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スチュアート・コープランド [海外ロック]

スティング、アンディ・サマーズと語ってきたら、ドラマーのスチュアート・コープランドのことも語らないといけない。もうこれは自分の使命である。


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”ポリスサウンド”とは?とあらためて考えたときに、いろいろな要素がある中で、スチュアート・コープランドのドラムはもっとも大事と言うか、その根底にある基本中の基本と言っていい。


彼のスネアドラム”ビシッビシッ”と疾走する感じで突っ走るドラムは、まさに”ポリスビート”と言われ、ポリスというバンドのサウンドの根底にあった。


とくに左手のスティックの持ち方に特徴があって、その左手がいわゆる、”ビシッビシッ”のビートを生んでいるのである。


左手で一定間隔のリズムで”ビシッビシッ”を叩き出し、それをベースにして、右手でランダムに高速の飾りの装飾打音を加えていく。


これがスチュアート・コープランドのドラム技法である。彼のドラムの一番のポイントは、この左手による一定間隔のビシッビシッなのである。これがすごい疾走感で突っ走っているような印象を我々に与える。ポリスビートと言われる一種独特のドラムビートに聴こえるのは、すべてこの左手の使い方にあると自分は思っている。


タイミングが前であること。フラムの多用。


ロックバンドでいろいろなドラマーを見てきたけど、かなり個性的で特徴があり、あまり他にはいないタイプだった。


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あの人間業とは思えない、規則的で一定間隔で叩き出すビートは、本当にすごいものがある。よく彼らのライブの映像素材を夢中になって見ていたので、スチュアート・コープランドは、じつにうまいドラマーだな~と子供の頃から思っていた。


そしてスラっと細身でさらに長身で、とにかく身体能力、運動能力が抜群に長けた人で、もう全身バネなのである。もうバネとしか言いようがないくらいピョンピョン、瞬発力がある。


ライブの最初にステージに3人が上がってくるときも、スチュアート・コープランドは大抵Tシャツに半パンツという軽装で、汗をかき、運動量が半端ないドラマーにとってはある意味あたりまえの服装なのだが、もういつもステージ上でピョンピョン跳ねているイメージしかない、自分には。


とにかくすごい体にバネのように瞬発力があって、あういう体の造りだからこそ、ポリスビートが生まれたんだな、と思ってしまう。


ロックバンドのドラマーは、数知れず出会ってきたが、かなり個性が強いユニークで特徴的なドラマーだと自分は思う。


彼のスネアの効いた”ビシッビシッ”のビートを体験してしまうと、もう他のバンドのドラマーの音は温くて緩くて自分には刺激のないものに感じてしまう。


スチュワート・コープランドのドラムは左手の使い方に特徴があると言ったが、音量が求められるロックドラマーとしては珍しく、左手の手のひらを上に向ける「レギュラー(トラディショナル)・グリップ」の使い手なのである。


プレイはリバウンドを最大限に活かし、アタックが強くオープンリムショットや打面を両手でほぼ同時に叩く「フラム」を多用するのが特徴。


そして、何より肝心なのはハイハット・シンバルの表現力。


とにかく突っ走る感じで、放っておくとどんどん前のめりになっていってしまう。走るタイプのドラマーである。切れ味が素晴らしい。



スティングは、感情が高ぶりやすい。

アンディ・サマーズのプレイの安定感によりギリギリの線を保ち、豊かな演奏をしている。そんな3人のバランスであろうか。


ドラムが「ハシる」というのは決して悪いことではなく、これこそがスチュワート・コープランドの味であり、ポリスを象徴していると言っていい。



使用ドラムは日本のTAMAの愛用者で有名である。


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そんなスチュワート・コープランドだが、25歳で参加することとなるポリス以前には


・プログレッシブロックバンド「カーヴド・エア」

・ジャズロックバンド「ラスト・イグジット」


に参加しており、プログレやジャズロックの土台があった。


そのため、エイトビートを美徳とする「パンクバンドのドラマー」では考えつかない視点を備えていた。


運動能力、身体能力抜群のドラマーだったが、音楽的な素養、知性溢れる音楽家でもあった。


スティングに出会い、彼の才能に惚れこんで、彼を誘ってポリスというバンドを立ち上げたのは、スチュアート・コープランドである。


”POLICE=警察”と人を喰ったようなバンド名を考えたのもスチュアートである。


またポリスのあのレゲエサウンドを考案したのもスチュアートである。スチュアートがスティングにレゲエを薦めて、スティングがすっかりその魅力に取りつかれてしまい、自分の作曲にどんどんレゲエを取り入れていくようになる。


