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北海道いろいろ [雑感]

今回3月に帰省しようと思ったのは、飛行機のチケットというのは、夏休みのお盆休みとか年末年始のときは、飛行機代はものすごく高く跳ね上がる。もう航空業界ではそういうビジネスなのである。平月のおそらく2~3倍は軽く。きっと驚きますよ。で、そのシーズンを外したい、ということと、あと札幌コンサートホールKitaraで札響を聴きたい、という長年も夢があったので、その札響のコンサートカレンダーの都合との相談であった。


それで3月上旬に決めた。

航空券を予約したあとに気づいたのだが、3月の北海道、札幌ってまだ雪ガンガンに残っているよな。あちゃ~いろいろ出歩く計画を立てていたのだけど、こりゃ足元悪すぎて、こんなに計画こなせないや、ということで、かなり頓挫した計画も多い。


札幌中の島で、すみれを堪能したあと、地下鉄南北線の中の島の駅に向かっている途中での景色である。


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まさに冬の北海道。3月はだいぶ雪解けが進んでいて地面が出てきてはいるものの、まだまだ雪道、凍結地面で危険だと感じた。


自分がこのときつくづく思ったこと。それは、冬の雪はもうこりごりだ、ということである。


新千歳空港の日記で書いた通り、北海道は、本当に観光的に素敵なところだと思う。とくに夏。そして冬。いや紅葉の秋や桜の春も。。。


大自然の美しい景色と美味しい食事。すべてにスケール感が大きくて、こんな素敵な観光スポットはないだろう。

北海道出身の自分は、やはりその有難みをよくわかっていない、灯台下暗しなんだとつくづく思う。


そのことをわかっているとはいいながら、幼少時代から北海道の中でも豪雪地帯で育ってきた自分からすると、もう雪はコリゴリなのである。


いまは雪の除去車が排雪してくれるのがあたりまえになっていると思うが、当時は、朝起きたら、もう玄関の扉の真ん中ら辺まで雪が積もっている。まず玄関が開かない。そこから汗びっしょりになって雪かきをする。雪かきは毎日、子供の仕事である。


そして学校までの登校路でもたっぷり積もっている雪の中を、長靴姿でざっくざっくと漕ぎながら歩いていく。当然長靴の中に雪が入り込んできて、足は靴下ごとビショビショに濡れる。もう気持ち悪さMAXである。


天気の悪い日は、吹雪である。もうニット帽ふくめ完全防備だけど、それでも顔なんかは表に出ているからその吹雪、雪にさらされて寒いし痛い。


自分は豪雪地帯に住んでいたから、雪はもうこりごりという感じなのである。たしかに家の中は北海道は、発達した暖房設備のため、すごい暖かい。


東京は冬になると家の中はめちゃくちゃ寒い。でも外に出ると雪がいっさいないのである。ふつうの春、夏、秋と同じなのである。これが自分にとってどんなにありがたくて天国に感じることか!


冬は、もう雪の降るところには住みたくない、というのが自分の逸らざる心情である。


自分は、すみれの帰りの地下鉄の中の島駅に向かっている最中のこの冬景色を見た瞬間、うわぁぁぁ~これぞ。。またこの世界?もうやっぱり冬に雪の降るところはツライなと思い出してしまった。


もちろん雪を経験したことがない方にとって、雪はとてもロマンティック、北海道は、スキー、温泉、そしてクリスマスととても素敵な観光スポットに映ることは間違いない。


それは至極正しいと思うし、とても素敵だと思います。けっしてそのように夢を見る方にちゃちゃを入れいてるつもりではないので誤解のないように。もちろん、そういうシチュエーションはとても素敵だと思います。


自分の場合、単なる子供の頃のトラウマだけなのかもしれません。


北海道の冬季の道路はとても危険である。路面が凍結しているからである。よくすってん転んで、骨折したり大怪我したりすることもあるので、注意が必要です。


とくに危険なのは路面が凍結しているのにも関わらず、その上にパウダー状粉雪が積もっているので、一見見ただけでは、凍っているとはわからず、普通に歩いてしまいすってんころりんとやってしまうことです。


雪国、北海道の冬季の路面の歩き方は一種独特のスキルが必要です。これは道外の方が、冬に北海道に来たときに、その冬道での歩き方というのをよくご存じないので、ついついすってんころりんとやってしまう、ということはよくあることです。


雪国の冬季の道、特に凍結路面を歩くときは、いわゆるノウハウが必要なのです。これは北海道民や雪国の方は、自然と身につけているワザなのですが、雪国と関係ない人はふつうに歩いてしまうので、すってんころりんやってしまいます。


