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下北沢のスープカレー [グルメ]

スープカレーというのは、カレーライスとは全然違う食べ物である。自分は、2012年頃に、スープカレーがマイブームになり、札幌に帰省したときに、いろいろスープカレーの人気店を食べ歩いてみた。いま巷で話題になっているスープカレーってどんな食べ物なのか、それを体験するためである。


そうすると、スープがサラサラの液体状で、具が大きくてゴロゴロという感じで、なんか薬膳料理みたいな感じだな、というのが自分の最初の印象であった。


もっとトロミがあって、ライスと一緒に食べることが前提のカレーライスとは全然違うな、という印象である。それでなんかスープサラサラで、具がゴロゴロなので、これでご飯をいっしょに食べて美味しいか?という感じだった。


自分はその当時、いまだにカレーライスのイメージの枠から脱することができなかったんですね。スープカレーってそんなに美味しいかな?というのが率直なところの感想であった。


でもそれから考えを改めた。あういうスタイルだからこそ、カレーライスとはぜんぜん別物なんであって、あれが売りなんだ!と思うようになった。


スープカレーとカレーライスはまったくの別物。


そう考えると、あのスープサラサラ、具がゴロゴロの一品もオリジナリティ、独創性があっていいな、と思うようになった。


スープカレーは、スパイスの香り・刺激・辛みのきいたスープと、大振りの具が特徴である。2000年代に札幌市でブームとなり、その後全国に広まった。


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札幌市には現在でもスープカレーを提供する店が200店以上存在する。各店は個性を競い合っており、多様なバリエーションがある。北海道の函館、旭川、帯広、富良野はもちろん、東京、横浜、名古屋、大阪、福岡など日本各地に札幌由来の店が出店しており、香港、シンガポール、バンコクなど海外にも進出している。




札幌スープカレー


1971年に札幌市に開店した喫茶店『アジャンタ』が1975年ごろに発売した「薬膳カリィ」が原型と言われている。


サラサラとした粘り気のないスープ状のカレーである。これに似た自分の店の料理を「スープカレー」と命名し、評判になったのは1993年に札幌市白石に開店した「マジックスパイス」である。



同店は2003年に神奈川県の「横濱カレーミュージアム」に出店して大評判になり、札幌発のスープカレーが全国に知られるきっかけになった。その後、札幌発のスープカレー店が各都市に進出し、大手牛丼チェーンやファミリーレストラン、コンビニエンスストアでもスープカレーが販売された。


特徴


スパイスの効いた旨みのあるスープと、大ぶりの具。


煮込み料理と違って、スープと具は別々に調理する。メインの具はもともとチキンレッグが基本だったが、現在ではほかに豚角煮・ラムチョップ・魚介類などを選択できる店が増えている。これに茹でたり素揚げしたジャガイモ、ニンジン、ナス、ピーマン、オクラ、カボチャ、ゴボウ、ヤングコーン、ブロッコリー、レンコンなどの野菜が組み合わされる。


「トマト系スープカレー」では、フォン・ド・ボー(仔牛のダシ)を使ったり、炒めたバジルとその香味オイルをたっぷり浮かべることが多い。



スープカレーが札幌発祥でどんな料理なのか、わかっていただけた、と思う。


スープカレーの元祖は、喫茶店「アジャンダ」の薬膳カリィが原型なのはわかった。でもそれと似たようなものを「スープカレー」と命名したのは、札幌白石の「マジックスパイス」である。


喫茶店「アジャンダ」の薬膳カリィが原型であることに敬意を表することはもちろんのことだが、同時に、スープカレーという料理、いやある意味料理名といっていいかもしれない、それを世間一般に成立させたのは、札幌白石の「マジックスパイス」だと言えるのではないか。


このスープカレーの源流店ともいえるべき、喫茶店「アジャンダ」の薬膳カリィと、札幌白石の「マジックスパイス」のスープカレーについて、もう少し説明を試みよう。


スープカレーの元祖は、今から半世紀ほど前に、札幌市中央区南22条西7丁目(現在この一帯は再開発が行われ「アクロスプラザ南22条」というショッピングセンターになっている)で営業していた「喫茶店アジャンタ」にまでさかのぼる。


当時、喫茶店アジャンタを経営していたご夫婦が、インドのカリー(薬効のある香辛料)と中国の漢方薬をブレンドした薬膳スープにライスを添えたメニューを客に提供していたところ、常連客のひとりに「ダシ用の鶏ガラや野菜も捨てずにスープと一緒に出してくれ」とお願いされ、これがキッカケで現在のスープカリーの原型となる「薬膳カリィ」が誕生した。


