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北海道ラーメンを愛す 後編 [グルメ]

●けやき


2006年という年は自分の人生にとって、ある意味ひとつの区切り、節目のような年であった。前職を退職して、就職浪人していた年であった。いま仕事を持って会社で働いている人、1日って長いと思うかもしれないけど、いざそういう環境から解放されて、仕事がなくなると、もう1日、1年ってあっという間に時間が経ちますよ。もうものすごい時間の経つ速さが早いものです。


なにもしてないと、あっという間に1年経ちます。もう冬なの?という感じです。


2006年はそんな自分にとってあっという間に月日が経っていくすごい早い時間の過ごし方、感じ方だった年だったように思う。


この年はのだめカンタービレがTV放映された年でした。そして結婚できない男も。この2つのテレビ番組はもう本当に夢中になりました。大好きなドラマでした。クラシックが大好きだった自分はこういうドラマが心底好きだったな・・・


そんな2006年、自分のラーメン界でも激震が走る。それは新横浜ラーメン博物館に入っていた”すみれ”が卒業するというのだ。このニュースは、自分は青天の霹靂だった。そんなことがあっていいのか!!!


1994年のラー博開館以来、ずっとラー博を支えてきた”すみれ”。”すみれ”といえばラー博というくらい代名詞だった。そのすみれが卒業するという。


自分はちょっとショックを隠せなかった。自分の住んでいる街から新横浜まではすぐ電車で近くなので、あ~~~またすみれの味噌ラーメンが食べたくなったな~と思えば、すぐにほいっと新横浜まで出かければいいだけなのだ。


1994年の開館から2006年まで、すみれも、もちろん順風漫歩でもなく、いろいろ変遷があった。純連と書いて、すみれと呼ばせていた、そのあとに、純連の創業者の母、村中明子さんが”駅”という暖簾でラー博に店を出すという。これは一大イベントであった。純連の村中教愛さんやすみれの村中伸宣さんの母、まさに純連のルーツである。駅の暖簾や丼には、ちゃんと、”純連”と”すみれ”が仲良く印字されているのである。


これは純すみ系ラーメンファンにとっては大変な出来事なのである。店舗は地下の中階のフロア。自分はもちろん、この駅を堪能しに、ラー博に何回も通いました。


そして駅も短期間営業と言うことですぐに終了し、その後釜としてふたたび、すみれがその後に入店した。そのすみれが卒業するという。


え~~~もうこれから首都圏ですみれの味噌ラーメンが食べれなくなるの~?

どうする???


という感じである。いつも身近にいたすみれであるが、なくなってしまって初めて気づくその存在の大きさ。


当時、無職になった2006年、自分は1年間、失業保険を毎月給付を受けるわけだが、それには条件があって、ちゃんと毎月求職活動をおこなってます、という証明が必要なのだ。なにもせずにただぶらんぶらんしていただけでは失業保険というのはもらえないのだ。


その求職活動の証明をもらうその手続きのために、自分はハローワークに月1回は行かないといけなかった。自分の居住区から港北区のハローワークである。それは新横浜にあった。


だから月1回は、かならず新横浜に行かないといけなかったのだ。新横浜に行くんだったら、ついでにラー博でしょう、というノリである。


でもすみれが卒業してしまったラー博にはあまり興味がないな~と思っていた。でもなんとなくハローワークに手続きに行った帰りに、ラー博に寄ってみたのだ。


そうすると、すみれの入っていたテナントの後に、”けやき”という札幌味噌ラーメン専門店が入店していたのだ。まさにすみれの後任である。


これが自分の”けやき”との初めての出会いである。忘れもしない2006年のことである。


”けやきの味噌ラーメン”の試しに食べてみた。


これがじつに美味しい!純連、すみれを体験したときの衝撃ほど大きくなかったが、これはこれでじつに個性のある味噌味でこれは美味しいな~と思ってしまった。


純連、すみれとはまったく別次元。全然違った魅力の味噌味である。この味噌の味を言葉で表現するのはなかなか難しいのであるが、味噌とちょっとこう辛いというかその調合具合というか、かなり個性的な味噌スープの味で間違いなくクセになる、中毒性のある味なのである。


これはかなり美味しいと思った。

自分に合うと直感した。


麺は中太縮れ麺でよくこの味噌スープと絡んでウマい。具もとてもシンプルできざみネギが入っていて、肉もチャーシューではなく、そぼろ状のひき肉である。このきざみネギが味噌スープと絶妙な絡み合いでウマい。自分はいつもネギ増量にすることが多い。


このけやきの味噌ラーメンはいっぺんに自分を虜にした。


なんか、しばらくするとまた食べたくなるというか、そんな中毒性がある。


こうやって、自分は2006年の1年間、毎月1回は、かならずラー博でけやきの味噌ラーメンを食べていたのである。少なくとも年間12杯である。


こうしてみると、純連のときの休職で病院通いのときに通っていたこと、そしてけやきで求職活動で新横浜に通っていたときと自分の人生で窮地に立たされているときに、その運命の1杯と出会っているのである。