ロックバンドにありがちな単調なエイトビートの範囲を大きく逸脱した複雑なリズム体系を取り入れて、かなり高度なサウンドを構築できたのもスチュアートの音楽的素養と彼のドラミングによるところが大きい。


デビュー当時は、ロンドンのパンクバンドのひとつとして見られていたが、そんなやつらとは3人は経験や素養が全然違っていた。それがすぐにわかってきて、実力通り、頭角を現してくるのである。


ポリスをパンクバンドとしてデビューさせようというアイデアもスチュアートである。



スチュアート・コープランドはアメリカ生まれのアメリカ人である。


父マイルス・コープランドJr(1916年~1991年)はミュージシャンで、CIAのエージェントでもあり、その前身である戦略情報局が設立された時のメンバーであった。


母ロレーヌ・コープランド(1921年~2013年)はスコットランド人の考古学者。長兄マイルス(コープランド3世、1944年~)はインディレーベルを創業してポリスをデビューさせ、ポリスの初期のマネージャーも務めた。のちI.R.S.レコードを創業しR.E.M.やゴーゴーズを世に送り出した。次兄イアン(1949年~2006年)は、ポリスのブッキング・エージェントを務めていた。


スティングはどちらかという内向的でナイーブな性格でクリエイターの役割なので、ポリスというバンドの運営などは、兄たちがバンドのマネージャーをしていたこともあり、スチュアート・コープランドが実質的なリーダーといってよかった。



そしてスチュアート・コープランドはどんな人、性格なのか?


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もうアメリカ人そのものである。根っからの明るい性格で、もうヤンチャそのものである。そしてマシンガンのように喋り出したら止まらない。


ポリスの最初の頃のインタビューで3人で受けていたときのこと。インタビューアーの質問に対してスチュアートが一方的にずっと喋りっぱなしで、他の2人は話す機会がなかったことがあったそう。


それ以来、バンドのインタビューは、今回は誰が答える、というように、答える担当を決めて臨むことになったそうである。


根っから明るいアメリカ人のスチュアートと、内向的でナイーブなスティング、そしてギタリストとして経験豊富で人生でも先輩だったアンディ。そんな絡み合いだったようである。



スチュアート・コープランドにとって、スティングとアンディとのつながりは、どのくらいのスピードで発展していったのだろうか?あるインタビューでこんなふうに語っている。


「スティングとは、すぐに打ち解けたよ。彼が演奏しているのを見て、“すごいベーシストだな、それに歌も歌える!かっこいい!これはいい。これで僕の歌のニーズは満たされる”と思ったよ。でも、彼があんなに歌えるとは誰も思っていなかったんだ。


アンディが加入したとき、スティングは意見を言わないので、バンドのマネージャーとしてはちょっと居心地が悪かったんだ。僕がフォトセッションを行い、写真を選ぶと、彼は“いいよ、何でもいいよ”と言うんだ。彼は音楽をやるのに忙しいんだ。それが彼の仕事だからね。


でも、アンディが加入してからは、いくつかのことがあった。第一に、意見を求める行為(セカンド・オピニオン)に対応しなければならなかった。アンディがいることで、バンドにもう一人、ビジネスのことを考える人がいることは、実は素晴らしいことだったんだ。


もうひとつは、本当に重要なことなんだけど、彼が持っていた派手なコードだったんだ。スティングに火をつけたんだ。アンディがバンドに加わった日から、スティングは、ものすごい曲を書き始めたんだ。ジャズをやっていた彼は、自分がどれだけ優れたソングライターなのか、本人もわかっていなかったんじゃないかと思う。でも、3分間の曲を演奏することを余儀なくされ、アンディのスキルと才能に恵まれたことで、すべてが一つになり、彼は素晴らしい曲を書くようになったんだ。」


ポリスが実質活動を休止し始めた1984年以降。スチュアート・コープランドはどのように音楽家・ドラマー人生を歩んできたのか?