それから30年後、白石区の「マジックスパイス」が、アジャンタの薬膳カリィをベースに独自のアレンジを加え「スープカリー」と命名して世間に認知されるようになる。


アジャンタのご夫婦は喫茶店を「アジャンタ総本家(ご主人)」と「アジャンタ・インドカリ店(奥様)」に暖簾を分け、互いに”元祖スープカリー”を名乗りつつ、別々の道を歩み今日にいたる(現在、総本家はお弟子さんが事業を承継しているらしい)...。。。のだそうだ。




アジャンタ薬膳カリィ店


スープカレー店の多くの店主が「大きな影響を受けた店」として名前を挙げている店である。店主の辰尻宗男(1934年~2009年)は薬売りの行商で知られる富山県の生まれで、幼少期に札幌に移り住んだ。両親は薬局を営んでいた。1971年に喫茶店を開店。家に伝わっていた漢方の養生食とインド料理を融合した「薬膳カリィ」を考案し、一日20食限定で出したところ、口コミで評判となった。はじめは具無しのスープとライスだったが、1975年に「もったいないから出汁に使った鶏肉も出して」という客のリクエストによりチキンレッグを入れ、つづいて大振りのニンジンとピーマンも加えるようになった。


これがのちのスープカレーの原型となった。



スープカレーの元祖は、1971年に札幌の喫茶店「アジャンタ」が出した「薬膳カリィ」だったのだ。その「喫茶店アジャンタ」はいまは存在しないが、その「喫茶店アジャンタ」の流れをくむお店が札幌に2つあるのだ。それが「喫茶店アジャンタ」から暖簾分けしたご主人のほうの「アジャンタ総本家」と奥さんのほうの「アジャンタインドカリ店」である。



「アジャンタ総本家」の店の場所は、地下鉄の元町駅より徒歩5分。

旅行者でもアクセスしやすい位置にある。


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これがアジャンタ総本家のスープカレー。

まさに元祖の流れを汲む正統派のスープカレーである。


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一方インドカリ店のほうは”下町の大衆食堂”といった風情の質素なお店。一見すると喫茶店風の外観にも見える。


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こちらがインドカリ店のほうのスープカレーである。


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アジャンタが世にはじめて「薬膳カリィ」を送り出してから半世紀が過ぎ、いまや札幌市内には200店を超えるスープカリー専門店が軒をつらねている。メニューのバリエーションもインドネシア風、スリランカ風、和風などすっかり多彩になった。


まさにスープカリーの百花繚乱時代ともいえる昨今ではあるが、そんな中にあってもやはりスープカリーの創造主たるアジャンタは別格の存在のようだ。


スープカレーの源流を探る旅と題して、今度食べに行きたいです。


さて、この「喫茶店アジャンタ」が考案した「薬膳カリィ」は、「スープカレー」という名前ではなかった。こういうものを「スープカレー」と命名して世に普及させたのが、札幌白石の「マジックスパイス」である。


いわゆるスープカレーという料理名を初めて使った店、「スープカレー」の名付け親なのである。


札幌白石マジックスパイス


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本店を札幌市の白石区に置き、東京・名古屋・大阪にも店舗展開する人気店。創業は1993年(平成5年)、インドネシア料理の「ソトアヤム」(鶏スープ)を食べた創業者が日本でもその味を提供すべく独自のアレンジを加え作り上げた料理を「スープカレー」と名付けたとされている。


その後「横濱カレーミュージアム」に出店して評判を呼び、スープカレーの名を広く知らしめることとなった。マジックスパイスでは現在スープカレーの「元祖」を堂々と掲げて営業展開を行っているそうだ。


これがマジックスパイスのスープカレー


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店内もすごいことになっている。(笑)


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これはぜひ今度、北海道に帰省したとき、「札幌スープカレーの源流を体験する!」と題して大々的に取材をしたいものだ。


そんな札幌発のスープカレーなのだが、今春に北海道の実家に帰省しているときに、実家のテレビをなにげなく見ていたところ、番組で下北沢のスープカレーの美味しいお店を紹介する、という番組をやっていた。


下北沢は、自分の青春の街。その番組のゲストも下北沢が大好きで、長年に渡って下北沢に住まれている、ということで、自分の興味が一気に湧き、吸い込まれるように番組を見入った。その番組では、そんな下北沢の街歩きとともに、そのゲストの行きつけのスープカレーのお店を紹介する、というものだった。