けやきとはそれ以来の長い付き合いである。

けやきの本店はすすきのにある。


自分はすぐに、新千歳空港の北海道ラーメン道場に一店舗として存在することを突き止め、それ以来、北海道に帰省したときは、かならず空港でけやきの味噌ラーメンを1杯食することが自分のひとつのタスクとなった。


2006年以来だから、もう17年の付き合いである。17年間、けやきの味噌ラーメンファンとしてずっと愛してきたのである。


新千歳空港の北海道ラーメン道場のけやき。


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そしてこれがけやきの味噌ラーメン。


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2006年にけやきの存在を知ったとき、すぐにネットで調べた。


1999年11月のオープン以来、行列の絶えないみそラーメン専門店。開業以来すすきの本店はカウンターのみ十席、一杯一杯中華鍋で心を込めて創り上げるため、お客様をお待たせする心苦しさはあるが、 それでも常にラーメンをすする客たちでにぎわう。店主のテーマは「五感に訴える一品料理としてのラーメン」である。



店主は一杯のラーメンに、様々な要素を盛り込んだ。「札幌はラーメンの発祥の地。だからこそ、自分が納得できる味を作りたかった。」ラーメン店がひしめき合うススキノで、「けやき」の名はすでに全国区。ある常連客の一人が言った。「一杯、1杯魂を込めて作られたラーメン、これこそ味噌ラーメンの王道だな」と。



本店はすすきの。カウンター十席のみである。


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まさに自分にとって聖地。行ってみたいのである。今回帰省したとき、ぜひこの聖地のすすきの本店に行こうと考えていた。カウンター十席のみなので、しかも人気店。かなり長蛇の列らしい。


残念ながら、3月の北海道は雪が残っていて、あまりに足元が悪く、今回は諦めた。


1999年デビューというのは、意外や若いお店なんだな、と思いました。


スープ


巨大なずんどう鍋(なべ)で取るスープは豚のゲンコツや背脂、放し飼いで育てた新潟産の鶏、数種類の野菜やシイタケなどが原料。 濁りのないスープを取るため約十時間をかけ、じっくりとうまみを抽出するが、「日によって骨の状態が違うので仕上げに再度、必要な部位の骨を足して、一定の味を保っています」という徹底ぶり。




一週間寝かせて成熟させた、中太の縮れ麺でスープが程よく絡まる。プリプリとした食感がやみつきになる。




中央にこんもりと盛られた具は白髪ネギやキャベツの青み、ニンジンの赤、キクラゲの黒など、彩りも鮮やか。


みそだれ


大豆みそや麦みそなど三種類のみそに野菜の甘みをプラス。まろやかさ、ツヤの良さ、深いコク、キレのよさ・・。


チャーシュー


厳選豚肩ロース肉を自家製スープでじっくり煮込み、さらに秘伝自家製醤油だれで煮込むと柔らかジューシーに・・・ 厚切りで味わっていただきます。



ちなみに、お肉はデフォルトはそぼろ状のひき肉ですが、チャーシューメンを注文すると、このチャーシューがかなり厚切りで、かなりボリューミーでジューシーで最高です。


味噌チャーシューメンというのが最高の選択かも?


支店は、昔はラー博以外にも東京進出とか、札幌の円山に支店があった。自分は札幌円山支店は、北海道の友人と食べに行きました。そのときの円山支店と店内の写真です。もういまは存在しないです。


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いまはもうほとんど撤退していて、すすきの本店と新千歳空港のみのようである。



いまひそかに楽しみにしているのは、現在ラー博でおこなわれている”あの銘店をもう一度”の企画。過去にラー博に出店したお店を、1か月間の期間限定で再出店してもらうというプロジェクト。


自分はこれに、”けやき”が再登場するのがすごく楽しみなのである。もし再登場になったら、1か月間ラー博フリーパス券買って通いますよ~~~。


いままで北海道に帰らないと、新千歳空港でないと食べれなかった”けやきの味噌ラーメン”それがすぐ近場で食べれるんですから。


こんな楽しみなことはないのである。



●らーめん五丈原


今回のラーメン特集の肝は、あまり全国的に有名でないこと。北海道に来ないと味わえない。北海道民こそ知る。北海道ラーメンを愛す。。である。


その代表格ともいえるのが、このらーめん五丈原だと自分は思う。


らーめん五丈原は、本当に北海道では古くから有名なラーメン店で、こんな有名なお店はないと思うくらい北海道、札幌では認知度は高い。


自分も北海道に住んでいるときは知らなかった。

あまりラーメンに対して特別な食べ物という認識はなかったので。


でも東京に住むようになってから、北海道札幌ラーメンに”らーめん五丈原あり”という評判を聞くにあたって、どうしても我慢できなくなり、過去に北海道に帰省するたびに何回も足を運ばせてもらった。通算5回以上は通わせていただいているのではないかと思う。