スチュアートは、非常に頭の回転が速く、頭脳明晰で、知性も豊富だった。単なるいちドラマーとして人生を終えなかった。


ポリス解散か?永久に活動休止と言われていた1984年以降。スティングはソロ活動開始。アンディは盟友ロバート・フィリップとギターの共作アルバムを制作。そしてスチュアートは映画のサントラを制作するというミッションで忙しかった。


スチュアートが担当した映画サントラが、この「リズマニスト」である。1985年かな?スチュアートがアフリカの巡礼の旅をおこないその模様を収録した映画で、スチュアートのソロ映画作品、そしてサントラだった。


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1985年当時、スティングのソロはレコードを買って聴いていたし、アンディとロバート・フィリップスのギター共作のアルバムもレコードを買って聴いていた。でもスチュアートのこのサントラのソロ作品だけ買えなかったんだよね。大学の学生だったから当時お金がなかった。それ以来ずっと聴きたいと思いながらもずっとそのままになっていて、今回スチュアートの日記を書くにあたって、このアルバムを買って聴こうと思った。


でもすでに廃盤で通常ルートでは買えなかった。中古市場で探し出し、5000円も払ってやっと入手しましたよ。


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もう感無量でした。もう40年ぶりの再会である。40年経っていまようやく彼のソロを聴けます。


全般的にアフリカのあの民族音楽が全体のモチーフとなっていて、すべての曲に装飾されている。あの当時はポリスのドラマー、スチュアート・コープランドが担当したサントラということでかなり話題沸騰になっていたけど、いま聴くとやはり色褪せるというか、アフリカ民族音楽を聴いている以上のものはあまり特別に感じなかった。ただ9トラック目の曲で一気に目が覚めた。あのスチュアートのビシッビシッというビートが炸裂して、おぉぉぉおおお~これこそスチュアートのドラムということで、興奮してしまった。このアルバムで唯一自分がオッと思ったところかな?


この映画では、こんな撮影も。オリの中でドラムを打ちまくり、ライオンが興奮して襲ってくるみたいな。(笑)


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バンド活動休止になってからも、スチュアートはいろいろ活動が豊富で忙しかったようである。


1989年にアニマル・ロジックという3人編成のバンドを結成する。ベースとシンガーとドラムというトリオである。2枚のアルバムを出したが、続かずそのまま休止状態だったが、2022年に再結成して31年ぶりに新曲を発表したそうだ。


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作曲家としての活動も豊富でいわゆるサウンドトラックである。


1983年、映画監督のフランシス・フォード・コッポラの依頼で映画「ランブルフィッシュ」の音楽を担当して、ゴールデングローブ賞の作曲賞にノミネートされた。これをきっかけにコープランドは、映画「ウォール街」(1987年)、「トーク・レディオ」(1988年)、「見ざる聞かざる目撃者」(1989年)、テレビ番組「ザ・シークレット・ハンター」(1985年-1989年)、Dead Like Me(2003年-2004年)、ビデオゲーム「スパイロ・ザ・ドラゴン」などのサウンドトラックを担当した。



オペラ・バレエ・管弦楽曲でも活躍している。


「ランブルフィッシュ」の制作スタッフの一人であったマイケル・スムーインがサンフランシスコ・バレエの監督になり、コープランドにバレエの作曲を依頼した。彼は依頼に応えて「リア王」を作曲し、サンフランシスコ・バレエはこの作品を1984年に初演した。彼はこの活動をきっかけに、クリーブランド・オペラの総監督であったデビッド・バムバーガーにオペラの作曲をもちかけられて、4年間を費やしてHoly Blood and the Crescent Moonを作曲したのだそうである。


ポリス時代でもアルバムの曲の8割から9割はスティングの曲なんだけど、残りをアンディとスチュアートで分けるみたいな感じで、デビュー当時から作曲には携わっていた。ただそれをお披露目する機会がなかっただけのこと。


ポリス時代のスチュアートの曲はなかなかセンスがよくていい曲が多いと思っていたので、ソロになって自分の作曲能力を存分に発揮できていて本当によかったと思う。


この彼の作曲活動の履歴をいま理解しても、まったくすごいと驚かないし、彼ならそれだけの才能はあったと思っている。



いま最近のスチュアートの活動はどうなのか?