そのスープカレーは、ほんとうに美味しそうで、しかも下北沢。これはぜひ帰京したら、そのお店に寄ってみて食べてみよう、と思ったのだ。


それを先日実行してきた。



●無添加薬膳スープカレー COSMOS


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餃子の王将 下北沢店のすぐ斜め向かいにある。


下北沢といえばスープカレー激戦区。

その中でも、よくお勧めに出てくるCOSMOSは何といっても薬膳スープカレーで人気。芸能人の方がよく訪れたり、テレビでも取り上げられている有名店なんだそうだ。それでテレビ番組でも取り上げられていたんですね。



無添加食材を使用した身体に優しい薬膳スープカレーのお店である。スープカレーってやっぱり薬膳料理ですよね?(笑)


そういう意味でも薬膳スープカレーというのはすごく合点がいくし、しかも無添加食材を利用している、というところが売りである。


店内はすごく小さなスペースで、全体が黒い色で統一されていて、ちょっと怪しげな雰囲気でもある。テーブルとカウンター席がある。なんか南国の雰囲気ありありの異国情緒溢れる店内のムードでした。


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客層は、100%みんな若者。女性が圧倒的に多かったかな?さすが下北沢です!


とにかく人気店なので、すぐに満員になるし、長蛇の行列ができるほどの人気店である。自分はお昼の12時の開店と同時に1番乗りで入ったので、大丈夫だったが、あっという間に店内満員になり、外には行列ができていた。


メニューはこんな感じ。


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これはすごい!体に良さそう~!まさに大きな具がゴロゴロという感じでバリエーション豊かである。とにかく具がバリエーション豊かで自由に組み合わせることができ、辛さも調節できる。


自分は番組で食べていた”20種類の野菜と豚角煮のスープカレー”を中辛で、ライス大盛で注文した。


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ライスは、日本のお米ではない。長細いお米で、これ日本米ではないですよね?どこのお米ですか?と聞いたら、ジャマイカ米ともち米をミックスさせてます、とのこと。


それにしても、この20種類の野菜の豊富なこと!そしてこの豚角煮、うまそ~~~。すごいヘルシーだと思いました。


このメニューの最大の美味しさは豚角煮にあると思いました。ホロッと口に中でとろけるようなうまさとそのジューシーで甘い豚角煮。これがスープカレー全体がうまい!と思わせるすべての、いやおそらく80%以上の効果はこの豚角煮にあったんじゃないか、と思うほどでした。


そして20種類の野菜のふんだんなこと。ヘルシ~。


カレーの味はちょっと思い出せないな。そんなに特別という感じでもなく、野菜と豚角煮で全部マスキングされるような感じでほとんどカレースープというものを意識しなかった。


ライスが予想していたよりうまくなかったかな。(笑)

なんか、パサパサしていて、無味、味がしないんだよね。


まっスープカレーといっしょに口にかっ込むという感じでしょうか。


あっという間に完食。

大変美味しゅうございました。


●SOUP CURRY ポニピリカ


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化学調味料を使わないスープカレー専門店。厳選されたオーガニックスパイスを使用化学調味料ゼロのスープカレー。


ビルの2Fにあるので、ちょっと閉口したのは、急こう配で細い階段に立ち止まりながら、行列で待たないといけないこと。これは脳梗塞で歩行障害、足に障害のある自分にとって、かなりキツかった。階段で立止まっているのは怖くて怖くて・・・。


店内は、リラックスした若者向けのカジュアルな雰囲気でした。


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自分はこのお店でも番組で推していた”皮がパリッとしたチキンと野菜カレー”をオーダー。スープ味はエビ味にしました。


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これはさきほどのCOSMOSと比較すると、比較的おとなしいスタンダードなスープカレーだと思いました。チキンがやはりポイントですね。そして意外やこのスープカレーの味を90%以上制していたのが、オーダーしたときにお願いした”エビ味”であること。このエビの味が強烈だった~。かなりこのスープカレーの味をこのエビの味が支配していました。


美味しかったです。


番組で推薦されていた下北沢で有名なスープカレー店。2店ともとても美味しいと思いました。下北沢は、スープカレーの激戦区だそうですが、その中でも1位、2位を推す有名店だそうです。


自分の推しは、やはり、無添加薬膳スープカレー COSMOSのほうかな~?