全国的にあまり有名でないけれど、北海道ではめちゃくちゃ有名ということでは、今回のお題目では、まさしくらーめん五丈原のためにある企画と言っても過言ではない。



「らーめん五丈原 本店」札幌すすきのの激戦区で28年以上愛されている名店である。



1994年に札幌市に創業。数年に1度は新メニューを開発し、独自に進化を遂げている老舗ラーメン店。以前、北海道新聞情報研究所が行ったアンケート調査、「北海道でひいきにしているラーメン店」では“さっぽろ純連”と同じ第4位にもなったんだそうだ。


1990~2000年代にかけて札幌に登場した「第二世代」と呼ばれるラーメン店達がいる。「らーめん五丈原」はその代表的な一軒なのである。


1994年の創業当時、「朝4時に行列のできる店」などと(全国版のテレビ番組でも)紹介され、“元祖 深夜行列の店” としてその名を全国に轟かせたことでも有名である。


1994年創業ということは、やはり自分が北海道に住んでいるときは知らず、東京に来てから有名になったお店で間違いなかったですね。



札幌ラーメン界に白濁したトンコツスープ広めた店の1つである。 五丈原のラーメンと言えば”とんしお(トン塩)”が有名なのである。いわば五丈原の代名詞的な存在である。


「とんしお」が創業以来の看板メニューだが、こだわりの豚骨スープは茹でこぼしを数回繰り返し、あくを徹底的に排除。この手間が味の違いを生み出しているのだそうだ。


札幌というとどうしても味噌、そして濃厚というのが札幌市民の舌の感覚。味の濃いラーメンに慣れた札幌市民には、トン塩だとやや物足りないという人も多いのである。そういう点ではやはり五丈原でも味噌の売れ行きもいいとか。味噌の香りとほのかな甘さがトンコツスープと絶妙に合い、意外にさっぱりと食べられる。


札幌市民に飽きられたくないという店主の思いもあって毎年新メニューを考えるが、最近はTiwtterなんかを覗いていると、二郎系ということで、”ますらお”という新メニューを考案したようだ。これも美味しそうだった~。


じつは、このらーめん五丈原の一番の人気メニューは、意外やラーメンではなく、チャーシューおにぎり、というサイドメニューなのだ。これがもう一番人気。五丈原に来たら、かならずラーメンとともにこのチャーシューおにぎりを注文するのが常な作法なのだ。お持ち帰りする人も多い、味もボリュームも大満足の一品である。


今回ひさしぶりに五丈原に参上しようと思っていた。

交通アクセスを確認すると市電に乗るという。


市電ってなんだ?(笑)


札幌は通常市内の交通の便は、地下鉄(南北線、東西線)である。

市電ってなんだったっけ???


札幌駅員さんに確認するといったん大通りまで出て、そこから内回り、外回りと巡回線の電車が出ているという。それを聞いて、五丈原しばらくご無沙汰していたので、もうだいぶ昔のことだったが、なんとなく思い出してきた。確かにそんな電車が札幌市内に走っていた。市電というくらいだから、札幌市が運営しているのだろう。


市電ってこんな感じの乗り物です。


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これで東本願寺前で下車します。


ここが”らーめん五丈原”


この赤がトレードマーク。住宅街の外れと言う感じ。

この日は雪がしんしんと降っていて、もう寒かった~~~。


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らーめん五丈原の近くには、えびそば一幻とか、ラーメン信玄とか人気店があって、いまやラーメン激戦区だそうだ。昔は五丈原独り勝ちという場所だったが、いまや強力なライバルと戦っている毎日である。


店内はすごくシンプル。ふつうのラーメン屋さんです。


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自分は、やはり五丈原に来たなら、やはり看板メニューの”とんしおラーメン”を頼まないといけないと思いました。そして一番人気のチャーシューおにぎりも、お腹が空いていたので2個注文しました。


らーめん五丈原のとんしおラーメン


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チャーシューおにぎり


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じつにひさしぶりの五丈原のとんしお。


白濁した見た目からは意外なほどのあっさり感で、口当たりもまろやか。しかしその中に深いコクが隠れている。意外やさっぱりした感じで美味しかった。麺もストレート麺でしこしこ美味しかった。


札幌で白濁系はどこまで浸透できるか。やはり札幌市民は強烈なパンチのある味を希望しますので、昨今はなかなか難しいところもあるんでしょうね。そんな苦労も、毎年1品はかならず新メニューを考えるという努力にも表れているのでしょう。


でも本当に美味しかったです。


チャーシューおにぎりは本当に美味しいです。

これが一番人気なのはよくわかる。


おにぎりのご飯が醤油っぽい濃い味付けで染みていて、それにチャーシューが細切れに混ざり込んでいてこれがじつにウマい。香ばしいというか食が進むというか。。。これは人気出るはずだわ。サイドメニューとしては抜群の出来栄えではないですかね。


このチャーシューおにぎり、1個あたりかなりサイズが大きいです。ふつうはラーメン1杯にチャーシューおにぎり1個というのがスタンダードと思われます。


自分は2個というのはちょっとやり過ぎました。(笑)


らーめん五丈原。北海道でないと味わえない名店中の名店。

ぜひ、とんしおラーメンとチャーシューおにぎりの組み合わせでどうぞ!