ちょっと調べてみた。そうしたらびっくりたまげてしまった。


なんと!!!クラシックのオーケストラとドラムとの競演ということで、クラシックのコンサートホールでコンサートをやっているのだ。


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Police Deranged for Orchestraということで、ポリスの曲をオーケストラを使って実現しようという試みである。セットリストを見ると、デモリューションマン、キング・オブ・ペイン、ロクサーヌ、マテリアル・ワールド、ウォーキング・オン・ザ・ムーン、高校教師、そして見つめていたい。。。


あのポリス時代の名曲目白押しである。

しかもアムステルダム・コンセルトヘボウでの実現である。(笑)


そのときの模様を紹介しよう。なんとスチュアートが指揮までやっている。いやいやギターまで弾いちゃってますよ。(笑)ポリスの曲をオーケストラで演奏する時代が来るとは思ってもいなかった。


クラシックの世界では弾き振りというのがあるじゃないですか?この写真を見てみると、どうも弾き振りならない”叩き振り”という感じなんですよね。ドラムをオーケストラの中心に添えるとは!


クラシック界におけるロックバンド・ポリスへのオマージュという図なのでしょうか・・・。


もう驚きとしかいいようがないです。


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Police Deranged for Orchestra。


Derangedというのは「精神が錯乱した」「気が狂った」という意味である。(笑)まさにポリスの曲をクラシックアレンジというのは狂気の沙汰なのだろう。


なんと!さらに驚くことに、このPolice Deranged for Orchestra、アムステルダム・コンセルトヘボウだけではない。去年の2022年から今年の2023年にかけて、いま世界ツアーをおこなっているのだ。(笑)


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ロンドン、ドイツ、ハンガリー、ポーランド。。

ひたすら驚くしかない。



まさか、スチュアート・コープランドがポリスの曲を使ってオーケストラと共演してクラシックのコンサートホールで演奏する日がやってくるとは!夢にも思わなかったです。(笑)日本にも来てほしいです。



陽気なアメリカン、スチュアート・コープランドの快進撃はまだまだ続きます。


彼が参加したアルバムのサウンドが本年度2023年のグラミー賞でベスト・イマーシブ・オーディオ・アルバムとしてノミネートされているそうだ。イマーシブ、3Dオーディオ、空間オーディオですか。。。最先端を行っていてさすがとしかいいようがないです。


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ドラムだけじゃないよ~~~・ギターも弾いちゃいます。(笑)


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陽気なアメリカン、なんか元気そうでよかったです。

ひさしぶりにスチュアート・コープランドのことを気にかけてみたら、予想をはるかに超える活躍ぶりで安心しました。


なんか自分はえらく元気をもらった気がします。









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スティングの来日公演_2023に向けて [海外ロック]

スティングがまた来日する。「マイ・ソングス・ジャパンツアー2023」である。


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「マイ・ソングス」というのは、いまから4年前の2019年にポリス時代からの自分のヒット曲をセルフカバーしたベストアルバムである。


ポリス時代の名曲からソロ楽曲まで40年以上のキャリアの総決算、いわば自分のミュージシャンとしての道標、歴史絵巻のような位置づけのアルバムである。そしてその秋には、そのベストアルバムにちなんだ世界ツアーもおこなった。


日本にも来てくれて、行きましたよ~。

幕張メッセでした。


とにかく幕張メッセというのは展示会用ホールであって、音楽ライブ会場としてはどうなのか、という感じで、ましてや大爆音のロックショーである。もう体中にドスンドスンというすごい振動が伝わってきて、耳が壊れるくらいの大音量。


そのとき、自分は年齢的にも体力的にも、もうロックのライブは無理かな、と感じてしまった。


今回、また日本に来てくれるということで、また行ってみる?とも過ぎったが、4年前と比較して、いまはかなり耳が弱くなっているので、もうあのような爆音は無理だな~と思い、今回は遠慮することにした。


自分にとって、2019年の「マイ・ソングス・ジャパンツアー」が自分にとってのスティングの総決算であった。


あの公演は最高に素晴らしかった。

日記にもその熱い想いを書いた。


「スティングが、ロックや彼仕様のジャズ・ロックの音楽性に飽きてきて、クラシックやもっと違った音楽性にトライしていたようなところもあって、ずっとそういう期間が長期間あり、ロックからすごく距離を置いていた時代があったと思う。


アーティストとして自分の音楽性を広げるという点では、それもあくまで正しい選択なのだけれど、やっぱり古くからのファンというものは、いつまでも自分がもっとも入れ込んでいた時期の姿、音楽性に愛着がある訳で、いろいろなジャンルに挑戦するスティングに不満とまではいかないまでも、どうしてもついていけない部分もあったのではないだろうか?