ここは推しです。美味しいです。また来たいと思います。








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サブカルのまち 下北沢 [街歩き]

自分が東京に上京してきた1987年、小田急の新百合ヶ丘に会社寮があったので、そこを住まいとして、会社のオフィスのある山手線内の品川、大崎、五反田のほうに通っていた。


そうすると小田急→井の頭→山の手という路線の乗り換えである。この小田急線から井の頭線への乗り換え駅が下北沢だった。


会社寮に住んでいられる資格は7年間なので、7年間この通勤経路で会社に通っていたのだ。新百合ヶ丘というところは、当時はベッドタウンというか新興土地だったので、住居以外ほとんどなにもなく、ちょっとした買い物をするのにもなにもなくて不便で困ったものだった。(いまはいろいろできていて、かなり便利になっているみたい。)


そういう点から、乗り換えをするところの下北沢は、いわゆる自分の食事処であったり、ちょっとした日用品を買ったりする便利な街だったのだ。


毎日の通勤でかならず、下北沢で下車して、下北沢の街をぶらぶらする。これが自分の上京したてのマイスポットというか忘れようにも忘れられない街である。


下北沢は、若者の街、古着、雑貨などサブカルの聖地として有名だ。サブカルというのはサブカルチャーのことで、日本語にすると「下位文化」あるいは「副次文化」となる。


社会において、その文化の主流ではなく、独自の性質を持つ独立した文化のことを指す。具体的には、日本の漫画やアニメ、アイドルなどに関連する文化、いわゆるオタク文化がサブカルチャーの代表例である。


日本には地域によって独自の文化がある街が多くあり、中でも東京にはアニメや漫画、音楽や劇団など、サブカルチャーが盛んな街が点在している。


代表的なのは秋葉原。アニメ・漫画・ゲーム・アイドルなどのオタク文化の聖地である。秋葉原と並ぶサブカルチャーの聖地として有名な街に、中野がある。アイドルやアニメグッズを取り扱う店が集中しているエリアがあり、サブカルチャーの街として人気の街である。


また、池袋にある「乙女ロード」もサブカルチャーの街として知られている。アニメグッズや同人誌を取り扱っている店が集中していることがオタク文化の聖地といわれる理由である。


そして我が下北沢は、演劇や古着の街として知られ、ここもサブカルチャーの街として人気があるのだ。


街を歩く人たちのファッションも話題になり、古着屋、インテリアショップや骨董品店が多いことでも有名な下北沢。劇場や画廊、ライブハウス、そして居心地のよいカフェや居酒屋など、「下北」という愛称で親しまれているこの街は、ほかにはない、個性的なものを求める人にとってはたまらない場所なのだ。


1970年頃から、下北沢は東京のサブカルチャーを育んできた。ここで発表される作品のほとんどは、メジャーデビュー前のアーティストによるものだそう。


そのためか、若者に人気のある街でありながらどこか懐かしい一面を持ち、さまざまな方面での創作活動を支える街としてのイメージができあがった。



そうなのである。


下北沢のことをふつう「下北沢」とフルネームでは呼ばない。

みんな通称、「下北」「シモキタ」と呼ぶ。


自分も下北(シモキタ)と呼んでいた。


下北は一種独特な街の景観だった。

とにかく古着、雑貨、飲食店街が、通りの両側にびっしりと密集していて、いわゆるごちゃっとしている景観で、いかにも若者の街、サブカルの街という感じである。


上京したての頃の自分の東京での溜まり場、遊び場といえば、新宿、渋谷、そして下北沢だった。共通するのは人が多く、ごちゃっとしている景観であること。


北海道の田舎から出てきたばかりの自分はこの3つの街に、”東京”というイメージを投影していて、それを肌身に感じていたところがあった。


東京=新宿・渋谷・下北沢だったのだ。


でも歳をとってくると、もう完全に変わってきますね。いまはもう新宿とか全然ダメ。人が多すぎるし、街の景観がごちゃごちゃし過ぎて、精神的にも視界的にも疲れすぎてもう受け付けない。不思議なもんです。あれだけ新宿で遊びまくっていた若い頃、新宿西口の夜の高層ビル街では彼女とデートを楽しみ、新宿の街は隅から隅までよく知り尽くしていた。