●らい久


”北海道ラーメンを愛す”の特集。これがオーラスです。行きたいラーメン店はいろいろあったのだけれど、最後はおらが町のラーメン店にしました。


ここはまず全国的にもまったく無名でしょう。(笑)まったく誰も知らないと思います。


おらが町では高校時代、春日食堂という高校の下校のときに友人と毎日食べていた味噌ラーメン屋さんがありました。そこが現在の味噌ラーメン好きの自分の原点を作った、育ててくれたお店でした。


でも残念なことに人知れず閉業。


もうおらが町に未練のあるラーメン屋さんはないかな、と思い起こしましたが、1軒ありました。


それが「らい久」。


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自分が高校時代、春日食堂ほどではないけど、結構通っていたお店で、まだ現役でやってました。当時からすごい人気のあったラーメン店でした。おらが町で行列ができるラーメン店で有名でした。


じつに40年以上ぶりに行ってみた訳だが、あの頃ともう店構えも店内もガラ変。すごく儲かっているんだな、と思いました。昔はもっと貧祖なお店でした。でも相変わらず劇混みの人気ぶり。


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このお店、もうおらが町だけで有名で、もう札幌まで広げちゃうともうまったく無名と同じくらいローカルなお店。


この「らい久」を自分の日記で紹介する日が40年ぶりにやってこようとは思ってもみませんでした。(笑)たぶん全国の誰も知らない超お得なラーメン屋さん情報だと思います。(笑)


1961年に創業した「らい久本店」。同じくおらが町の緑が丘にも暖簾分けしたお店があり、無愛想が売りの店主が経営されている。ここ本店は、いい意味でごく普通の接客。


おらが町市民ならみんな一度は来たことがあるであろう「らい久」。おらが町のソウルフードとして愛され、常連客も多いです。


「安くて、ボリューム満点」が売りのラーメン店「らい久」。昔ながらの札幌ラーメンが堪能できるお店です。



自分の記憶だと、ここは昔からバターラーメンなんだよね。らい久特製のバターラーメンが看板メニューなのです。バターだけだとちょっと物足りないから、自分は味噌バターラーメンにしました。


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40年ぶりに食べる味。昔がどうだったか、もうすっかり忘れたよ。でももう全然にふつう。すごくスタンダードな庶民的なラーメンでした。


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このローカル色豊かな特集を締めくくるには最高の締めだと思います。


驚いたのは、このらい久の壁にあるメディアで取り上げられた記事や写真、芸能人のサインなどが並んでいること。よくローカル番組で取り上げているらしくかなり有名のようで驚きました。


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その中で、政治家の加藤紘一さんのサイン、写真も発見!


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加藤紘一さん知ってますか?

自分の世代になりますが、YKKという政治同盟ご存じですか?

もう世代的に知らない人も多いだろうな・・・。



YKKは、自由民主党所属の衆議院議員であった山崎拓、加藤紘一、小泉純一郎による盟友関係のことです。僕らの世代ではリアルタイムでした。


1991年、自民党で実権を握っていた竹下派(経世会)に対抗する勢力として、加藤が同期のグループをつくろうと山崎と小泉に呼びかけたのが始まり。


この3人は1972年初当選の同期組であり、1期生の頃、国会での議席が隣り合っていたため、仲が良かったと同時に宿命のライバル(山崎の師は中曽根康弘、加藤の師は大平正芳、小泉の師は福田赳夫)でもあった。


当時、森首相時代ですね。もう内閣支持率8%という超絶不人気の当時の森首相に野党が森内閣不信任決議案を提出したのに対し、加藤さん、山崎さんが相乗りする形で反乱するという政事変でした。


加藤紘一さんは、当時もっとも総理に近い男と言われ、かなり有望視されていたので、この乱はかなり驚きで世間で話題でしたです。いろいろご意見あると思いますが、自分は新しい時代の日本の首相は、やはり見栄えが良くてスピーチも雄弁で映える人じゃないとダメだという認識を子供の頃から持っていました。


子供時代からずっと日本の首相って海外の党首と比較すると、見栄えが悪くて活舌も悪くてなに喋っているかさっぱりわからない。。。そういう首相が多かったです。自分は子供心にそういう日本人首相がイヤだったですね。


やはり日本の政治は政党政治なので、自分の党内での基盤が弱ければ、いくら外にカッコいいパフォーマンスをしても、すぐに足元をすくわれるというか。。だから党内の基盤調整実力とその外へのパフォーマンスの両方の塩梅、バランスをうまく取りながら・・・という感じなんだろうとは素人ながらに予想するのですけど、それにしても日本の首相は活舌が悪く格好悪すぎると悲観していました。


