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東京の真ん中で、坐禅、精進料理、写経 そのに [寺院・仏閣]

この坐禅・精進料理・写経のイベントをご指導していただけるのが、禅僧の宇野全智(うのぜんち)さん。



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曹洞宗総合研究センターの常任研究員として、坐禅会や講演会、写経会などを通してわかりやすく禅の教えを伝えている。本当に全国つつがなく、いろいろなところに出向いては、いろいろ貴重な法話などをして、坐禅、精進料理、写経の教えをいろいろ布教なされているようです。今日はここと思ったら、明日は地方のあそこなど全国を忙しく回われていてすごい忙しいと言っておられました。


当然自分は会場一番乗りですので、宇野ご住職とサシでお話できました。横浜に住んでいる。東横線でやって来た。朝4時半起きで大変だった。その中に坐禅は組まれたことはありますか?というご質問がありましたので、え~北鎌倉の建長寺で体験したことがあります。


そうすると教えてくれました。


坐禅にも流派があるんですよね。


いわゆる北鎌倉の建長寺は臨済宗なので、臨済宗の坐禅というのは、ふつうにこのような感じでの坐禅になります。道場に対して、ご住職と対面しながら坐禅を組むといいますか・・・


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それに対して、ここ曹洞宗の坐禅というのは、みんな壁に向かって坐るんですね。これが曹洞宗の坐禅なのだそうです。


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この臨済宗と曹洞宗の坐禅の違いについて宇野ご住職は教えてくれました。

北鎌倉の建長寺ということは臨済宗での坐禅ですね・・・という感じです。


そこまでお話していたら、どんどん参加者がやって来たので、サシでの会話はそれでお終いでした。


宇野ご住職は、見た目もハンサムなイケメンさんで、やはり法話がお上手というか、話が非常に活舌がよくて、発音もしっかりしていて、声がよく通る。この仕事で全国を駆け巡っているだけあって、やはり慣れているというか、まさにこのイベントは天職のような感じさえお見受けしました。


法話というのは、ご住職さんが、我々に対してお話していただける非常に人生にためになるお話、教えのことをいいます。ご住職さんの法話を聞けるだけで、お金を払っているんだ、という有難みが感じられますね。それだけ心に刺さりますし、勇気をもらうことも多いです。


写真タイムはかなりフリーで自由でした。お写真を撮る方は、カメラを同伴されてくださいね、と仰っていただける。写真タイムということで、その都度時間を取ってもらえましたし、かなり自由でした。ほかのお客さんのお顔が映らなければなんでもOKです。


これが会場となった、「東京グランドホテル」内にある曹洞宗の修行道場「微笑庵」です。正確にはここにはもともと曹洞宗の本部があった訳で、そのときから修行道場があったわけですが、東京グランドホテルとなってからもこの修行道場はそのまま残されて、ここで坐禅、精進料理、写経などのイベントをやる訳ですね。それがここ「微笑庵」なのです。


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そんなに極端に大広間という訳ではなく大体横長の20畳くらいのスペースでしょうか?2部屋が連なっており、両部屋とも畳敷で、1部屋は坐禅に使い、もう1部屋は、テーブルがロの字で置いてあり、そこで精進料理をいただいたり、写経をしたりする部屋になっています。


この修行道場の旗頭といっていい掛け軸もあります。


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日本の美意識の感覚って、やはりこの庭、庭園の造りにありますね。ここに日本人としてのわびさびの美しさを感じますね。


この修行道場「微笑庵」は、ホテルの5階にあるのですが、5階といったら高いところにある訳でその制約条件の中でこのような格式の高い庭を実現できるのはすごいと思いますね。


さて、参加メンバーは10名程度の満員御礼です。男性もいましたが、女性が多かったかな?このシリーズ大変人気だそうで、毎回満員で、結構待たないといけないようですよ。


最初に坐禅です。


これも最初に宇野ご住職とサシでお話出来たときに知ったのですが、坐禅を組むときのお尻の下に敷くいわゆる坐禅用の座布団、いわゆる坐蒲(ざふ)。


これも臨済宗と曹洞宗では違います。


臨済宗では、長方形の座布団で、それをふたつに折り曲げて、お尻の下に敷く。これが臨済宗流派です。でも曹洞宗は違うんですよね。写真を取り損ねましたが、曹洞宗の坐蒲(ざふ)は小さくて丸いのです。


宇野ご住職は法話も兼ねて、坐禅の組み方や、心構えなどをじつに流暢に説明してくれます。


北鎌倉の建長寺の坐禅会では、無料で一般の市民が自由に坐禅ができるように、というざっくばらんなものだったので、そんなに丁寧には教えてくれませんでしたが、こちら曹洞宗の坐禅のほうでは、有料でお金をいただいている、ということもあり、坐禅の基本からじつに丁寧に教えてくれました。