いまはもうまったく受け付けない。いまはやはり赤坂のようなクラシック音楽の似合う静かで高級なところがいいです。歳を取るとともに、嗜好が変わりますね。


自分にとって、下北は、そんな若い青春時代の代表する想い出の街であった。


歳をとってくると、若い頃自分が住んでいた街、慣れ親しんでいた街にひさしぶりに訪れたくなる。人間ってそういう生き物なのである。


認知症というのは、最近のことから忘れるのである。昔のことはずっとよく覚えているのである。だから人間って生き物は、若い時代の頃を懐かしみ、その場所に再訪してみたくなる・・・そういう生き物なのである。


下北沢、いや下北(シモキタ)を再訪してみた。


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もう下北沢駅からして大きく改築されていて、もうガラ変であった。これは都心の路線増設の常識であるが、新しく増設しようとするなら、もうひたすら地下を深く掘っていくしかないのだ。小田急線は、昔と違っていまはもう完全に地下深いところにあった。


井の頭線のみ昔のままの地上の路線が残っている感じであった。


とにかく駅がガラ変。驚きである。


こんなスターバックスやレストラン街などが集中しているエリアも駅内に増設されていた。


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ネットで古い時代の下北沢駅の写真を探してみた。自分の1987年時代の写真である。


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こんな感じだったなー。これが自分のイメージにすごく近い。


駅の階段を下りてきて、この改札口を出たところに、ドトールやファミリーマートがあったような気がするのだ。だからこの写真で間違いないと思う。


自分はこのファミリーマートで毎日のご飯、弁当、あるいは日用品なんかを買っていた。この小田急下北沢駅口のコンビニで毎日の日常品の用を足していたのだ。


自分が当時下北沢の街を毎日歩いていたのは、下北沢南口商店街である。ここは健在であった。


この通りの両側にびっしりとお店がひしめいているのだ。でもあの当時どんなお店があったなんて、全然覚えていない。もう36年も経つのだ。


下北沢南口商店街の通りを歩いてみる。。。

下北ってこんな街である。


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いまの時代、ケバブもあったりします。(笑)


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このなんというかごちゃっとしている景観は、昔と変わらないのだけれど、おそらく36年前に見ていたお店といまのお店とでは全然違うと思うんだよね。たぶん総入れ替えに近いくらい、テナントとして入っているお店は36年前と比較しても全然違うと思う。いまはチェーン店が多いですよね。



下北沢が長年「サブカルチャーのまち」「若者のまち」として愛されてきた背景には、個性派個人店が多く存在していたことがある。


この個人経営のお店こそがサブカルのまち「下北沢」を代表する街を形成していたところがあると思うのだ。


しかし、まちの人気にともない、店舗の賃料が上昇。潰れた個人店の跡には、高い賃料が弊害となり小さな個人店は入ることができず、大手チェーン店ができる……という流れが生まれ、下北沢の特色を生む個性派個人店がオープンする「余白」がなくなりつつあるのだという。


これがいまの下北沢の状況なんでしょうねぇ・・・。こうやっていまの南口商店街の通りを歩いてみても、みんなチェーン店かな~という印象は否めない。


南口商店街をずっと歩いていくと、ちょうど正式な交差点ではないけど、ラフな分かれ道のところに遭遇するのだが、ここにあるこのミスタードーナッツ。


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これはなんか、36年前からずっとここにあるような気がする。なんか自分の記憶にあるのだ。確かにここにミスドあったな~、という感じである。


そうして、今回36年ぶりに下北沢を再訪してみようと思った1番の理由は、餃子の王将 下北沢店である。前回、下北の街を再訪して、あの頃の餃子の王将を探してみたんだけど、たしかにここにあったんだけどな~というところになにもなかった。あちゃ~もう36年前だからなくなっちゃんだな、と思いました。


ところが、そのエリアは下北沢北口だったことが後日判明。(笑)

餃子の王将は、南口エリアにあるのでした。


なにせ、下北沢駅はすごく新しくなってガラ変しているので、どっちが北口でどっちが南口だったのかよくわからなくなっていたのです。自分の青春時代は、みんな南口エリア、南口商店街での話です。


それをいまの自分は、北口エリアを歩いていて、あの頃とはずいぶん違うな~。変わっちゃったな~。餃子の王将もなくなっちゃって・・・なんて瞑想していたのです。とんだ勘違いでした。(笑)


下北沢の南口商店街をずっと歩いていくと、ありました!


餃子の王将 下北沢店。


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ここです!まさにここ!

