるのである。


これが見つからないうちに再建してしまい、あとで屏風絵が見つかったときに、あっここ間違っていたなということが判明してしまう。(笑)そうなのだ。一度城を復元してしまうと、新たな史料が出てきた時に変更が難しくなるのである。


もうここまで資料があれば、もういいでしょう、というところまで調べ尽くさないといけないのである。

つまりいまや安土城「屏風絵」の存在が、安土城再建の大きな鍵を握っているのである。

滋賀県が県民に安土城を復元したいですか?というアンケートをおこなった。令和2年7月でのアンケートである。


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建物復元してほしい24.2%

積極的におこなわなくてもいい 29.6%


滋賀県の人はいまのところ積極的な整備をおこなわない、という人が多い。


(賛成派)

安土城は山のてっぺんにあるので、天主ができればそこに行くまでの街道にいろいろなカフェやお土産屋さんもできてお城好きの人がいっぱいやってきて観光地として栄える可能性がある。


(反対派)

いまの生活環境を変えたくない。人がいっぱい来てほしくない。


まっ賛成派、反対派と拮抗している状態であるが、もし屏風絵が見つかれば全然話が違ってくる。

そしてなんと!このたび三度、滋賀県も本格調査開始なのである。


屏風絵発見プロジェクト始動!

屏風が見つかれば、世論も変わる。


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滋賀県の三日月大造知事が安土城が書かれている屏風の情報を、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、フランス語、ドイツ語、英語、これに訳してネットで情報募集することをプロジェクトとしてやるそうなのだ。


今回、県が探索に再び乗り出すのは、築城450年となる2026年にCG(コンピューターグラフィックス)などを用いたデジタルデータ上での復元を行うため。屏風以外の新資料を探す目的も兼ねている。


滋賀県は、屏風探索を世界に発信するため、ホームページを10月26日に開設。屏風が移動した可能性が高い国々の言語であるイタリア語、ドイツ語など6か国語で情報提供を呼び掛けている。三日月知事も東京都内のローマ教皇庁、イタリアなどの大使館を今年度内に訪問し、探索への協力を要請するという。


2006年には豊臣秀吉時代の大坂城を描いた「豊臣期大坂図屏風」がオーストリアの古城で見つかった事例もある。県文化財保護課は「安土城は日本を代表する城郭だが実像が未解明。インターネット時代だからこそできる形で探索する。屏風に限らず、城に関する新資料の発見につながれば」と期待している。


ちなみに、こちらがその2006年、オーストリアのグラーツのエッゲンベルク城で所蔵されていた秀吉時代の大阪城と城下を描いた貴重な屏風絵である。


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2006年、エッゲンベルク城は所蔵していた17世紀初頭の大阪城と城下を描いた大阪図屏風が再発見されたことから、2009年10月大阪城と友好城郭提携を締結した。


屏風絵はおそらく慶長12年(1607年)から慶長19年(1614年)の間に描かれたものと推定されている。豪奢な大阪城だけではなく、町屋や神社仏閣、500人もの武士や町人が色鮮やかに描かれていて、平和な城下の生活が活き活きと伝わってくる。この時代の大阪の情景を留めた絵は、現在ほとんど残っていないので大変貴重な屏風である。


この屏風絵は、秀吉の没後に制作され、生前は日本最大の権力者であり、死後は神として祀られた天下人秀吉の権力と栄華を特に賛美したものといえるのだそうだ。


当時、この秀吉時代の大坂城の屏風絵が発見されたときは大センセーショナルだったのだ。秀吉時代の大坂城の姿の証拠、エビデンスとして。


この屏風の秀吉の大坂城の天守を見てみると、自分が理解していた真っ黒なお城で派手な金の装飾を纏った華やかな天守というよりは意外に地味ですね。(笑)なんか、ふつうのお城の天守みたい。(笑)


信長の安土城の屏風絵がもし見つかったとしても、これくらいの小感動かもしれませんね。(笑)


滋賀県は、安土城の再建をけっしてあきらめていない。いまの時代にあった形で実現しようとしている。


2026年は安土城築城450周年を迎えるため、滋賀県は近江八幡市で取り組む「幻の安土城復元プロジェクト」について、拡張現実(AR)や仮想現実(VR)を使った城の見える化を実現させたい意向なのである。


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安土城の証拠となる現存する資料が少ないため、正直なところ安土城再建の道のりはかなり厳しい。でもAR(拡張現実)やVR(仮想現実)を使ってデジタル再現させようというプロジェクトであれば、再建による費用とかの問題もないし、あとは再現するための資料集めということになる。


こちらのほうが、実物の再建より、ずっと今風で現実性が高いのではないか、と自分も思う。ナイスアイデアだと思います。


見える化はARを使う場合、タブレット端末をかざすと現存する石垣の上に天主や屋敷などの建築物の立体画像が画面に浮かび上がる方式などが検討されている。VRならCG(コンピューターグラフィックス)で描いた天主などの映像を好きな角度から眺められるようなものになる見通しだ。