坐禅の基本は、お尻ごとドテって坐るんじゃなくて、お尻の座骨の部分で座り、姿勢をよくして座骨ひとつで体を支えていく感じで、そこが決まればその上に背骨が乗っかり、その上に頭が乗っかる。。。どんどん座骨の上に上乗せしていく感じなんだ、と教えてくれました。


そして坐禅の真髄は、”調う(ととのう)”。


この一語がすべてを表すキーワードのような気がします。

呼吸をゆったり長めにとって、身体、気持ちを整う。


自分は北鎌倉の建長寺の坐禅会のときに、坐禅って難しいな~と思ったのは、坐禅を組んでいる間、それは30分、1時間なのかもしれませんが、心を”無”にすることの難しさです。それだけの時間、なにも考えずに”無”になることって意外や難しんですよね。


かならず邪念が入ります。

いろいろなことが頭の中を過ります。思い出したりします。かならずなにかを考えちゃんですよね。


宇野ご住職の教えでは、あまり”無”になることを意識せずに、外から入ってくるものはそのままそれを受け入れて、それを外に受け流す、ありのまま、ということでしたでしょうか・・・。耳から入ってくる音は、それは~の音なんだな~とそのまま受け流す。それが大事なことだと仰っていました。


今回の坐禅は、時間的にはたった5分くらいの時間だったんですが、なんかすごい時間が経ったような気がしました。建長寺のとき、30分とか1時間とか、よくできたな、と思います。(笑)


今回の坐禅では、警策(きょうさく)はありませんでした。希望者のみ、会が終わった後に独自でやっていただけたようです。


警策(きょうさく)というのは、この弛んだところをお坊さんにバシッと喝を入れてもらうことをいいます。坐禅というとふつうかならずつきもの、というかこれを思い出しますよね。


坐禅が終わりますと、隣の部屋に移って、精進料理です。

これがじつは一番楽しみでした。坐禅、写経は経験あるのですが、精進料理は初めての体験です。

なんでも食べることは楽しみですね。(笑)



今回いただく精進料理は、朝粥です。


修行道場では本来、朝粥・胡麻塩・漬物だけだそうですが、今回は季節の食材を使った精進おかず3品が付きます。


こんな感じでした。お盆が漆塗りのすごい高級なものを使っているような気がします。


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ここでまた宇野ご住職のいろいろな教えがあります。まず食器の説明。食器はちょっと一般家庭の食器と違っていて、蓋からなにから重ね合わせして1つにして収まる省スペースな造りになっています。


そしてお寺での精進料理の食べ方の作法ですね。お箸のおき方であるとか、朝粥のお替りの仕方の作法であるとか。。。いろいろです。お粥はしゃもじで食べます。3品はお箸で食べます。


食べ終わったら、そのまま食器をそこに残していく、ではダメなんですね。それじゃお寺じゃないです。(笑)俗世間になってしまいます。


お寺では、食べ終わった後、自分で自分の食器を洗わないといけません。それは台所で洗うという意味ではありません。その自分の座席で洗わないといけないのです。食べ終わった後、お給仕さんがお湯を持ってきてくれて、食べ終わった後の茶碗にお湯を注いでくれます。それを食器洗う専用のブラシがあって、それで丁寧にお湯を使いながら食器を拭って洗うのです。そうして、それを全部のお皿でやって、重ね合わせてひとつにまとめて、元に戻す。


これがお寺の作法です。自分で食べたものは、自分で洗い、自分の座席でそれをやるということです。


今回は、その食器を洗う専用のブラシは使えなかったので、お漬物のたくわんで注がれたお湯でお茶碗を拭うという作業をしました。


今回の精進料理を食べるにあたって、とても大切な教えを教えていただきました。


それが


「五観の偈」(ごかんのげ)


です。


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「五観の偈」を学び、朝粥をいただくのです。


この次にある写経でも結局この「五観の偈」(ごかんのげ)を筆ペンでなぞりました。


修行生活では、食事を作ること、そして頂くことをとても大切な修行と考えます。そして「五観の偈」(ごかんのげ)には、食事をいただく側の心構えが簡潔に説かれているのです。


禅の修行では、食事の前にこの「五観の偈」を唱えますが、短いお唱えごとですので、ぜひ普段の食事の前にもお唱えするようにしましょう、とのことです。


簡単に言うと、「五観の偈」(ごかんのげ)というのは、いまこうやって食事をとれるのは、どれだけの人たちがこの目の前にあるお膳に関わってきたかその有難みに感謝しつつ、ありがたくいただきましょうというような内容です。