雪道、凍結路面を歩くときは、ゆっくり、ヨーソロー状態で歩くことです。つまり靴の裏をべったりと路面にかみしめるように、1歩1歩確実に踏み込むように貼り付けるように歩くのです。ふつうの雪のないふつうの道路での歩き方ではまずダメです。


1歩1歩かみしめるように歩くこと。1歩1歩、大丈夫だよな?滑らないよな?ツルンと来ないよな?というようにかみしめながら歩くのです。


1歩1歩こういう意識を持ちながら歩かないと、ふつうに東京と同じように歩くときに無意識に歩いているとスッテンコロリンとやってしまいます。


このヨーソローの歩き方は、なかなかわかってもらえないかもしれませんが、雪道を歩くようになると自然と身に着ける感覚、技になります。


でも道内者や我々道内出身者を以てしても、ちゃんとヨーソロー状態で注意して歩いていても、やっぱりふいにツルっとやってしまい転んでしまうことも多いのです。もうこれは予想もせずに、ふいに襲ってきます。


冬道、凍結路面を歩くということは、本当に大変なことなのです。


自分がやはり冬に雪が降るのがイヤだなと思ったのは、この雪道、凍結路面を歩かなきゃいけないということでした。あ~~~またこれをやらないといけないのか。3月の北海道は、雪解けで地面が出てきているとはいえ、まだまだ雪道状態、路面凍結状態で危険でした。


東京では、冬になっても、まったくそんな心配もせず、ふつうに歩ける。もうなんかそんな想いが過ぎりました。


豪雪地帯で幼少時代を育った人のネガティブなトラウマと思ってください。(笑)冬の北海道は、やはり素敵でロマンティックなところも間違いありません。もうどんどんそんなロマンティックな冬の北海道を楽しんでください。大いに応援しています。


さてひさしぶりに北海道で数日間過ごすととても新鮮に感じることがある。それが地方のローカルニュース、ローカル番組である。


日本の地上波放送は、いわゆる全国共通番組と地方ローカル番組とを交互にチェンジしながら放送を1日繋いでいる。これはどこの地方でも同じである。


ひさしぶりに北海道で滞在して、北海道のテレビを見ていると、この北海道の地方ローカル番組を見かけることも多い。なんかこういう番組をみるとほのぼのとしますね。なんか自分の子供の頃を思い出すというか懐かしいというか。。。


そんな中で懐かしいな~と思ったのが、”なまはげ”。

なまはげって知ってますか?(笑)


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なまはげは、秋田県の男鹿半島周辺で行われてきた年中行事で仮面をつけ藁の衣装をまとった神の使い(来訪神)を指す。こんな怖い仮面をつけて、藁をまとって、いろいろ家を訪問して回るんですね。


そしてこどもたちに、「いい子にしているか~。ちゃんとお父さん、お母さんの言うことを聞くんだぞ~。」もう赤ん坊、こどもたちは、怖いからギャンギャン泣き叫びます。


鬼の面、ケラやミノのような用具、ハバキをまとって、なまはげに扮した村人が家々を訪れ「泣ぐ子(ゴ)は居ねがー」「悪い子(ゴ)は居ねがー」と奇声を発しながら練り歩き、家に入って怠け者や子供、初嫁を探して暴れる。


家人は正装をして丁重にこれを出迎え、主人が今年1年の家族のしでかした日常の悪事を釈明するなどした後に酒などをふるまって、送り帰すとされている。


なまはげ、というのはそういう行事のことをいいます。

秋田県男鹿半島がその所縁の地だそうです。


自分がなにげなく眺めていたテレビで、このなまはげを歌志内という町で、”歌志内のなまはげ祭り”ということで毎年やっているのだそうです。当然ですが、全然知らなかったです。


歌志内はこれも炭鉱で栄えた町です。


歌志内市で毎年2月第1日曜日に行われる「歌志内なまはげ祭り」で、秋田県男鹿半島の行事として知られる「なまはげ」に、独自のアレンジを加えて開催しているのだそう。


旧炭鉱町の歌志内市で東北出身者が多かったので、地域活性化を図るために始まったと伝えられているそうだ。


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祭りでは、全身に蓑(みの)をまとい、大きな鬼面をかぶった男たちがなまはげに扮し練り歩く姿は迫力満点。また会場では、甘酒やおしるこの無料サービスや餅まきなども行われている。


特設会場でのイベントのほか、市内の企業や家庭を訪問し「商売繁盛」「家内安全」を祈願します。


なまはげと言ったら秋田でしょう、と思うものだが、まさか歌志内でそんななまはげ祭りが毎年行われているなんてまったく知らなかったです。歌志内のなまはげ祭りは、特別会場を作って、そこで行われるんですね。その模様がテレビで特集されていて、それを自分は見ていたのです。