その中で、もっとも総理に近い男と言われた加藤紘一さんは見栄えもよく頭脳明晰で物言いもわかりやすく、自分はいいな~と秘かに心を寄せていた政治家でもありました。この人が首相になればいいなーという感じで。党内基盤の問題は別として。


でもこの加藤の乱であっさり失脚。未来永劫その目もなくなりました。

この加藤の乱。自分の記憶の中であまりに鮮明で忘れられないです。


あれだけ国民に不人気だった森内閣。でもいざというときは与党結束。これこそがまさに政治力学。そんな世間が考えるほど単純じゃないんだなと思い知りました。


加藤さん、もう亡くなられましたが、まさかおらが町の誰も知らないラーメン屋さん「らい久」に来店されていたとは夢にも思っていなかったです。驚きました。


加藤さんが色紙に書いてあった言葉、”疾風知勁草”。


「疾風に勁草を知る」。

困難や試練に直面したときに、はじめてその人の意思の強さや節操の堅固さ、人間としての値打ちがわかることのたとえ。


自分はこの心境はよく理解できる。人間というのは、勢いのあるとき、若いとき、乗っているときは周りすべてが味方してうまく回るものだけれど、困難や試練に直面したときに、はじめてその人の意思の強さや節操の堅固さ、人間としての値打ちがわかる。


人生なんてそういうものさ。これは歳を重ねていき、いくたびの人生の試練を何度も乗り越えていかないと悟れない境地だと思う。まさに加藤さんの人生そのものだったのだろう。この色紙、来店の日はいつなのだろう。写真の容姿からすると、もう晩年のとき。いつぞやの波瀾万丈を乗り越えてしたためた境地なのだろう。


そしてやはり古くからのそういう自民党体質に嫌気がさしていた国民に、その後は、盟友の小泉さんがフィーバーで一気に軌道に乗り、大成功したのはご存じの通りです。


”北海道ラーメンを愛す”の日記の締めが政治の話で終わるとは思ってもみない展開でございました。(笑)






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北海道ラーメンを愛す 前編 [グルメ]

大学まで北海道に住んでいたのだけれど、当時からラーメンをそんなに意識して食べていたかというとまったくそんなことはないと思う。1986年まで住んでいた訳だけど、どうなのだろう?全国的にラーメンブームというのが起こったのは、自分が東京に住むようになってからのような気がする。
                                                   
いわゆるテレ東のTVチャンピオンで「ラーメン王」が火付け役になって、スープ3滴で店名をあてられる。。。そういうラーメンについて並々ならぬ博識ぶりと、その舌を持ち、全国の有名ラーメンを我がものとする。
                                                   
それがいわゆるラーメンブームの牽引役だったような気がする。それ以来、年間何百杯食べ尽くす、全国の美味しいラーメン店を行脚してほとんど制覇する。ラーメン評論家などの有名人も次々に登場。
                                                   
決定的だったのは、1994年の新横浜のラーメン博物館の開館だろう。全国の有名なラーメンが、東京で食べることができるようになった。これで一気に火を吹いた。全国各地のいわゆるご当地ラーメンというものに陽があたり、一大ブームになった。
                                                   
自分も全国的にラーメンブームだと思ったのは、1995年以降の記憶しかないのだ。それ以前、ましてや北海道に住んでいたときは、そんなにラーメンというもの自体に狂信的に熱中した記憶はまったくなかった。あくまでふつうの食べ物のひとつに過ぎなかった。
                                                   
北海道住んでいたときの小中学生のとき、母親がいつも出前で取ってくれた醤油ラーメン、高校時代に同級生の友達と毎日下校するときに必ず寄って味噌ラーメンを食べるのが毎日の日課だった春日食堂、そして大学のとき友人が下宿していた近くにあった北14条だったか、北18条だったかのラーメン店。すっかり店名を忘れてしまったが、ここは朝方の4時までやっていて重宝したものだ。北18条の東風荘で徹マンしたあと、よく食べに行ったものだ。
                                                   
高校時代の春日食堂は、社会人になった後でも、2000~2003年、大病で北海道の実家で静養していたときにもよく通っていたのだ。あれから何年経っているんだ?まだやっているんだ?懐かしい~。
                                                   
そのラーメン屋のオヤジ、親指がないんだよね。むかしその筋の人だったのかもしれない。(笑)親指がないのに、出来上がった並々で熱々のラーメン丼をその指、手で持ってきてくれるのが妙に印象に残っているのだ。春日食堂の味噌ラーメンは最高に美味しかった。味噌ラーメンとはこうあるべき、という基本のような味噌ラーメンだった。高校時代とまったく変わらなかった。
                                                   
残念ながら春日食堂は人知れずその後閉業してしまった。
                                                   
北海道に住んでいたときなんて、ラーメンに関してはこんなものである。自分は全然全国のラーメンには詳しくないし、ただラーメンが好きなだけで、自分のお気に入りのラーメンを何回も繰り返して楽しむというそういう狭範囲のラーメンマニアである。
                                                   