実際の建築物による復元の選択肢は残す方向だが、難しいとの見方が強い。特別史跡の安土城跡には史実に基づいた再現が求められ、そのための史料は現時点では十分とはいえない。


自分は、安土城再建を夢見る会に入会しているのだが、そのTwitter上で、「安土城をVRで再現する」という動画コンテンツを視聴した経験がある。


安土城天主だけではないのだ。その動画コンテンツを再生すると、本丸、二の丸、三の丸、大手門など、いわゆる安土城全部に関わる構造がCGで描かれ、道案内のように城内を進んでいく、というコンテンツである。


かなり興奮してドキドキしながら観たものである。

これは面白いアイデアだな、と思った。


滋賀県の「安土城デジタル復元案」も、そういう類の試みなのだと思う。今風でじつにいいアイデアだと思う。こちらも、もちろん天主だけではない。いわゆる安土山全般にエリアをひろげてAR/VRで再現するというものである。


鍵になるのは、その再現するための形をどんな歴史的資料を根拠として、そのデザインをするか、ということではないだろうか。


この滋賀県のニュープロジェクト、ぜひ応援したい。2026年にぜひ体験したいのだけれど、どうすればいいのだろう?


実際、滋賀県安土山まで出かけて、そこの風景をスマホやタブレット端末でかざすと、あるいはVRゴーグルをかけて眺めると、そこに安土城が再現するということなのだろうか・・・


ということは、滋賀県まで出かけないといけないということなのですかね?


でもやっぱりCGよりも現物がいい、という人もいるだろう。

安土城再建がなかなか厳しい道である理由にその費用面の問題もある。


安土城再建への道。


①建てたらいくらかかるのか?

城建築には木造と鉄筋とがある。


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お城の世界では、木造のほうが価値が高いのだそうだ。


安土城の鉄筋はすでに存在するのだ。テーマパークとしての安土城が現存する。安土城の鉄筋で300億かかったそうである。


でもやはり文化的なほうに価値を置きたい。

やはり木造である。


(自分はこの点、ちょっと認識が違っていたようだ。鉄筋のほうが建築強度的に全然いいと思っていた。木造だと長い経年とともに老朽化してしまい建築的に危険度が増すのでよくないと思っていたのだ。でもお城の場合は、文化財的には木造のほうが評価が高いんですね。しかも耐久年数も木造のほうが圧倒的に長い。ずいぶん誤解していました。)


でも逆に、木造は耐火構造にしないといけない。

300億より膨大に高くなることは間違いなしだ。


名古屋城も現在は鉄筋であるが、木造建築に復元したいという動きがある。名古屋城木造復元費用は、竹中工務店で見積もると504億だそうである。名古屋城再建費用の各部分でかかる費用を安土城に当てはめていくという方式で安土城再建の費用を見積もってみる。


ずばり安土城再建、木造で730億かかる。


安土城が再建できたとして、その後採算が取れるのか?その730億を回収するにはどれくらいの期間が必要になるのか。


収入・支出で分けて考えてみる。

安土城を再建したとして、考えられる収入と支出はつぎのようなものがある。


収入


天主入場料

税収増(経済波及効果に伴う)


支出


地代

維持管理費

行政コスト


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これらの収入・支出のペースで行くならば、建設費の回収期間 結論、約162年かかる。


あくまで試算であるが、ひいき目に見るならば、


信長にはブランド力がある。グッズ販売もきっと好調。

いまの安土城跡は単なる更地だけど、どんどん経済波及効果がでてきて栄えるに違いない。


そんな感じでしょうか・・・


いずれにせよ、現物の安土城再建には、やはり屏風絵の存在が必要なのである。本物の安土城とはどんな姿なのかを知った上でないと、なかなか再建に向けての動きは加速しないのではないでしょうか。いくら文化庁の文化財復元の基準が緩和されたとしても、です。


そういう面でも、やはり「安土城デジタル復元化プロジェクト」は、現実的な案だと思います。


安土城再建を希望する人は、ぜひYouTubeで「安土城再建への夢Channel」をフォローしてあげてください。結構旬でリアルな情報が得られますよ。自分も今回の日記の情報は、ずいぶんこのアカウントから勉強させていただきました。


安土城再建ももちろんだけど、江戸城再建も忘れないでね。自分はまだあきらめていません。江戸城寛永度天守をぜひいまの皇居の天守台の上に建てましょう!


東京の新しい観光地、経済効果抜群の効果があると思います!


ノンノンの日本最強不滅の城ライブ!来年は必ず姫路城に行くぞ!!!(すでに姫路、新大阪、京都の旅程でガイドブックと予習で旅日程も作成済みなのだ。もちろんグルメも。あとは費用調達の問題だけなのです。)










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