この「なまはげ祭り」の日にちが近づいてくると、子供たちはソワソワし始めます。お祭り会場で親たちが「なまはげ」に今年の子供たちがどう過ごしたかを報告するからです。大概の子供の親は子供が悪い事をしたことを「なまはげ」に報告するので、子供は家を出る段階から行きたくないと駄々をこねるほどです。


要は、年に一度のお仕置き?なんですね。(笑)


お祭り当日、会場では子供たちはわりと余裕で楽しく雪遊びをしたり、大人は無料の甘酒やお汁粉を堪能して「なまはげ」を待ちます。


日も落ちだんだん暗くなってくると、いよいよ「なまはげ」の登場です。「なまはげ」は片手にたいまつを持ち、「泣く子はいねぇが―」、「いじめっ子はいねーか」、「親の言うこと聞かねぇ悪ガキは山さ連れてくぞ」と叫びながら山から下ってきますが、太鼓が鳴り照明が当たりとても神秘的な感じがします。ちなみに、この段階で子供は号泣です。


そして一度特設会場に鬼たちは整列し「なまはげダンス」なるものを披露した後、子供たちの元へ向かいます。子供たちは「ちゃんという事聞いていた」と泣きながら訴えますが、親は「いう事聞いてなかった」となまはげに告げ口をすると、「言うこと聞きます、ごめんなさい」と号泣。最後になまはげに抱っこしてもらい無病息災などを願います。会場では泣く子や逃げ回る子で、さらににぎやかになります。



・・・こんな感じです。(笑)


なんか微笑ましくて、微笑ましくて。こういう伝統祭りがおこなわれる、こういうニュースがいかにも地方ニュースらしい、北海道らしくて、自分はほのぼのした気分になりました。


なまはげに感動することも普段はないでしょう。

なんか滞在期間、自分の印象に妙に残っている番組でした。



もうひとつ北海道滞在期間で、テレビでたくさん報道されていたのが、北海道日本ハムファイターズの新本拠地の”エスコンフィールド北海道”です。


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この新球場のマスコミへのお披露目ということで、3月5日だったかな?いっせいに報道陣に新球場をオープン、初お披露目するという日があったのです。もうこの日は、北海道のテレビ報道は、この新球場のことで1日中報道している大フィーバーでした。


これは北海道にいるから、北海道のテレビだから味わえる感覚なんだな、と思いました。


思えばプロ野球の球団を地方へのフランチャイズ化していくという戦略はいま考えると大成功という結果になったと言っていいですね。福岡のソフトバンク(当時はダイエー)、仙台の楽天、そして北海道の日本ハム。


自分が子供の頃に、地方が球団を持つなんてまったく想定外でした。ビジネスにはならないという感じで論外でした。でもいまこうやって地方にきちんと根付いて栄えているというのは、本当に驚きで隔世の感があります。

球界のビジネス経営陣に先見の目があったということですね。


北海道は、自分の子供の頃からプロ野球は巨人ファンだったです。9割以上、間違いなくオール巨人ファンです。自分も巨人ファンでした。いわゆる札幌円山球場の時代ですね。(懐かしすぎる。。笑笑)


それがいまやどうなんでしょうね。もう完璧に日本ハム一色ですよ。テレビの報道姿勢や取り上げ具合、そしてそれに因んだ番組と、もう完璧に日本ハム一色。もう北海道は完璧に日本ハムに染まったといってもいいと思います。


それくらいメディアの日本ハムの取り上げ方が全然違います。こんなに毎日テレビ番組のどれかに日本ハムが出てくるなんて、やっぱりいまの北海道だな~と思うのです。



この北海道日本ハムファイターズの新本拠地”エスコンフィールド北海道”。報道番組でかなり詳細に紹介されていて、それこそ隅々という感じ。たぶん東京のニュースでは、そのごく一部の切り抜きカットシーンしか紹介されないと思いますが、北海道にいるからこそ、こんなに詳しく細部に至るまで紹介されているんだな、と感じました。


自分が、エスコンフィールド北海道で知っていたニュースは、ファールゾーン(ホームベースの後ろから横にかけてのエリアですね)の広さが野球の既定のルール違反であるということ。(笑)


ありゃ、やっちゃったな~という感じで、どうするんだろう?と思いますが、今季は仕方がなくこのまま行きますが、来季以降見直すという感じですかね。


ちょっと、このエスコンフィールド北海道、すごいですよ。


この日記では、その編集作業があまりに大変なので、その紹介はしませんが、たぶん日本の球場の中でももっともゴージャスですごい球場と言っていいと思います。


北海道ってそんな経済的豊かさがあるのか、どこがスポンサーなんだ?もう驚きとしかいいようがないです。


左右非対称な球場で、1塁側日本ハム側の応援側の観客席数のほうが多いようになっています。そしてドームのような屋内と、昔のような野外の球場スタイルと併用できるシステムになっています。


しかも天然芝ですよ!