自分がいま日本はラーメンブームである、と認識するようになったのは、間違いなく1995年以降。新横浜ラーメン博物館開館以降だと思う。
                                                   
純連やすみれを知ったのもラー博のおかげである。そこから、いろいろなラーメンを楽しんできた。それはいままでの日記でいろいろご紹介してきたのでお馴染みなラーメンたちである。
                                                   
今回は、ひさしぶりに北海道に帰省するということで、北海道でなければ味わえないラーメン店に行きたいと思っていた。いまや有名ラーメン店は全国区で東京で食べられる時代。でもそんないまの時代でも東京では食べられない北海道ラーメンを食べ尽くしてこようと思ったのである。いずれも自分のラーメン人生になじみの深いラーメンたちである。
                                                   
5泊6日の旅程だったけど、なんと!6日ラーメンを食べていた。ラーメン以外の食事はしなかったです。全部ラーメン。
                                                   
北海道ラーメンとは?
                                                   
「札幌」「函館」「旭川」のラーメンを総称して「北海道三大ラーメン」、もしくはそれに「釧路」を加えた「四大ラーメン」と呼ばれる。これは昔から有名なフレーズで、札幌の味噌、函館の塩、そして旭川の醤油である。自分はやはり味噌と醤油派かな?
                                                   
塩ラーメンというのはさっぱりしていて美味しいと思うけど、せっかくラーメン店に来たのに塩ラーメンを頼むのは勿体ないというか、そんな感じなのである。自分にとっては。
                                                   
関東周辺で見られる「北海道ラーメン」と称する店には「ラードを使った熱々スープ」「味濃いめのタレ」「固くてやや太めの熟成縮れ麺」という特徴があるという評論家の指摘がある。自分はなるほど言い得ている。ずばり特徴を掴んでいるなと、さすがと感心した。
                                                   
                                                   
では、自分がぜひお勧めする”ノンノン推薦北海道ラーメン”をご紹介しよう!
                                                   
●純連(さっぽろ純連)
                                                   
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もうこれはいわずもがな、いままで何度も日記で熱く語ってきた自分のラーメン人生の頂点に立つラーメンである。いまさら同じことを説明することはしないが、やはり北海道ラーメンを語るうえでは、ここをトップに持ってこないと自分の気が済まないのである。純連の味噌ラーメンは、自分のラーメン人生の中で最高位に位置するキング・オブ・ラーメンである。
                                                   
ここの味噌ラーメンは本当に美味しい。スープの表面を熱々のラードで覆い、熱さを逃さないように熱々にして、そしてなんとも濃厚な味噌の味、まさにパンチが効いている味。味噌味で一番大事なポイントは、このパンチが効いているという味感覚である。生姜風味が下味で隠され、それが妙に濃厚な味噌とよく合う。
                                                   
とにかく一度食べたら忘れられない、またすぐ食べたくなる中毒性のある味。こんな濃厚な味噌味、そんなかなりクセになる味噌ラーメンなのである。
                                                   
自分はじつは純連は、1995年に新横浜ラーメン博物館ですみれ(当時の暖簾には純連と書いて、すみれと呼ばせる呼び方でした。)を経験してこれはウマい!とすごい衝撃を受けて、同期のアムスの友人に教えてあげたところ、友人は札幌に行ったときに地元の人にどこがいいと聞いたら、純連(じゅんれん)と言われたので行ったらすごく美味しかった、という話を聞いた。
                                                   
自分はアムスの友人をラー博に連れていき、当時の純連(すみれ)を食べさせたところ、いや違うな~。もっとスープが黄色いんだよ。そして、純連を、”すみれ”とは呼ばないんだよ。地元の人はみんな”じゅんれん”と呼んでいた。
                                                   
自分は一気に謎のループに陥ってしまった。そして札幌まで出かけてその真意を突き止めた。純連(じゅんれん)は、兄の村中教愛さんがやっていて、純連(すみれ)は、弟の村中伸宜さんがやっているお店なんです。兄弟でやっているんです。
                                                   
こうやって、自分は純連の歴史を学ぶことになったのである。母の村中明子さんから始まり、村中教愛さん、村中伸宜さんのサクセスストーリーを学んでいったのである。
                                                   
純連とすみれの味噌ラーメンはすごい似ているけど、やっぱりちょっと違うんだよね。
純連のほうが、スープの色が黄色・橙色が強烈で、すみれのほうが、マイルドな茶色。
純連のほうが、生姜風味が強くパンチも強烈。すみれは比較的マイルドだけど味噌味としてかなり濃厚。
純連は、使用する麵として森住製麺なのに対し、すみれは西山製麺。
                                                   
自分はどっちが好きという禁断の質問はいけないことだと思うけど、純連派だった。でもすみれも純連にはないウマさがあって、もういまやどっちがウマいということは断言しないことにした。もうどちかかに優劣をつけることは不可能だし、そういう行為自体が愚の骨頂だと思うからである。
                                                   