「五観の偈」(ごかんのげ)


・ひとつには。功の多少を計り、彼の来所処を量る。

(この食事がここに車で、いかに多くの人々の手間や苦労があったのかに、深く思いを巡らせます。)


・ふたつには己が徳行の。全欠を忖って供に応ず。

(この食事をいただくに値するほどの正しいふるまいや、世のための人のために役立つような行いをしているかどうか、自分自身の行いを振り返ります。)


・みつには心を防ぎ過を離るることは、貧等を宗とす。

(心の過ちを止めるために、貧りの欲などを見極め、修行の心をもっていただきます。)


・よつには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり。

(私の健康と生命を支えるための「良い薬」として、この食事を受け止めます。)


・いつつには、成道の為の故に、今此の食を受く。

(人間として正しく生きるためには、今この食事をいただきます。)



精進料理の感想ですが、まっこれこそお寺の精進料理です。

美味しいですが、物足りないです~。(笑)

腹いっぱい食べたいです~。(笑)


そんな欲にまみれた人は、きっとこの悟りはいつまで経っても解脱の境地になりませんね。朝早く4時半に起きて、腹ペコでかけつけた訳ですから、お腹ペコペコだったわけですが、当然朝粥で満足できる訳もなく、東京グランドホテルですから、朝のモーニングなどのブッフェスタイルがないかな、有料でもいいから、そこでお腹を満たせようと思いました。


でもアメリカン・ブレックファーストのようなそんなブッフェスタイルはなさそうな感じのホテルなので諦めました。空腹のまま、家にびしょ濡れになりながら戻ったです。(笑)


最後は写経です。


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この朝食のときに教えをいただいた「五観の偈」(ごかんのげ)について、改めて写経という形で筆ペンでなぞりました。写経は心を集中するいい鍛錬になりますね。


気持ちが落ち着いて集中していないと、あ~~~もういいっ!!という感じになってしまいます。(笑)


この写経で書いた「五観の偈」(ごかんのげ)は、そのまま家に持ち帰って、どこかに飾っておくのがいいとのこと。自分もCDラックの上にそのまま置いて飾ってあります。


こんな感じでございました。

朝7時からあっという間の2時間。


朝の頭がすっきりしているこの貴重な時間帯に、こういうことで時間を過ごすのはすごく心の健康にいいと思います。


いわゆる朝修行というものですね。


宇野ご住職は、坐禅、精進料理、写経、どの会についてもかならず参加者1人1人の感想を伺って、それにたいして丁寧なお答えをする、という真摯な態度で臨まれていたのが印象的でした。


大変お世話になりました。


大変いい時間を過ごせたと思います。


東京のど真ん中で、こういう経験は、なかなかできないでしょう!


素晴らしい催しだったと思います。






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東京の真ん中で、坐禅、精進料理、写経 そのいち [寺院・仏閣]

普段味わえない特別な体験を掲載するメディア・予約サイトに「Otonami(旧:Wabunka)」というのがある。自分はFacebookでその存在を知ったのであるが、日本のよさ・らしさを感動体験として発信していて、日本の魅力を感動体験として届けるというのがその主目的。もっと端的に言うと、和の美しさ、日本ならではの感動体験のイベントが日本全国でいろいろ主催されている訳だが、それを紹介するポータルサイトのような存在で、そこからそのイベントに予約できる予約サイトでもある。(決済機能付き。)


せっかく魅力ある和の文化、日本ならではの感動体験のイベントを、みんなに知ってほしい、そしてそのイベントに参加してほしいという広告型ビジネスの予約サイトのことである。


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これはかなり素晴らしいと思う。

FBで上がってくる紹介される写真は、本当に日本の美しさを極めたという超一流の写真ばかりで、ほんとうに芸術品のようなこれぞプロという写真ばかり。日本人に生まれてきてよかった~ということを実感する写真ばかりである。


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和大好き、日本大好き、ついでに和食が大好きの自分にとっては、大変いいポータルサイト・予約サイトを知ることができたと思っている。


これからもいろいろ利用させていただきたい、と思っているのだが、その中で自分のアンテナにビビッとくるイベントがあった。


それが、


「東京の真ん中で、坐禅、精進料理、写経」


というイベントである。


東京・芝公園という東京のど真ん中にある東京グランドホテルの一室で、朝7:00~9:00という早朝タイムでこれらを実体験しよう、という試みである。


坐禅や写経については、2022年2月~3月にかけてマイブームになって、日記でも取り上げて自分なりに勉強した。そして坐禅や写経の実体験としては、北鎌倉の建長寺で体験することができた。懐かしい想い出である。