昔の球場は天然芝でしたが、ドーム球場になってから人工芝全盛になりましたね。人工芝は選手生命を短くするという悪評もありました。やはり天然芝がいいみたいな論調もありました。この新球場では天然芝、復活なのです。


そして世界最大級の大型ビジョン。


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北海道・全国の銘店が集う横丁エリアや、球場内で醸造するクラフトビールというのもあります。あと温泉サウナ、高級ホテル、ミュージアム、キッズエリア・・・


北海道がこの新球場を新設するにあたって、目指したものとは、単なる新しい球場という括りではなく、いろいろなテーマパークも全部盛り込んだ、いわゆる”北海道ボールパーク(HOKKAIDO BALLPARK VILLAGE)”というコンセプトなんだということが理解できます。球場はその一環の役割でしかない。


だから膨大な敷地が必要で、札幌市内では無理なので、郊外の北広島なんだろうと推測します。



高級ホテルも併合施設になっていて、その中にダルビッシュ&大谷の11(ルームナンバー?)の特別ホテル部屋があります。部屋の中には、ダルビッシュと大谷の肖像画と直筆サインが飾られていて。その部屋から球場の試合を観戦することもできます。


そして食事やドリンクを楽しみながら、野球を観戦できるような特別エリア(センターの後方?)とか。それもカジュアルなものではなく、高級レストランも併設みたいな感じで、ディナーを楽しみながら野球観戦できるみたいな。。


そして両チームのダグアウトの造りや、ブルペンの構造。。。


もうとにかく報道番組、特集でつぎつぎと紹介される特徴、スポットにこりゃすげえや?これは間違いなく日本一の球場、と思ってしまいましたから。


とくにお客様目線、飲食関係によるサービスが充実して、かなりお金かかっているように思えて、こりゃゴージャスだな・・・と舌を巻きました。


単なる野球球場というジャンルにとどまらない、総合レジャー施設、テーマパークともいっていい規模の施設のように思います。


この新球場”エスコンフィールド北海道”は、札幌からやや南下の北広島というところにあります。札幌から新千歳空港にいく途中の駅ですね。


はたして足、いわゆるふつうにお客さんがアクセスするとして、どれくらいの利便性があるんでしょうかね?北広島駅からかなり歩くのでしょうか?車じゃないとダメなのでしょうか?このアクセス問題が結構重要な気がしてきました。


ところで日本ハムファイターズは、なぜこの新球場を新しい本拠地とする決意をしたのでしょう?

札幌ドームじゃダメなのでしょうか?


札幌ドームだってもう全然新しい球場じゃないですか?

そこを振ってまでも新球場に移転するメリットってなんなのでしょう?


そして日本ハムファイターズに去られてしまった、札幌ドームはその後どうなってしまうのか?

経営的に大丈夫なのか、黒字を確保して行けるのか?


まっもう北海道ボールパークという総合テーマパークというプラン、発想が前提にあったので、そこの球場は当然、日本ハムファイターズがフランチャイズとするというレールなんでしょうね。だから札幌ドームからの移籍はもう既定路線だったということになります。


自分はいろいろリスキーでたくさんの問題を抱えているように思います。札幌ドームは札幌市内なのに対し、北広島は、札幌じゃないですからね。はるか離れています。自分はこのアクセスの問題がいちばんどうなのかな、と思います。


車でのアクセスを前提としているのでしょうか?


これは自分が滞在していた期間の3月上旬では、北海道ではかなり話題になって報道されていましたよ。


この日本ハムファイターズの新本拠地”エスコンフィールド北海道”、開幕は3月下旬ですかね。今年の日本ハムはどうかな?


いずれ、この新球場で日本ハム戦を観戦したいものです。



らーめん五丈原を堪能して、市電ですすきの下車。夜から札幌コンサートホールKitaraで札響を聴く予定になっていたのだが、間に時間が結構空いていた。


この冬の寒いとき、なかなか大変である。やはりどこかで喫茶店、カフェなんかで時間つぶしかな、と思って歩いていた。地下鉄南北線のすすきの駅の地下ストリート街を歩く。懐かしいな。ちっとも変わっていない。


ここで宮腰屋珈琲を発見。


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宮越屋珈琲は、有限会社宮越商事と株式会社ミヤコシヤサンズが北海道を中心に展開するコーヒー専門店チェーンである。東京でも支店あります。北海道、とくに札幌の地下鉄駅街を歩いているとかなりの頻度で見かける喫茶店である。カフェというよりは喫茶店である。支店によってはちょっとしたオーディオシステムを鎮座させているところもあるらしい。(笑)新千歳空港の3Fのレストランエリアでも見かけました。