純連は本当に想い出がある。存在を知ったのは、1995年。だから自分が東京に住んでからだけど、徹底して純連の味噌ラーメンを食べる機会があった。それが2000~2003年の自分の大病による3年間の休職である。この間、北海道の実家で静養することになった。
                                                   
毎月1回北大病院に定期健診に行くのだけど、診察が終わった後、この純連で味噌ラーメンを食べるのが休職中の唯一の楽しみだったのだ。月に1回、必ず澄川の純連まで出向いて純連の味噌ラーメンを食べた。・・・ということは3年間で36杯食べたのだ。このとき、自分は純連の味噌ラーメンを完全に自分のモノにできた、と確信した。
                                                   
おそらくあのまま東京に住んでいたら、たまに帰省するときくらいしか食べれなかったであろう。あのときのあの黄金の味は、あれからもう20年以上経った先日食べてもまったくブレていなくて変わっていない不変の味だった。これぞ、本物!本物とはこうあるべきだ!というお手本のような1杯であった。そしてその味は未来永劫不変で引き継がれていくのである。
                                                   
あの20年前からすると、同じ澄川にあるけど、いまや建て直しで店舗もすっかりリニューアル。でも店舗内はまったくあの頃の20年前とまったく変わっていなくて同じ店内の配置なんだよね。
                                                   
純連が自分のラーメン人生の中で、キング・オブ・ラーメンの最高位にあるのは、美味しいだけではない。そういう自分の人生の挫折、苦しい時期にいっしょに立ち会ってくれた1杯だったからである。
                                                   
澄川の純連は、むかしは厨房が丸見えだった。でもいまや厨房はあまり見えないようにしている。いまのすみれもまったくそうなのであるが、これは自分はこう予想している。純連やすみれの味噌ラーメンは、このスープをフライパンで作っていく過程に1番のノウハウがあって、そこが丸見えだと同業者からマネされてしまうと危惧したからではないかと思うのである。
                                                   
純連やすみれは、じつは味噌ラーメンばかり注目、話題に上がるけど、じつは醤油ラーメンもめちゃめちゃウマいです。ものすごい香ばしい醤油味で、これはちょっと他の店ではこの味は出せませんね。
                                                   
高級な醤油ラーメンという感じです。自分は醤油ラーメンでもこんなに美味しいお店はないと思います。でも悲しいかな、純連やすみれって滅多に本場のお店に行けないじゃないですか?そんなチャンスがない。たまにしか行けない。そうなると、どうしても味噌を頼むしかないんですよね。そうならざるを得ない。北大病院に通っていたときは、味噌も食べたい。でも醤油も食べたい。。。1回の来店で2度楽しみたい。で、味噌ラーメン食べた後、追加で醤油ラーメン頼んだりしていました。(笑)あの頃はそれを許してくれた。いまは1杯食べたら、また行列の最後尾に並び直おさいないといけませんね。
                                                   
純連やすみれに入って、味噌以外を頼むのは、なんかもったいない気がしますが、ぜひ醤油も食べてみてください。抜群のウマさです。推薦します。
                                                   
そういうことからすると、純連やすみれに入店して、塩ラーメンを頼むというのは、自分にとってはもうまったくの未知の世界。(笑)純連やすみれの塩ラーメンっていままで食べたことがないです。なかなかもったいなくて頼めないです。
                                                   
純連は、昔、高田馬場に進出してくれました。もう毎週食べに行ってたです。また東京進出してほしいです。地方に支店を出すのは、スープの味が変わって難しいのかもしれませんが。。。
                                                   
                                                   
●すみれ
                                                   
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いまの純連やすみれ、いわゆる純すみ系ラーメンを全国区にしたのは、間違いなくすみれの村中伸宜さんのおかげ。家族全員の反対を押し切って、すみれを新横浜ラーメン博物館に出店して、全国デビューさせた。それですみれの大ヒットで、この濃厚な味噌ラーメンの存在が全国区になった。
                                                   
自分はヨーロッパから帰ってきたのが1996年だから、よく覚えている。まさに衝撃であった。こんなウマい味噌ラーメンがあるなんて!なんて濃厚なんだ!自分はいっぺんに惹きつけられてしまった。そしてその1996年だけでも相当ラー博に通ったんではないかな?すみれ目当てで。
                                                   
当時のすみれは、ラー博の中で地下の広場の一番片隅の場所に店を出していた。その場所いまでもよく覚えている。とにかくこんな美味しい味噌ラーメンを食べたことがないというぐらい衝撃だったから、いろんな友達に言い触れ回ったり、推薦したりした。いままでの味噌ラーメンという概念を根本から覆すくらい自分にとって衝撃だった。当時はSNSとかなかったからね。勿体ないことをしました。
                                                   
村中伸宜さんは、すごいビジネスマンというか積極的な人だと思いますね。すみれを一地方のご当地ラーメンでは終わらせない。いろいろ弟子入りを多く取り入れ、どんどん自分のお店をデビューさせていく。やっぱり料理人にとって、お店で修行しているときは、将来に夢は自分のお店を持つことではないですか。料理人はみんなそう。
                                                   
