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ヒラリー・ハーン ヴァイオリン・リサイタル [国内クラシックコンサート・レビュー]

ヒラリー・ハーンほど日本に馴染みのある親和性の高いヴァイオリニストはいないであろう。本当に何年あたりからだろうか。ちょっと思い出せないくらい日本を第二の故郷のようにかならず日本でリサイタルを開いてくれる。自分も思い出せないくらいの回数、足を運んでいる贔屓にしているヴァイオリニストである。


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ハーンのどこがいいのか、というと自分はやはりとてもスタンダードな弾き手である、というところなのかなぁと思う。これはアラベラさんにも言えることなのだけれど、自分のヴァイオリニストの好みというのは、やはりその弾きっぷりがとてもスタンダード。録音のCDの作風にしてもスタンダード、教科書のような折り目正しいスタンダードなアレンジが好きなのだ。


よくヴァイオリンの曲でこの曲を新しく勉強したいな~、自分のモノにしたい。そう思ったときに、このヴァイオリニストのCDを買っておけばまず間違いない。そういうスタンダードなアレンジが好きなのだ。


ピアノもそうなのだけれど、ヴァイオリンも本当にその奏者によって、同じ曲でもまったく別曲としか思えないくらいすごくバラエティ豊かに様変わりする。


これは指揮者にも言えますね。指揮者が同じオーケストラを指揮しても、その指揮者によって、同じ曲でもまったく別次元としか思えないくらい様変わりする。


これはなぜなのか?


これはひとえにその奏者、指揮者の楽譜の読み込み方、解釈の仕方なんだと思っている。楽譜には、たしかに作曲者の指示のマークは書き込まれていることはあっても、基本はそのままずら~っと音符が左から右に並んでいるに過ぎず、それをどのようなフレーズ単位、段落感で息継ぎをして、どのようなアーキテキュレーション(強弱のアクセント)の付け方をするか、どのような曲の骨格、アレンジにするかは、もうまさにその譜面を読み込んでいる奏者、指揮者によって自由な解釈ができるのだと理解している。


その楽譜から、結局、聴衆に届ける音楽として、どのような曲として作り上げるかは、その譜面を解釈する奏者であり、指揮者の頭の中にあるのである。


ヴァイオリンほど、このフレージングやアーキテキュレーションで奏者の違いを肌に感じることはない。それだけ奏者によって十人十色のように表現される楽器はないと思う。


とくにフレージングは影響は大きいと感じていて、びょ~んとレガートのように長く強調したりとか、このフレージングのつけ方、解釈の仕方は本当にヴァイオリニストにとって十人十色である。


昔、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタでスプリング・ソナタというベートーヴェン・ソナタでは1,2位を争うほどの人気曲があった。自分はこの曲が大好きで大好きで、何回聴いても聴き飽きなかった。毎日ヘビロテで聴いていた。


ソニーのシングルSACDで出ていた樫本大進&イタマール・ゴランの演奏がとても好きだった。そこに共通しているのは、フレージングが極めてスタンダードである、ということである。


この曲が好きすぎたので、もっといろいろなアーティストの演奏も買い集めてみた。たくさんのコレクションをしてみたかった。ところがこれが本当に十人十色で、全然1人1人別ものなんだな。フレージングの解釈やアーキテキュレーションの解釈が全然個性豊かで、もう全然別物。


ヴァイオリン界ではもう大御所といっていい大ヴァイオリニストがいる。誰もが知っている大奏者である。この人のスプリング・ソナタであれば、きっと間違いないだろう!大感動するだろう!と期待したものの、いざCDが手元に届いて聴いてみたところ、かなり強烈な個性剥き出しのフレージングの解釈で、なんか聴いていて悪酔いしてしまうような感覚に陥ったこともあった。とてもスプリング・ソナタとは思えない独自のこの人の解釈といっていいものだった。


もちろん名前は言えないが、外国のめちゃめちゃ著名なヴァイオリニストである。(笑)


そんな経験が山ほどあり数えきれない。もちろん録音物のCDだけではない。実際のライブの生演奏でも、自分が理解している、イメージしている曲とは到底思えないくらい違う曲想だったりしたこともある。


やっぱりフレージングかな~・・・。楽譜の読み込み方としてはフレージングとアーキテキュレーションはつねにペアのものだと思うだけど、とくにフレージングの違いは致命傷と言うか、フレージングのほうが徹底的にその人のその曲の演奏の形に影響を与えるような気がする。