ここがいいな、と思ったが、現金が少なくクレジットカードが使えるか確認したらダメとのこと。今回に限らないが、札幌はなかなかクレジットカードが使えるところが、どこでも使えるというほどの利便性がなかったような気がする。現金を使いたくなかった自分は、その都度カードが使えるか確認したのだが、使えないところが多かった。


そしてさらに彷徨って歩いていたら、よさげなところを発見。

ここは喫茶店ではなくカフェである。(笑)


なんかお店の表構えもすごく小洒落れていて、素敵である。雰囲気がとても素敵。ここはカードが使えるということで、ここで即決。新千歳空港4Fのオアシスパークにもこのカフェありました。


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このPRONTOというカフェを営んでいるのは、株式会社プロントコーポレーション (PRONTO Corporation) は、東京都港区港南に本社を置き、PRONTO(プロント)等の喫茶店チェーン、酒場チェーンを運営する企業だそうである。



サントリーとUCC上島珈琲が共同出資し、1988年(昭和63年)2月1日に「株式会社ブレス」として設立。第1号直営店は東京・銀座に出店。その後は移転を経て、1995年2月1日に現在の社名に変更した。


昼はカフェ、夜は酒場業態となる「PRONTO(プロント)」を展開するほか、2000年(平成12年)からは完全なカフェ業態である「CAFE SOLARE」の出店を開始。2021年(令和3年)に再ブランディングを行い、現在のデザインである「太陽と月のダンス」と二面性をキーワードした新ロゴマークにモデルチェンジ。海外では、上海、シンガポール、台湾に展開を開始している。


ほぼ全店舗で、フリーWi-Fiやコンセントが使用できるサービスも提供されている。



このPRONTOというカフェ。昼はカフェ、夜は酒場業態なんですね。確かに雰囲気がとても素敵なのは、そういう要素があるんだと思いました。


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とにかくこの日は雪がしんしんと降っていて寒くて寒くて、体が芯から冷え切っていたので、ホットのロイヤルミルクティーとドーナッツを調達。体が温まりました。


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とてもいいお店だと思いました。


今回は、オヤジ、オフクロ、実家とメインのタスクがあったが、それと同時に北海道ラーメンを食べ尽くす旅、そして札響コンサートといろいろあったが、やはり3月の雪がまだ残っている足元の悪さ。いろいろ実現できなかった計画もあった。


北大学生食堂で学生たちといっしょにランチをする。北大散策、ラーメンでは実家近くに味の時計台とか昇龍のラーメン屋さん(この2軒は閉店になっていました。)、そしてジンギスカンのだるま。残念でした。


次回北海道に帰省できるのは、いつになるであろうか。

残ったタスクを片付けたいのである。


じつはぜひ行ってみたいところに旭川の旭山動物園があるんですよね。

ここはすごい魅力を感じます。


北海道に住んでいながら、旭川というところは意外と行った経験がなく、中学のときの修学旅行のときくらいしか記憶がない。ぜひこのミッション成功させたいと思っているのです。


そのときは、ぜひ旭川の醤油ラーメンを十分に堪能してきたいと思っています。






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やきとり三船 [グルメ]

おらが町のソウルフード。ソウルフードというのは”その地域に特有の料理。その地域で親しまれている郷土料理”という意味だが、まさに、この”やきとり三船”ほど、そう呼ばれるのに相応しい食べ物はないだろう。


おそらく日本中の誰も知らない。本当におらが町のみ有名な、おらが町のソウルフード。そんなお店である。


もう今回はラーメン特集に次いで、ローカル色全開だ~。(笑)


北海道というのは戦後、そもそも未開の地だったわけだが、そこに道外の人(北海道弁で内地の人といいます。)が北海道に移り住んできたその由来は炭鉱である。


戦後の北海道の町は、炭鉱が大変なビジネスで、未開の地、北海道はその石炭が眠っている宝の山であったのだ。その石炭を掘ることでビジネスになっていく。まさにいまのアラブ連邦のような石油みたいなものだから、炭鉱は大変な自然資源だったわけだ。


北海道のあちこちの町が炭鉱の町として栄え、そこでたくさんの人が働いた。道外、内地の人が北海道に移り住むというのは、この炭鉱で働くということと同義語であった。


戦後北海道が栄えていく、そのきっかけだったのが炭鉱ビジネスだったわけだ。


何を隠そう、うちのオヤジも実家は九州・佐賀県であるが、長男のオヤジのみ、北海道に移住してきたのも炭鉱で働くためである。でも肺結核を患い、退職。その後、高校教員としての道を歩み、定年まで全うした。