すみれは、そういう点ですごく積極的。もうどんどん弟子に秘訣を伝授して、どんどん自分のお店をデビューさせる。そういうお店の暖簾やどんぶりには、ちゃんと”すみれ”と印字することで、お墨付きというか、みんなの信頼を得られるような配慮もしてあげる。
                                                   
やっぱりラーメンファンにとって、そういう”すみれ”のブランドのロゴが入っているだけで、完全に信用するものなんですよ。大体味が想像できちゃう、というか。それで安心するものなんです。
                                                   
単に、すみれを有名にするだけではなく、そういうところまで配慮していてすごい積極的なのは、自分はほんとうに人間の器としてかなり大きいのではないか、と思うのです。
                                                   
料理人、職人というのはなかなかそうできないですよ。やはりノウハウ、自分だけの秘訣。そういうものが商売道具になる訳ですから。だから自分は、すみれ、村中伸宜さんというと、すごいビジネスマン、積極的というイメージが大きいんですよね。
                                                   
もういま東京だけでなく、いろいろな地方で、”すみれ”ブランド、”すみれ”お墨付きの純すみ系のお店、もうたくさん出店していますよ。そのたびに自分はいつもそのように思っています。
                                                   
やっぱり純連(じゅんれん)とは違うんですよね。すみれのほうが、かなり社交的で積極的でビジネスマンだと思います。
                                                   
すみれは全国区だから、お金持ちなので、よく店舗をリニューアルします。(笑)自分は、札幌の中の島の本拠地にすみれを何回も訪れましたが、お店の建て替えなど3回経験していますね。1996年にラー博ですみれを知ったとき、アムスの友人から純連(じゅんれん)の話を聞いたとき、すぐに札幌に飛んで純連(じゅんれん)を探したのですが、なぜか純連(すみれ)のほうに着いてしまいました。(笑)
                                                   
当時のすみれは、かなり古い掘っ建て小屋のようなお店で、1996年頃だと思います、暖簾は純連ですみれと読ませる。そして味噌ラーメンを食べたら、ラー博のとまったく同じなので、あ~~~ここは純連(じゅんれん)ではなく、純連(すみれ)だったんだな、と認識しました。(笑)
                                                   
自分はカウンターだったので、そのとき厨房にいた村中伸宜さんに話しかけました。「新横浜ラーメン博物館でも出店されていますか?」「はい。」ただ、そのやりとりだけでしたが、いま思えば記念の直接会話でした。
                                                   
その後、木造のかなり綺麗な広い敷地での立派な店舗にリニューアルしました。もうこの頃になると、ひらがなで”すみれ”になります。
                                                   
このときは北海道の友人といっしょに食べに行きました。すみれって、地下鉄の中の島駅から結構歩くんですよね。冬に行ったので、雪道、凍結路面の中、大変だったような記憶があります。木造の綺麗なお店で、味噌ラーメン美味しかったです。
                                                   
そして現在の上の写真の店舗です。もういまや押しも押されぬ大ラーメン店と言っていい表構えです。すみれが本拠地にしている札幌の中の島というところは、創業者の母、村中明子さんが純連を始めた由緒ある土地なので、そこでその歴史をずっとこれからも受け継いでいこうという意思の表れだと思います。
                                                   
中の島駅からかなり遠いです。(笑)冬はかなり歩くの大変です。
                                                   
ひさしぶりの本場のすみれの味噌ラーメン。いやぁぁぁ・・・さすがとしかいいようがない。うまかったな・・・。本当にウマい。濃厚って感じで、これこそ本場の味、昔と変わらない不変の味という感じですね。
                                                   
すみれ横浜店にも見習わせたいです。(笑)首都圏で唯一すみれの味が楽しめる”すみれ横浜店”。すごい商売繁盛でいつ行っても長蛇の列で並びます。創業時はう~ん、美味しいけど本場の味、自分が知っている1996年当時のラー博のすみれとは、ちょっとやっぱりなんかが違うな~と思いましたが。、先日行ったら、もうかなり進化していて驚きました。
                                                   
スープがかなり本場の味に近くなってきて、そうそうこんな感じ、というふうになってきましたよ。うれしかったです。
                                                   
やはり古くからのファンというのは、本当にウルサくて面倒な人と思うかもしれませんが、言っていること、文句を言っていることは正しい、本当のことが多いです。
                                                   
ラーメンのスープというのは本当に命というか難しいんでしょうね。時間が経過するにつれて、どんどん発酵するというか、こなれてきていい味になってきたという感じです。
                                                   
すみれ横浜店、あともうちょっとという感じです。
                                                   
やっぱりダメだな。
                                                   
自分は、純連、すみれのことを語らせると、もう止まらなくなってしまい、また字数制限で、1つの日記では終わりそうにないので分けることとします。

                                                   

                                                   






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