これはラフマニノフのピアノ協奏曲第3番についてもいえる。もう日記で何回も言及してきた曲だが、この曲のCDで自分がこれは!と思ったCDは本当に少ない。もともとこの曲を弾けるピアニストも少ないのだけれど、これが自分の好みに合う、自分のイメージにピタっとくる演奏はほとんど皆無なのだ。


本当にピアニストにとって、ほんとうに十人十色の演奏、表現の仕方で、この曲こそがピアノでいうところのフレージングの解釈の違いというか、そんな演奏表現の違いが出てしまう曲のように思うのだ。


クラシックの世界では、作曲者の意図通りに表現すること。ジャズの即興のような個人のアレンジは入れてはいけない。そういう基本的な鉄則はある。


でもベートーヴェンにしろ、モーツァルトにしろあの頃に使っていた古楽器では出る音域もある程度限られていて、その範囲内での表現だったのが、いまのモダン楽器の音域の広さ、ダイナミックな音を出すことも可能。もうあの当時とは全然違う。


そういう楽器を以てして、あの時代のベートーヴェン、モーツァルトなどの曲を演奏しても、譜面通りという訳には行かなく、いまのモダン楽器だからこそ、ここまでの音域が出せるからこそ、こういう表現もいまでは可能になった。だからこそ、このような表現をそのベートーヴェン、モーツァルトの曲に施しても、いわゆる装飾してもベートーヴェンやモーツァルトはけっして怒らないだろう。逆にそれはいいことだ!ということで許してくれるだろう。逆にそうあるべきである。


そういうことなんであろう。


いまの現代楽器、モダン楽器だからこそ可能な、その個人特有の感性によるフレージングやアーキテキュレーションのつけ方によるその曲の膨らませ方、表現の自由さ。そういうのがいまのヴァイオリン、ピアノ、そしてオーケストラと全部クラシックの世界には暗黙の了解として存在するのではないか、と思うのである。


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ヒラリー・ハーンが自分にとって、非常にお気に入りのヴァイオリニストで居続けたのは、やはりそのフレージングの解釈が非常に素直で変な息継ぎをしないし、強弱アクセントのつけ方も極めてスタンダードで素直。


いろいろなヴァイオリニストがいる中で、ハーンのCDを買っておけば間違いないだろう。ガッカリすることはないだろう。そういう極めてスタンダードな立ち位置のヴァイオリニストだったのだ。昔から。


彼女のCDには外れがなかった。大体期待通りの教科書のようなスタンダードな解釈をするヴァイオリニストなので、自分としては絶対の信頼を寄せているところがあった。


それは演奏会場に足を運んでも同じ印象であった。


自分がいつ頃からヒラリー・ハーンというヴァイオリニストに注目し始めたかは、やはり彼女がメジャーデビューしてその時代と共に追っかけてきたような気がする。いわゆるハーンは自分らの世代のスターで、その成長を見届けて一緒に時代を過ごしてきた演奏家というイメージでふっと気がつけば自分のそばにいつも居る感じ。それが当たり前すぎて特別視するような感じではなかった。


それだけ自分にとってリアルタイム世代のヴァイオリニストである。


17歳でソニーからバッハの無伴奏でデビューしたときから、いままで聴いてきたハーンの印象は、演奏家固有のクセがなく、とてもスタンードな弾き方、フレーズの捉え方をする奏者で、バッハ、メンデルスゾーン、モーツァルト、チャイコフスキー、ブラームスなどヴァイオリン弾きにとって必須の曲はほとんど録音済みなのだが、ハーンのCDを買っておけば間違いはない、という感じだった。


2000年のサントリーホールでベルリンフィルとマリス・マンソンスとのショスターコヴィチのコンチェルトは圧巻だった。実演で拝見することは叶わなかったが、後年DVDになって買って自分の宝物になっている。


ただ、女性ヴァイオリニストとして、あくまで異性の女性としてのアーティストとして捉えたときに、初期の頃はいまひとつ熱中できないところもあった。デビューのときから若い時代にあったアルバムジャケットやイメージフォトの写真から想像する、どこかクールで温かみを感じないアンドロイドの人形や、ばね仕掛けのお人形さんみたいな印象がそうさせていたのではないか、と分析する。


やや女性ヴァイオリニストとしての妖艶さというか、女性ならではの色気というか、自分にとってどうも大人の女性として異性を感じさせない中性的な印象があったことも確かである。


でも、それも最初の頃の話。いまではすっかり女性らしい柔和さ、優しさが滲み出るようになり、大人の魅力的な女性にすっかり様変わりした。自分は女性アーティストの場合、若いカッコいい勢いのあるときの美人も素敵だと思うが、じつはある程度年輪を重ねた経年になってからの女性アーティストのほうがいいと思う。好みである。人生がわかってきて、それなりの熟知を経て、顔に年輪が現れる。