自分がこどもの頃(と言っても生まれたときからこの町にいるのではなく、いまの実家に引っ越ししてきたのは高校生のとき。)、美唄という町は炭鉱で栄えた町であった。


今回、ご紹介するおらが町の岩見沢やきとり三船は、そんな”美唄焼き鳥”三船がそもそものルーツなのではないか、ということのようだ。


北海道三大焼き鳥といえば


「美唄焼き鳥」

「室蘭焼き鳥」

「函館 ハセガワストアーの焼き鳥弁当」



「室蘭焼き鳥」は豚肉を使用。

「美唄焼き鳥」は鶏の正肉を使い、モツ、モモ、ムネ、レバー、ハツ、皮などが一緒に刺されている。


 なぜに岩見沢に「美唄焼き鳥」があるんだろうか?



「美唄焼き鳥の歴史」


・戦後間もない頃【三船 福太郎氏】が美唄市我路地区にて「三船」開業。

・1965年頃から1970年にかけて炭坑閉山。

・我路地区の三船を譲り、美唄中心部に移転。

・1965年岩見沢に「やきとり 三船」開業。

・1968年に三船の弟子が美唄市に「たつみ」を開業。

・1970年頃、親族により美唄市に「福よし」開業。


ちなみに

・士別にある「鳥源」は岩見沢三船で修行し

・士別で開業札幌と旭川に鳥源がある。

・士別店のご主人 亡くなったけど店名を変えて

・士別で焼き鳥営業している。


 

美唄市は炭鉱で栄えていた時代があり炭鉱は東美唄、南美唄、茶志内など最盛期の人口は9万人であったが現在は2万1千人と四分の一まで人口が減少。


三船開業の地である「我路地区」は「三菱鉱業美唄鉄道線」も運行していた時代があり、近隣には旅館、飲食店、映画館もあってこの地区だけで3万人ほど住んでいた。


また美唄駅から鉄道も引かれ

美唄駅→東明駅→盤の沢駅→我路駅→美唄炭山駅→常盤台駅

と10.6kmを鉄道で結ばれていた。


子供達もかなり多く住んでおり沼東幼稚園、沼東小学校、沼東中学校、旭幼稚園、旭小学校常盤幼稚園、常盤小学校、常盤中学校などの学校もあった。



そんな岩見沢にある”やきとり三船”。


もう古くから存在する。1965年創業だから自分が生まれたときからである。もちろん自分たち家族が引っ越してきてからもずっとそこにあった。


やきとり三船は、今では創業50年以上岩見沢市のソウルフードでもある。


岩見沢駅前というか、バスターミナルの向かいにある。大変失礼ではあるが、もう震災で臨時で作ったプレハブ、掘っ立て小屋のようなお店である。(笑)いわゆる首都圏のような屋号があって、暖簾、提灯があって、雰囲気のあるいかにも日本の居酒屋ってなそんな感じとはほど遠い。


掘っ建てプレハブ小屋を至急にやきとり屋さんにこしらえました。。。そんな風情である。でもこれがまさに思い出一杯。まさにやきとり三船なんだよね~。


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このやきとり三船。本当に溢れんばかりの想い出でいっぱいである。


ちょっといわゆるいまの居酒屋さんにあるやきとり、タン、ハツ、レバー、・・・など我々がふつうに味わっているいわゆる我々がふつうにイメージする”やきとり”とはちょっと違うのだ。


焼き鳥メニューはモツ串と精肉の二種のみ…お客さんの大半はモツ串注文する。


開店15時には来店客に混じって、持ち帰り注文客が続々訪れる…50本~100本注文が普通。とにかくすごい本数なのだ。みんなおうちで楽しまれるということなんですね。


このやきとり三船はイートインももちろんだけど、ここのお店はテイクアウトがすごい多い。ある意味、テイクアウトの比重のほうが大きいと思うくらい。テイクアウトがこのお店の稼ぎの大半を担っているのではないかと思われる。


店内の電話はひっきりなしに鳴りっぱなしで、それも携帯電話ではなく、固定電話の子機みたいなものを使う。そして注文を受けるのだ。それもかなりの本数。”もつ70本、明日の17時、○○様。”そして出来上がったところを見計らって、お客さんがお店に取りに来る。

 