鎌倉や北鎌倉。あの年、2022年は、もう1年中、「鎌倉殿の13人」の大フィーバーで、自分はもちろんのこと、全国中鎌倉フィーバーなところがあって、鎌倉が非常に熱いスポットでもあった。そんなブームにあやかって、自分は鎌倉五山の巡礼やそのほか鎌倉殿、北条氏に纏わるお寺を巡礼したのであった。懐かしいです~。あの頃の熱い気持ちにまた戻りたいな。


だから北鎌倉の建長寺という雰囲気的には、いかにも坐禅、写経が似合う場所でもあったのだ。ところが今回は、東京のど真ん中の東京グランドホテルの一室で、それらをやりませんか?それも早朝、頭がすっきりしているところで。


しかも精進料理。ご住職の法話つき。


これは自分をかなり惹きつけた。1回のイベントに参加できるメンバーが満員で10名ほどであるので、月に2回、3回と定期的にやっているイベントのようだ。


自分はさっそくotonamiの予約サイトで予約をした。


そして先日体験してきた、というわけだ。


「東京の真ん中で、坐禅、精進料理、写経」


芝公園「曹洞宗宗務庁」僧侶に教わる朝の禅体験で心と身体をととのえる −坐禅・朝食・写経−(Otonami限定)


東京・芝公園内にある曹洞宗の修行道場「微笑庵」にて、禅体験を通して心と身体を調えます。禅僧の手ほどきのもと坐禅を組み、朝粥を主役とした精進料理の朝食を作法に則っていただきます。さらに、心静かに写経を行い、禅の考え方への理解を深めます。朝の清々しい空気の中、時間を有意義に過ごしてみてはいかがでしょうか。



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東京・芝公園の「東京グランドホテル」内にある曹洞宗の修行道場「微笑庵」にて、禅体験を通して心と身体をととのえるOtonami限定プラン。禅僧の手ほどきのもと坐禅を組み、朝粥を主役とした精進料理の朝食を作法に則っていただきます。さらに、心静かに写経を行い、禅の考え方への理解を深めます。ひとたび日常を離れてゆったりとした時間を持つことで、新たな一日を気持ちよく始めましょう。



・朝の清々しい空気の中、禅僧の朝修行に基づき坐禅・朝食・写経を体験できます。

・日常から離れ、自分と向き合う静かな時間を持つことで、心と身体をととのえます。

・禅の世界を体験してみたい方や朝の時間を有意義に過ごしたい方におすすめです。



これはすごい魅力的です~。もう自分はすぐに飛びついてしまいました。参加料も5,500円なのでそれなりにお手頃です。


さっそく行ってきた訳だが、その当日は東京に台風が接近している中で、かなり雨が振っていてコンディションは最低であった。靴の中もベシャベシャで、服もずぶぬれ。


なによりも朝7時からスタートする。東京のど真ん中の芝公園。そうなると横浜の自分の家からだと、朝4時半起きで、朝5時台の電車に乗らないと間に合わない訳で、台風で全身ベシャベシャの気落ち悪さに加え、朝早起きの体調コンディションの悪さで、かなり体調が悪かった。


もっといいコンディションで迎えられればよかったのにな~と思ったものである。


そんな中で会場の東京グランドホテルについた。


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あとでご住職さんとお話ができたので、いろいろ情報を教えてくれたのだが、もともと、この東京グランドホテルというところは曹洞宗の本部のあったところだそうだ。曹洞宗の本家本元の本部。だからそこには曹洞宗の修行道場などもたくさんあったわけである。その曹洞宗本部がビジネスとして収入を得る算段としてホテル業を担うことになり、東京グランドホテルとしてオープンした、というのがいきさつのようだった。


確かに東京グランドホテル。東京のど真ん中のホテルにしては、いかにゴージャスな高級ホテルなんだろう?と構えて期待していたところもあるのだが、予想外に質素で(失敬)、かなりふつうのサラリーマンが出張でつかうビジネスホテル・クラスと言っていいランクだと自分は感じた。


約800年前の鎌倉時代に道元禅師が中国から日本に伝え、瑩山禅師が全国に広めた曹洞宗。その事務局である「曹洞宗宗務庁」は、「東京グランドホテル」内に修行道場「微笑庵」を設け、曹洞宗の教えや修行について一般の人に向けてわかりやすく伝えるべく坐禅会や写経会などを積極的に開催している。