前作からロックに復帰してくれて、今回のアルバムでは自分のキャリアの総決算のロックアルバム。


やっぱりスティングにはロックが一番似合う!」


自分は4年前にこう書いて締めていた。そして最高のコンサートで、もう彼のコンサートに行くことはないかな、もうこれでお終い宣言をしていた。


予算や耳の調子、体力があればぜひまた行きたいのだが、やっぱりちょっと無理かなぁ・・・。


今回の日本ツアーの真意はどこにあるのかな?あれから、とくに新曲をリリースしたわけでもなく、4年前と同じ総決算的なマイ・ソングス中心のナンバー。


やっぱり2020年に世界中でコロナのパンデミックが始まってしまい、それ以来2022年までの2年間、音楽ライブは諸悪の根源みたいな扱いを受けて、ライブをやることは許されなかった。


ミュージシャンにとっては、自分の居場所をなくしたような喪失感、まさに人生最悪のときだったであろう。そんな悪魔のようなときを経て、ようやく世界的にも許容できるレベルになって、もう音楽家としてはいてもたってもいられなかったのであろう。


ライブはロックの原点である。


そんな体の内から湧き出てくるような衝動を抑えることができず、スティングがぜひ世界ツアー、日本ツアーを再開したいと思うようになったとしても、その気持ちがよく分かるような気がする。


自分は、今回のツアー、大成功となることを心からお祈りしている。

頑張ってほしい!!!


スティングの来日公演といえば、有名なのはらーめん屋さん通いである。スティングは、らーめんが大好きで、日本に来るとかならずらーめん屋さんに行って、それをインスタに投稿したりして、ファンの間ですごい話題になったりする。


スティングは来日すると、なぜかそのとめどもなく溢れるラーメン愛で話題になるのである。(笑)


前々回の来日のときに、インスタグラムで山頭火でラーメン食べました的なショットを上げて話題になった。そしてユニバーサル・ミュージックでは、スティングの大好きなラーメン屋さんベスト3も発表した。


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そして前回もその期待を裏切らなかった!


前回ツアーは福岡からスタートしたのだが、その福岡でまたラーメン・ショットをインスタグラムに上げたのだった。


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スティングが福岡で訪れたラーメン屋は、元祖唐辛子入り豚骨ラーメン屋の「鳳凛」。福岡で4店舗をかまえる鳳凛の春吉店である。


もっといいとこ連れてってやれよ~。(笑)

なんて言ったら怒られるかな。有名なところなんですかね?



スティングは雑誌のインタビューでそんならーめん愛について、こう言っている。


「いつでも最高のラーメン店を求めて歩いている(笑)。それも、観光客が行くようなところじゃなくて地元のサラリーマンが通っているようなところがいいね。実は昨日も福岡で美味しいところを見つけたんだ。作業着を着た人たちが、美味そうに食べてる最高の店だった。これから東京、仙台、大阪と行く中で、そういうラーメン屋を見つけるのが本当に楽しみだよ!」


そして、今回の来日ツアー、広島から始まって、大阪、東京、名古屋とわたるツアー。もうスティングはこのどこかでらーめん屋さんに行くことを宣言している。(笑)


「とにかく毎日、毎日、毎日、ラーメンを食べるのが楽しみです。店のカウンターでみなと並んで一緒に食べるのは、素敵です。日本が好きで、日本の文化が大好きです。」


ひょっとすると、今回の日本ツアーはらーめんが食べたくなって、ツアーをやろうと思い始めたのではないか?そんな気もする。いままではツアー中、らーめんネタをインスタに上げるのは1回だけだったけど、今回は連日連夜かもしれませんね。


しかし、らーめんが好きとはな~。(笑)自分の青春時代の憧れていたスターが、同じらーめん愛に溢れているとは思ってもいなかったです。


このツアーに先立って、朝日新聞社からのインタビューを受けている記事を拝読した。パソコン上でのWebミーティングという形式だったようだが、その記事はなかなかスティングらしい内容だと思った。


スティング 来日控え単独インタビュー 「歌は一晩で世界を変えられないけれど」



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スティングはやはり性格的に内向的でまじめだよね。彼の人間性はやはり”まじめ”というところに尽きると思う。そして、内向的でナイーブ。