これがある意味、このやきとり三船のビジネスの主幹といっていい。これで稼ぎを出している。もちろんイートインも混んでいるので、ここでも楽しめる。


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もうこういう感じで、お店の電話がひっきりなしにかかってくるのだ。大抵女性の給仕さんがとる。そして注文を受ける。モツ50本、モツ100本ですね。。今日の17時頃にはできると思います。。。という感じである。とにかく注文を受ける本数がハンパではない。(笑)東京の焼き鳥屋さんで、お持ち帰りでこんなに大量の焼き鳥をテイクアウトで注文するという光景はまずありえないのではないだろうか。この現象は、まさに北海道の地方、岩見沢市の独特の食文化を象徴しているように思う。みんな家族一家団欒で、うちの中で三船のやきとりを食べるんですね。そういう光景が目に浮かぶようです。


自分にとって、三船のやきとりといえば、この大量に注文が入ってお持ち帰りするテイクアウトのビジネスのほうに強烈な印象が残っている。


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電話はいまどきのスマホではない。あくまで固定電話の子機を使うのだ。昔からずっと子機を使うことで通している。女性の給仕さんが子機で注文を受けている姿はある意味、このお店の名物シーンではないだろうか。モツ40本、モツ80本と大量に注文を受けると、それが大体何時頃に焼き上がるかを男の串焼き担当に確認して、何時頃に出来上がります、と返答する。それで注文完了である。そしてその注文本数だけ、焼き上がったら、こうやってまとめてビニールでグルグル、そして新聞紙でグルグル巻きにして、その上にマジックで〇〇様と書いてテイクアウト用商品の出来上がりだ。そしてその時間帯になったら、お客さんがそれを取りに来るという感じである。


このやきとり三船のモツは強烈な匂いが漂う。すごい匂いです。もちろん美味しい匂い。家の中でこのお持ち帰りの三船のやきとりを食べていると家の中が、このモツの匂いで充満してすごいことになります。かなり強烈なやきとりだと思います。


昔、子供の頃、オヤジは自分の家族のために、このやきとり三船のやきとりをよく買ってきてくれたものだった。それを家で家族で食べるみたいな。。。


あるとき、さきに電話で注文した後に、車でオヤジと自分でそれを取りに行く訳だが、オヤジが突然、「このお店に、お父さんの教え子が働いているんだよな。恥ずかしいからお前が取りに行ってこい。」と言われたこともある。(笑)


そうやって三船で受取り、それを家で家族全員で食べる。そういう楽しみ方が多かった。その後、オヤジと自分でサシでこの三船で一杯やりながら三船のやきとりを楽しんだことも多かった。


そして自分が大病で休職していた2000~2003年の3年間、北海道の実家で休職していた訳だが、このときも北大病院に定期健診に出かけるとき、札幌澄川の純連で味噌ラーメンを食べた後、岩見沢に帰ってきたら、さらにここのやきとり三船でモツ20本を楽しむ。


そんなサイクルを送っていた。この頃はすごい大食漢であった。(笑)


まさにおらが町にある代表的なやきとり屋さんで、子供の頃から慣れ親しんできたまさにおらが町のソウルフードなのである。


今では、美唄焼鳥を食べられる店は札幌市内にもいろいろ店舗が有る中で、このおらが町にある”やきとり三船”はその伝統を受け継ぐまさにソウルフードと言っていいのである。


今回の帰省のときに、まだやっているのかな、とネットで調べたところ、岩見沢やきとり三船閉店、という記事を見て、あちゃ~と思い、ついにここも閉店か~まぁ確かに自分が高校生時代から40年以上も経っているからな。しかもお店の創業としては1965年から。閉店になっても仕方がないか、と思ったが、いざ行ってみると、なんとなんの変哲もなくいつも通り、通常通りに午後15時から開店しているのである。


うれしかったね~。


ということで、じつに超ひさしぶりに体験してきました。やきとり三船。


この店内まったく自分の記憶では子供の頃だからもう40年以上変わらず。まったくこのまま。


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魚拓なんかも飾ってある。


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やっぱりやきとり三船といえば、この風景なんですよ。お店の一番端で炭火でやきとりをガンガン焼いていくんです。もうこれは男の仕事。


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電話での注文をとる。給仕さんは女性の役割だけど、この串を焼くのは、まさに男の仕事。頭にねじり鉢巻きを巻いて、冬でも半袖で炭火でガンガンに熱い中を串を裏返ししながら焼いていく。これだけ膨大な串を焼いていく訳だからその煙がモクモクと上に上がっていく。それを店外のダクトから外に放出していく。


よく外から、やきとり三船のお店を見ていると、大きなダクトがあってそこからモクモクと煙が放出されているのがよくわかるのだ。その煙が見えると、あ~お店始まっているな、という合図なのだ。


ちなみに、三船のやきとりは、タレで焼くという文化はありませんから。(笑)オール塩で焼きます。


やきとり三船のやきとりは、塩とコショウのみです。


やきとり三船のモツ、いわゆるモツ串は、ふつうに我々が想像する焼き鳥、タン、ハツ、レバー、・・・とはまったく違う別物だと思っていい。見た目も食感もである。なにからなにまで、あのふつうの焼き鳥とは全然違います。


やきとり三船のモツ串のルーツは、美唄焼き鳥にある。

ここでちょっとその美唄焼き鳥について解説を試みる。


美唄焼き鳥とは?