これが今回のイベントなのだ。


では具体的にどんなことをやるのか。紹介していこう。


情報引用元:otonamiサイト



朝一番、禅僧の作法に習う修行体験


東京・芝公園にある曹洞宗の事務局「曹洞宗宗務庁」が本体験の会場です。周辺は古くからのオフィス街ですが、朝一番は人が少なく静か。清々しい空気が1日の始まりを後押ししてくれそうです。


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「禅の教えをわかりやすく伝えたい」との想いから、曹洞宗宗務庁では坐禅会をはじめとする様々な活動を行っています。禅とは、物事の真実の姿やあり方を見極め、これに正しく対応していく心のはたらきを調えること。教えの根幹は坐禅にあり、坐ることで身体を安定させ、心を調えることで身・息・心の調和をはかります。


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禅の世界へ誘うのは、禅僧の宇野全智(うのぜんち)氏。曹洞宗総合研究センターの常任研究員として、坐禅会や講演会、写経会などを通してわかりやすく禅の教えを伝えています。まとう空気は穏やかで清々しく、その素敵な笑顔に思わず引き込まれます。



法話と坐禅を通して日常から離れる体験を


はじめに宇野氏による法話を拝聴します。禅の教えを初心者にもわかりやすく伝える宇野氏のお話は、身近な話題、暦や年中行事など、日によってトピックはさまざま。日頃意識していなかった自分を取り巻く豊かな世界、気づきと学びのあるお話は目から鱗です。


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続いて禅の基本となる坐禅を体験。坐禅の作法や心構えについて教わり、いよいよ実践。丸く厚みのある坐禅用の坐蒲(ざふ)に坐って姿勢を整えます。お腹から息を長く吐くことを意識し、ゆっくりと呼吸を整えます。「坐禅をする時は、露天風呂に入った時のような、リラックスしてのんびりしているイメージを持ってください」と宇野氏。はじめてだと少し緊張してしまうかもしれませんが、力まずに取り組んでみましょう。


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坐禅の時間は数分間の短い時間ですが、ゆっくりと心がほどけていくのを感じられるでしょう。日常生活では得られないゆったりとした時の流れの中で、思わぬ気づきがあるでしょう。坐禅が終わった後は、感じたことを共有したり、気になったことやわからないことを尋ねてみたり、宇野氏との会話を楽しみます。慌ただしく過ぎてしまいがちな朝の時間。体験での学びをきっかけに毎日数分でも坐禅を取り入れれば、また違った一日となるかもしれません。


「五観の偈」を学び、朝粥をいただく



曹洞宗では、食事をすることも大切な修行のひとつ。800年前、道元禅師は食事をいただく作法と意義を示した『赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)』を著しました。禅僧のテーブルマナー指南書といえるこの書には「五観の偈(ごかんのげ)」という5つの心得が記され、今も修行道場では僧たちが毎食前に唱えています。


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修行道場では本来、朝粥・胡麻塩・漬物だけですが、本プランでは季節の食材を使った精進おかず3品が付きます。春夏秋冬、日本の大地の恵みに感謝をしながらいただきましょう。坐禅の後の食事は感覚が研ぎ澄まされ、お米の甘みや食材の旨みが心と身体に染み込みます。


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食事は禅僧の作法に則っていただきます。食後には、お粥が入っていた茶碗にお湯を注ぎ、一つ残しておいたたくあんで糊を取って飲み干します。食材の命そのもののありがたさと尊さをしっかり受け止め、「ごちそうさま」と唱えましょう。


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書く修行「写経」を通して心と身体をととのえる


最後は写経体験です。漢文で書かれた「五観の偈」をお手本に、間違えないよう一字一字集中して書き写します。紙とペンで文字を書くことが非日常になっている方も多いかもしれません。写経を終えると、心地よい疲労感と達成感に包まれます。


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写経して出来上がったものは、思い出として持ち帰ることができます。本体験で得た気づきを日常に活かし、教えを実践するためのお守りともなってくれることでしょう。目まぐるしい日々の中で折に触れて見返し、穏やかな心を取り戻すきっかけにしてみてください。


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道端に咲く一輪の花に足を止める体験を


「日常生活は忙しく、速さや効率が求められます。まるで飛行機で移動しているようなものですが、飛行機に乗っている時、道端に咲く一輪の花には気づけません。坐禅は、その一輪の花に気づき、足を止め、その美しさを感じる体験なのです」。宇野氏は坐禅をする意味について、そう語ります。朝の静謐な空気の中で、禅に親しむひととき。坐禅と朝食、写経を通して、一人ひとりの心に咲く一輪の花を見つけてみてはいかがでしょうか。



これがすべてです。



長くなりますので、二部構成にしますね。


つづく








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