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三田詣 [グルメ]

ひさしぶりに"総帥"山田拓美さんの三田本店の二郎が食べたくなった。ラーメン二郎の自分の想いを日記にしたときに、これは三田詣をしないとなぁ、という気持ちに駆られたのだ。


いまでも思うのだけれど、ラーメン二郎が本当にうまい、こんなうまいラーメンがあるのか、と心底思ったのは、奥さんと2人でやっていた慶応大学三田キャンパス東南の角に当たる慶應仲通りに通じる交差点脇にあった時代。


あの"総帥"山田拓美さんが作っていた二郎ラーメンほど美味しいものはなかった。


あの頃が1番美味しいと感じたのだった。あれを超える二郎ラーメンは、どこの支店でも体験することはできなかった。


同じ山田さんがいまでも作っている三田本店の二郎ラーメンは、大変申し訳ないのだけれど、そしてとても言いずらいことなのだけれど、あの頃の味ではないような気がする。あの時代を体験したく、何度もいまの三田本店に通ったが、そのたびに、あれ~こんなんじゃなかったけれどな~~~と思うのが正直なところだ。申し訳ないです。


これが自分の三田本店の正直な感想というところだった。やっぱりジロリアンにとって、三田本店というのは"総帥"のいる聖地なのである。おいそれとして、批評することこともできないし、どうしても自分の意図するところの味ではないと思ったなら、あえてそれに言及するのではなく、距離を置いておくことだ。


なにも言わない。そう思っていたのである。


そう思って最後の三田本店に行ったのは、もう何年前だろうか。ひょっとすると10年くらい行ってないかもしれない。


先日、ラーメン二郎の日記を書いたとき、これはひさしぶりに三田本店に行かないといけないなぁと直感で感じたのである。


またもう一回三田本店に行って確認してみたいことがあった。


それは、普段自分が思っていることで、三田本店の二郎ラーメンについてもあてはまることではないかなと思っていたことがあるからだ。


それは、ものごとは、すべてにおいて、時代とともに進化する、ということである。これは絶対間違いない。


もうありとあらゆるジャンルにおいて、ものごとというのは、必ず進化している。昔のほうがよかった、ということなどないのだ。


絶対、昔とは比較にならないほど、進化している、現代という時代は。


それは大河ドラマなどのドラマ作りにだって言えるだろう。43年前のドラマを今見ても、きっと古臭いと感じるし、セピア色の画面に見えてしまう。もう時代を感じてしまう。でも43年前当時は、それが時代の最前線として放映されていたのだ。


昔は、勧善懲悪、主役と悪い役など、はっきりと分かりやすいキャラ設定だった。でも今見ると、ものすごい古臭く感じるだろう。そしてそんな設定では、現代人にとってはあまりに単調で見るに耐えられないだろう。


やはり現代人のスピード感あふれる感覚にあった非常に複雑なキャラ設定など、その巧妙さは1枚も2枚も進化せざるを得ない。


ドラマ作りは確実に進化しているのだ。


クラシック音楽だって、そうだと思っている。オーケストラの演奏能力、各ソリストの演奏技術は、昔と比較にならないほど、研究され進化してきているのだ。そして、その演奏を記録する映像・オーディオ機器装置の進化。もう昔のスペックの規格では見るに耐えれないほど現在の技術の進歩は凄い。またオーケストラなどのライブ映像を撮るカメラワークもずいぶん研究されてきて、進化してきた。昔は、カラヤンの造った映像のように、まるで作り物の人形が演奏しているかのような一糸乱れぬ演奏姿が美しくてよし、とされた時代であったが、いまはもっとライブっぽい、じかに実演を体験しているかのような映像に変わってきた。まさに時代とともに進化してきているのである。


スポーツだってそうだろう。手短なところでいえば、野球。プロ野球。自分は、昔、大学生のときは、よくプロ野球を見ていたが、いまはまったく見なくなった。体力的にもう無理なのだ。


でも必ず、深夜のニュースになると、スポーツコーナーを目にすることから、自分がふっと思うことがある。それは最近の選手のパワーはすごいな、と思うことだ。ボールを遠くに飛ばす瞬発力、バットとボールがあたったときの瞬発力、遠心力がすごくて、まるでピンポンのようにボールをスタンドに飛ばしてしまう。


体のサイズも昔と比べて、一回りも二回りも大きくなっているし、とにかく体の基本が違うし、パワーが違うな、と思うことだ。


野球人気は、自分が大学生の時代だった1980年代は、野球は国民的スポーツで、ゴールデンタイムに地上波で放映されていて、つねに高視聴率だった。でもその当時と比較しても、選手の体、パワーなど全然違う、進化していると感じざるを得ない。


いままではあくまでたとえの例にしかすぎないけれど、たぶんすべての事象について、あてはまるだろう。ものごと、すべてのものは、確実に進化している、ということだ。


じゃあそれでオシマイかというと、そんなに単純なものでもないんだな。(笑)人間には、なんでも進歩、進化といういわゆる絶対的なものさし基準だけでは測れないものがあるのだ。


自分もある程度の年輪を重ねるようになってから、わかってきた感覚だが、やはり人間というのは、自分の青春時代、自分が人生で一番輝いていたときの頃が忘れらないものなんだな。


これはドラマにしろ、クラシックにしろ、スポーツにしろ、すべてにおいてである。いまと比較すると、それは技術的にも古臭いものなのかもしれないけれど、自分にとっては、やはりその当時、自分が子供のときに体験したことだから、特別なメモリアルなのである。