いわゆる人間としていい顔になる、という意味である。


これはとくに女性より男性のほうが顕著ですね。男性はどうしても若いとまだまだ青い、として思われな傾向にあるが、人生いろいろ経験して、年輪が現れてくると、40歳、50歳代の男の顔はほんとうにいい顔になると思う。50歳代の男はいい顔だと思います。


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ハーンのCDで自分を一気に虜にした、というかその評価を本物にしたのはシベリウスのヴァイオリン協奏曲をリリースしたときであった。いまでもシベリウスのコンチェルトとしては、ハーンの録音は、自分の中でも不動のリファレンスの1枚である。


ただでさえ、難曲中の難曲といわれるシベリウス。この寒色系で厳冬な雰囲気をここまで完璧に表現しているのは驚きとしかいいようがなく、この曲で、自分のハーンの印象が一気に株上がりした。



ハーンは、DG所属だが、アルバムリリースも非常にコンスタント。ムラがない。ヴァイオリンの曲としては有名なところは、ほとんど網羅してきており、現代音楽の録音も積極的だ。前回のリリースでは、なんと!ドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲を録音してくれた。なかなか演奏されないレアな曲で新しい録音が欲しいな~とずっと思っていたので、自分にとって大変なご褒美だった。


そして先日リリースした新譜では、なんとイザイの無伴奏ソナタ全曲(6曲)である。



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イザイ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 全曲 ヒラリー・ハーン



もうスゴイとしかいいようがない。なんという積極的なアプローチ。彼女の長年に渡る名曲という名曲は、かならず全部自分の録音としてしまうこの積極的なスタンス。やはりDGとのチーム連携がうまく行っているんだろうな~。やぱり信頼できるスタッフと長年に渡る賜物なんだろう。これからも末永く続きますように。


ハーンは元気だ!




さて、ようやく本題。(笑)


東京オペラシティにヒラリー・ハーンのヴァイオリン・リサイタルに行ってきた。


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コロナ禍で延期になっていたコンサートであったが、やっと実現である。

ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの9番「クロイッツエル」と10番である。


相棒のピアノは、アンドレアス・ヘフリガー。


ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタで1番人気があるのは、やはり第5番「春」(スプリング・ソナタ」であり、第9番「クイッツエル」であろう。そんなクロイッツエルを冒頭に持ってきた。


ピアノのアンドレアス・ヘフリガーは、どちらかというと爆演型。強打腱の嵐で、ハーンのヴァイオリンとの音量バランスにちょっと不安を感じたが、心配もそれほどでもなく、なんなくこなしていた。


前回のハーンのバッハ無伴奏のリサイタルでは神がかっていた瞬間もあったが、今回はそこまでの驚きもなく、そつなくレベルの高い演奏を繰り広げていた。クロイッツエルはやはり名曲ですね。第3楽章のツボに入ったときのこれでもか、これでもか、というリピートはかなり来るものがありました。10番はとても平和で素敵な曲だけれど、自分はやはりクロイッツエルいいな~、やはり名曲として人気のある曲だな~と感心しました。


ハーンは、黄金と黒のドレス、といういままで観たことがないくらい素敵な大人の女性に変貌していた。たぶん長年自分が観てきた彼女のリサイタルでは一番大人の女性で素敵だった。


ハーンの演奏は、やはり安定した音程に、ボーイングの弓裁き。じつに安心して観ていられるいつもハーンの演奏だな、と安心しきって観ていました。


今回、ちょっとサプライスというか驚きだったのはアンコール。ハーンのパルティータ無伴奏、そしてピアノのアンドレアス・ヘフリガーの「イゾルデの愛と死」を彼の爆演で。(笑)


最後の3曲目が、佐藤聰明氏の微風。


佐藤聰明氏というのは日本の現代音楽作曲家だそうで、自分は存じ上げていなかった。初めて聴く曲だが、これが実に神秘的な調べで、驚いてしまった。これはかなり素晴らしかったですね~。


感動の一夜を締めくくる驚きのエンディングでした。


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ヒラリー・ハーン ヴァイオリンリサイタル 2023


2023年6月5日(月) 19:00~

東京オペラシティコンサートホール


・ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第9番イ長調 op.47「クロイツェル」

・ヴァイオリンソナタ第10番ト長調 op.96


アンコール


・J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 ニ短調 BWV1004より サラバンド(ハーン ソロ)

・ワーグナー=リスト:「トリスタンとイゾルデ」より イゾルデの愛の死(ヘフリガー ソロ)

・佐藤聰明:微風(ハーン&ヘフリガー)








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