36年前とまったくこれぽっちも変わっておらず。あの当時のまんま。


この餃子の王将 下北沢店こそ、我が人生で、はじめて焼き餃子というものを食べた場所。もちろん人生で餃子の王将というお店に入ったのもここが初めてである。当時の北海道にはなかったです。


上京したての頃は、本当にお金がなくて貧乏だったので、毎日ここで餃子定食を食べていたのでした。オフクロは家庭ではどちらかというと水餃子のほうをよく作ってくれたので、焼き餃子というのを子供のころあまり食べた事がなかった。この餃子の王将 下北沢店で初めて食べて、焼き餃子ってこんなに美味しいものなのか!と目にウロコであった。ほんとうに夢中になった。毎日食べてました。


自分は、下北沢というと、ここ餃子の王将で焼き餃子定食を食べていた記憶しかないです。


このドアがいまどき全自動ではなくて、こういうマニュアルな手動の開きドアになっているのもあの当時のままなんでしょう。


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店内もまったく、これっぽっちも変わっていませんでした。

自分の記憶、イメージ通りの店内です。


懐かしすぎる~。(笑)


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自分のいつも座っていた場所は、ここのカウンターだったんですよね。

ここが自分の定番の場所でした。


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餃子の王将 下北沢店は、お昼時ということもあったのでしょうが、大変混雑していて商売繁盛のようでした。お客さんはみんな若い人が多いですが、この人たちもこれから36年後に、ふたたび下北沢を再訪したときに、懐かしくて、この餃子の王将 下北沢店に再訪して懐かしむのかな~と思いました。自分がそうであるように・・・


餃子の王将は永遠ですね。永遠に受け継がれていくメニューですね。


スタンダードに餃子定食を注文しました。(にんにく激増し餃子ではない。ふつうのです)


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まっ、とくに下北沢店特有の味というわけでもなく、餃子の王将はどこでも同じ味ですね。おらが街のお店と同じ味でした。


でも自分が青春時代の若い頃に毎日通っていた餃子の王将 下北沢店を再訪できてうれしかったです。まったくあの当時のあのまんま。涙が出てきました。。



あれから36年間、同じ姿でいてくれた餃子の王将 下北沢店。

自分にとって餃子の王将の原点の場所でした。

これからもずっとここにいて、下北の街を見守っていって欲しいです。


これで自分の下北を再訪する一番の目的が達成されました。

満足です。


あと、そのほかにもいろいろ懐かしい下北の街をぶらぶら。


下北沢本多劇場


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下北沢の「本多劇場」は、1982年に開場した東京を代表する劇場。俳優として所属していた会社が倒産し、俳優業を続けられなくなってしまった本多一夫氏によって創られた。


「演劇の道を志す若者に、活動の機会を提供したい」という思いから、約10個の小劇場を設立しており、日本の現代演劇界に大きく貢献しているそうだ。


本多劇場の1Fには本や雑貨を扱っているヴィレッジヴァンガードが入っている。ここには本やCDから小物類や豪華な日用品に至るまでさまざまなグッズがあるそう。店内は迷路のようになっており、まるで宝探しのようにおみやげ探しを楽しめるそうだ。


本多劇場は、まさに下北沢を代表する名地ですね。下北に本多劇場あり!というように名高かったと思います。


この本多劇場、近いうちに役者さんたちによるお芝居を楽しみたいと思っています。近々に実行します。


自分は、映画やドラマは観るけど、お芝居、舞台というのは縁遠いんですよね。なかなか経験がない。いままでの人生のうちで友人に誘われた1回しかないのではないだろうか?(渋谷の劇場だったかな?)


舞台は、役者さん、俳優さんたちにとって、勝負というか、人間としてそのままありのままが観客に見えてしまい、ある意味勝負処なのではないかなと思ったりします。映画やドラマだとカメラというフィルタを通しての自分の表現。でもお芝居、舞台は、そういうフィルタがないので、そのまま自分という人間が全部丸写しで観客のみなさんに見えてしまうので、俳優としては勝負!!!という感じなのではないかな、と想像していたりしています。


そんな俳優さんの真剣勝負をこの本多劇場で体験してみたいです。


サブカルのまち 下北沢。


さすが若者のまちです。ひさしぶりに歩いてみて、99.9%完璧に若い人しか歩いていません。すれ違う人、みんな若い人ばかりです。年配の方はほとんど見かけなかったような気がします。


そこはいまも昔も変わりませんね。


でもそういう表面的な景観は変わらないような感じはしますが、その”サブカルのまち”として名を馳せてきたその意味合いが大分違ってきているのではないかな、という印象は受けました。








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