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モツも皮も、鶏を丸ごと一串に


かつて炭鉱で栄えた美唄(びばい)市には、地元の人たちが愛してやまないソウルフードがいくつもある。その一つが「美唄やきとり」で、炭鉱マンのスタミナ源として愛されてきた。一番の特徴は、一串に数種類のモツ、鶏皮、モモ肉が入っている「モツ串」にある。この独自スタイルは、1953年に美唄市の「三船」という店で誕生し、市内いくつもの店に受け継がれている。


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美唄のやきとりは、一串にレバーやハツ、砂肝、キンカンなどのモツと、鶏皮、モモ肉が、全部刺さっていることが最大の特徴、一羽の鶏をさばいたら、すべてムダなくおいしく食べよう、と考案されたもの。さまざまな食感と旨味が口に広がり、なんとも奥深い味わいである。串に刺す順番は、一番下が皮、次が北海道らしく玉ネギ、次がモツ、再び玉ネギ、最後がモモ肉。玉ネギは美唄の名産品で、焼くと甘味が増して鶏肉との相性抜群。メニューには精肉(ムネ肉)だけの串もあるが、お客さんが注文するのは圧倒的に「モツ串」である。


とにかくたくさん食べるのが美唄流


やきとりを注文するとき、美唄では10本単位で大量に注文するのが普通。一人10本、20本食べるのは当たり前。味付けはシンプルに塩こしょうのみ。


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三船のやきとりは、モツ串と精肉の2種類のみだが、自分はモツ串のほうが好きだし、注文するのもモツが圧倒的だ。この日、モツ40本注文。10本ずつ上がってくる。


これがやきとり三船のモツ串。


モツ10本


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モツ20本になるとこんなに凄い!


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串の中に黄色いボール状のものが見えるであろう。これがキンカンと呼ばれるものである。キンカンというのは見ての通りで、卵の黄身の元になるものである。キンカンはトロッと黄身が液体状にとろけだしてくるところもあるようだが、ここ三船では、ガンガンに焼いてしまうので、もう完全な固形状態の黄身である。


こういうキンカンが串に刺さっているというのは、いわゆる美唄焼き鳥、やきとり三船のひとつの特徴なのではないかと思う。自分はいままで焼き鳥にキンカンが刺さっているというのはあまり見たことがなく、このやきとり三船のモツ串が初めてであった。逆にこの串に刺さっているキンカンを見ると、あ~~~いまやきとり三船のモツ串食ってんだな~としみじみ思うのである。


やきとり三船のモツ串は、食べてみてもやはりふつうの焼き鳥(特に塩味)とも全然違う。独特の食感で、基本はすごいサッパリ系。香りがつ~んと鼻に抜けてくるような香りの豊潤さがあって、よく買ってきて家の中で食べてると、その香りが家の中で充満する感じになる。


油でジューシーで、サッパリ系で香りが豊潤。我々が普段食している焼き鳥とは似ても似つかないまったくの別物。かなり個性的な味付けだと思う。中毒性があります。しばらくするとまた食べたくなるそんな感じ。


すごく美味しいと思います。


このやきとり三船に来たら、モツ串だけを食べるのではなく、かならず締めとしてかけそばを注文することをお勧めします。ここのそばはかなり美味しいです。


自分は、そばは、やはり駅のホームにある立ち食いそばほど美味しいものはないと思っていますが、あのホームで漂うあのなんともいえないそばのつゆ、だしの香りの味、まさに朝夕出退勤するサラリーマン殺しですよね。(笑)


三船のかけそばは、その立ち食いそばを超えます。ここのそばのなにが美味しいかと言うとそのダシ、つゆです。これはいままで食べたことがないくらい香ばしいというか脂っぽいというか、かなり香ばしくて、この味は自分の長い人生の中でこの味はどこに行っても味わえることができないです。唯一ここでしか味わえないダシ、つゆの味だと思います。


なんともすごく脂っぽくて香ばしい醤油味なんですよね。

ここのかけそばは、日本中探しても、このおらが町のこのやきとり三船でしか味わえないと思います。


もちろん自分は締めとして、かけそばをオーダー。

美味しかった~~~。


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ネットで、やきとり三船閉店の記事を見たときは、ついに来るべき時が来たか~と思いましたが、今回帰省したとき、べつになにごともなかったように営業を続けられていたのには心底ホッとしました。


また末永く続けられることを期待しています。







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