そして、それがすごく感傷的な想い出として、いつまでも自分の中に残るものなのである。これは正しい、正しくない、進化している、とかの基準ではないから、本当に曖昧で自分単位の想いである。


これは各個人で様々であろう。それを否定することはできないと思うのである。



世の中は、本当に着実に進化していくものだけれど、人間の想いだけは、いつまでもあのときを惜しむ、という積年の想いに追いやられることが多いんじゃないかな、と思うのである。


それは人間の人生が有限で終わりがあるからでもある。


人生の勝者というのは、そういう個人単位の自分なりの想いをいかにたくさん経験するか、ということなのではないだろうか。。。


過去のものは、その当時としては、最前線として登場したものであるから、時代が経って古臭くなったとしても、我々は、それには敬意を表すべきなのだろう。


クラシックの世界は、特にそういう側面が極端に残っている世界だと思う。


新しい世代の演奏家による新しい演奏会中心の展開も素晴らしいが、クラシックの世界では、過去の名巨匠、名演奏家による〇年〇月〇日のあのときの名演奏、名音盤という世界がある。その世界に特別な敬意を払い、いまも研究を尽くされている音楽研究家の先生方もたくさんいらっしゃる。


クラシックのそういう世界というのは、これまた一種の魅力なんだな。リアルタイムで体験できた想い出よりも、自分が体験できなかった時代の昔の音源、映像をすごく神秘的に感じしてしまうものなのだ。


その世界は、やはりその世界として尊重されるべきで、我々も敬意を表すべきだと思うのである。


ものさしが別基準なんだよな。


・・・そんなことを想っていたのである。(笑)書けば、すごく長くなってしまうのだが、そんなことを最近つらつらと考えていたのだ。


そうすると、"総帥"山田拓美さんがつくるラーメン二郎についてもそこに関係してくるかな、と思っていて、それを確かめたいと思っていたのだ。


ラーメン二郎、三田本店は、JR山手線の田町駅で下車する。しばらく来ていないから、駅前は歩道橋などきちんと整備されていて、ずいぶん印象が違うような気がする。



そして、ここ!慶應仲通り商店街を通っていく。


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懐かしいなぁ・・・全然変わってないや。変わってないということは反面、進化がないということだから、錆びれていく感じがしますね。


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そして、その商店街を抜け出た後に遭遇する交差点。


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ここである。この交差点のあの場所に"総帥"山田拓美さんのラーメン二郎があったのだ。自分にとって、ラーメン二郎と言えば、この交差点隅にあった時代のことを言う。


なんと!いまや二郎があったところは、パン屋さんが出来ていた。


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そしてあの当時と違って、ややスペースを確保して、ちょっとしたエリアを作っていた。ずいぶん変わったんだな~という感じである。


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この交差点隅にあった頃のラーメン二郎の写真をずいぶん探したのだけれど、1枚も見つからなかった。当時はデジカメとかなくて、フィルムカメラの時代だし、ネットSNSとかもなくて、写真を撮影して投稿するという文化もなかったからね。それが1枚も写真が残っていない原因なのであろう。



ちょっと残念だな~と思っていたのだが、偶然にも、YouTubeで当時のこの交差点隅にあった時代のラーメン二郎の動画を発見してしまった。


そこから切り取ってくると、


これが交差点隅にあった時代のラーメン二郎。


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そしてこれが店内です。


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ここです、ここです。まさにここです。懐かしすぎる~。(笑)この時代は、お店は山田さんと奥さんの2人でやっていたんですよね。そして今みたいに、支店とかもなかった時代。ここのお店だけでやっていたのだ、ラーメン二郎と言うのは。


ここの山田さんが作る二郎ラーメンほど美味しいものはないと思っていたのである。それは三田本店をはじめ、いまどこの支店を探しても、あの頃のうまさの二郎ラーメンには出会えないのである。


そんな想いを抱えながら、恐る恐る三田本店へ。10年ぶりくらいか?じつにひさしぶりの三田本店。


11時20分に接続して、11時53分に着丼できました。


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久し振りに会った山田さん。元気そうだったが、ちょっとしんみりすることもあった。もう今や、ラーメン作りは全部、若い衆に任せ、山田さんは見ているだけの監督業だったことだ。前回行ったときは、まだバリバリと山田さんが前線でラーメン作ってたから、なんかすごい寂しい感じがした。やはりもう高齢で、手とかも無理なんだろうな。番組ではテーピングして、もういまやこれしないとできないというようなことを言っていたから。


三田本店の二郎ラーメンはどうだったのか・・・


美味しかった。ふつうに二郎ラーメンでした。(あっさり)(笑)


自分が最近考えていたことは、人間って輝かしいあの頃を懐かしむ郷愁の念にかられやすい性格だから、おそらくあの頃の味を想い出の中であまりに美化しすぎていて、敷居の高いレベルに自分が勝手に押し上げていたところがあったのではないか、と思ったのだ。


じつは二郎ラーメンは別に全然変わってなかったとか。

あの当時のままの味を続けていた。

そんなオチを考えていた。


三田本店の二郎ラーメンは、ふつうに美味しくて、ふつうに二郎ラーメンだったので、ホッとしてそういう結論に達したのである。


また普段長々と考えていて、そういうオチではないかと思い、それを確かめにひさしぶりに三田本店に行ったというのが真相である。










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