彼のステージ上でのパフォーマンスは、それとはまったく正反対の別の彼、仮の姿、普段の自分とは違う別の世界での自分を楽しんでいる、そんな感じに思ってしまう。


非常に社会派で、世界の政治的なことも含め、つねにシリアスにまじめに考えている。それは自分のメディアでの発言やインタビューだけではなく、実際、自分の行動として起こしていて、非常に社会派の音楽家だと思う。



ウクライナを支援するために、1985年の楽曲「Russians(ロシア人たち)」の動画を公開したことが世界中で話題になった。なぜ、40年近く前に発表した曲をいま歌ったのだろうか。


今回の朝日新聞社とのインタビューでも、その理由について語っている。その内容を読んでみると、やはりスティングらしいな、と思う。いかにも彼らしい。彼のことを1977年からずっと見続けてきた自分が、彼らしい、と感じるから間違いない。


そのインタビューで興味深いところを何点か引用しよう。


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ロックなどの音楽が社会的なメッセージを発することは重要だと思いますか。


「歌で世界を変えることができるのか」と昔からよく聞かれます。私はたいてい「ノー」と答える。できるのは将来的に実を結ぶかもしれないアイデアの種をまくこと。


たとえば、若い聴衆を前に、私が関心を寄せる問題について歌うことができる。もしかしたら、その若い観客の中には、将来政治家や社会のリーダーになる人たちがいて、その人たちのものの考え方にプラスになるかもしれない。でも、それには何年もかかる。そうした意味において、歌が一晩で世界を変えることはできないと思います。


人生をより良く生きるには楽観的であることです。悲観的に生きるのはよくないと思う一方で、楽観的に生きるのは難しい世の中にもなっている。


でも、未来への道筋、希望を見出すことは絶対に必要で、そのために芸術、音楽が果たすべき役割は大きい。



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ここ数年、ロックを聴く人が増えたと言われています。若い世代が過去の名曲に簡単にアクセスできるようになったことが要因にあるのではないかと思います。社会的なメッセージを発する若い世代のロックバンドも増えています。ロックの現状について、どのように考えていますか。



ストリーミングによる音楽サブスクリプション(定額制配信サービス)は非常に興味深い。アーティストとしても、自分の曲がどのように受け入れられているかを知ることができる。


例えば、どの曲が一番人気があり、聴き手はどこに住んでいるか、そして性別や年齢までわかる。このようなデータはとても興味深く、これまで入手することができなかった。


「マイソングス」という私の最新ツアーでは、ファンが私のどの曲を聴きたいかという調査に基づいて曲を選びました。


ストリーミングは誰もがいとも簡単にあらゆる音楽の歴史を手に入れられる。とても便利で素晴らしいツールです。


唯一の問題は、ミュージシャンに適切な報酬が支払われていないこと。そこから得られる報酬は非常に小さい。私はすでに成功しているからいいが、若いアーティストにとってはとても厳しい状況です。彼らにはもっともっとサポートが必要で、もっと公平であるべきです。




さて、2019年に「マイ・ソングス」のベストアルバムをリリースしたあの年、それにちなんだ日本ツアーにも行ったりして、あの年は、ポール・マッカートニーと並んで、自分のスティングに対する愛や想い出、個人的な想いを日記という形で数々リリースしてきた。


あの年はいわゆる豊作の年であった。


もうあれ以上のことは言えないし、書けないし、あれが全部なのであるが、あらためて言わせてもらえば、1977年~1987年、まさに中学生から大学生に至るまでの思春期の学生、青年時代、自分の崇拝していたスターでした。


やっぱり子供時代、とくに男の子というのは、自分の内なる中にヒーローというのがかならずいるんですよね。そういう存在がかならずいる。


子供の頃から音楽が好きで好きで堪らなかった、そしてその後の人生も音楽に傾倒する人生を歩んできた自分にとって、そして洋楽ロックまっしぐら路線だった青春期の自分にとって、スティングはアイドルでした。


ルックス、ハスキーでセクシーなテノールの声、そしてカッコいいステージパフォーマンス。


もうお互いいい歳になってしまい寄る年波には勝てないと思いますが、スティングはいい歳の取り方をしているな、と思いますね。


若い頃とは違う年相応のダンディズムを兼ね備えながら、上手に歳を取っているように思います。いつまでも若々しく長生きして頑張ってほしいです。


自分も負けず、これからの人生頑張って生きていかないといけないな。


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