マシュ・ケ・ナダ [音楽雑感]
最近ハマりにハマっている曲で紹介したいのがこの曲。
マシュ・ケ・ナダ
これは1度聴いたら完璧に中毒。何回も繰り返して聴きたくなる、そんな中毒性のある。おもわずツボに入り込んだ感じで、たまらん!という感じです。
まさに昭和そのもののメロディ、平成を飛び越えて昭和はすごい古くなってしまったけど、この昭和でないと醸し出せない旋律というのがあるんですね。
メロディを聴いたら、これはとても令和、平成では無理だ。この時代には絶対生まれてこない旋律。昭和だからこそ、昭和の1960~1970年代だからこそ出せる格好良さ、そういうイカした雰囲気がある。
でもそういう旋律をいま聴くと、逆になんかとても新鮮ですごくカッコイイんだよね。
いまこの曲にもうハマりにハマっています。
マシュ・ケ・ナダはボサノヴァです。
「マシュ・ケ・ナダ」(Mas que nada) は、ブラジルのシンガーソングライター、ジョルジ・ベン作曲のボサノヴァの楽曲。
曲名の意味は、納得できない事に対して「ありえない!まさか!なんてこった!やなこった!勘弁してくれよ!」と不満を口にするポルトガル語の表現。
なんか妖気漂う怪しさがあって、これがじつにカッコいいんだな。
この旋律に自分はイチコロにやられました。
この独特の妖気漂う怪しいカッコよさというのは、昭和という時代だからこそが生み出したものというよりは、ブラジル音楽、ボサノヴァがもつ独特の音楽としての造形美なんだろうと思ってきました。自分はそれにやられたんだと思う。
ボサノヴァもちろん大好きだけど、普段そんなに毎日あまり聴かないからね。
自分にとって新鮮だったんだと思う。
ジョルジ・ベンの作品として、ブラジルにて1963年にコンチネンタル・レーベルからシングルとして発売された。その後、フィリップスから発売されたベンの初アルバム『Samba Esquema Novo 』(サンバ・エスケーマ・ノーヴォ、訳:サンバ新体制)に収録。ブラジル国内で2か月で10万枚を越すヒットとなる。
これです。
これはいかにも古いブラジル音楽、伝統的なボサノバそのもの、そんな直球勝負な感じである。自分は、この曲がなんとも中毒性があって妖気漂う怪しいカッコよさと感じるのは、おそらく後世のカバー・バージョンを聴いてからだと思う。カバーというのは本当に素晴らしい。カバーのほうがオリジナル、原曲よりいい、というのはここにありますね。カバーがその曲のいろいろな可能性を拡げてくれる、そんな想いがします。
1966年に、セルジオ・メンデスのアルバム『Sergio Mendes & Brasil'66 』に収録された女性コーラス入りのカヴァーが大ヒットし、世界的に有名になる。このヒットでセルジオ・メンデスが世界中の様々なジャンルの音楽ファンに知られるところとなる。このバージョンは2015年にトヨタ自動車のコンパクトミニバン「シエンタ」のCMソングに使用された。
これです。
マシュ・ケ・ナダが世界的に大ヒットしたきっかけが、このセルジオ・メンデスによるカバーでした。リズムからアレンジからいかにもブラジルってな感じで、アップテンポのボサノバという感じである。女性コーラスがリードボーカルを取っていて、これがカッコいいんだな。ブラジル語でしょうか・・・。
格好良すぎる。
この格好良さは、1966年じゃないと出せないんだよね。令和や平成じゃ無理だと思う。
ハナ肇とクレージーキャッツの シングル、 アッと驚く為五郎は、セルジオ・メンデス&ブラジル'66による「マシュ・ケ・ナダ」の影響を受けたとされる。
小野リサとDJ TAROのマシュ・ケ・ナダ
これがまたいいんだな。小野リサさんは、ブラジル生まれの日本人ボサノヴァ歌手。ブラジル音楽が好きな父がライブハウスを経営しようと1958年に渡伯。サンパウロで「クラブ一番」という店を営んでいた両親の下、ブラジルで生まれる。日系ブラジル人の幼稚園に通い、日本とブラジルの音楽両方に囲まれて育つ。
2013年、ブラジル音楽への献身と日本でのボサノヴァ普及の功績に対し、ブラジル政府からリオブランコ国家勲章の叙勲を受けている。
まさに日本のボサノヴァの第一人者、重鎮のような存在ですね。
一度コンサート行ってみたい、とずっと思っているんですね、昔から。
その小野リサさんのマシュ・ケ・ナダも素敵なんですな。スローテンポで、これぞ、まさにボサノヴァという感じで、リズムの切り方といい、歌い方といい、雰囲気といい、まさにボサノヴァそのものというアレンジである。でも新しい近代のサウンドという感じがします。ジョルジ・ベンのような原曲のコテコテのブラジル音楽、ボサノヴァというより、もっと今風に新しく洗練されたアレンジのボサノヴァです。結構ゆったり系のスローテンポです。ブラジル雰囲気たっぷりです。
由紀さおりのマシュ・ケ・ナダ
この曲において、自分にとって、最大の衝撃だったのがこのカバー。自分はこの曲のカバーでこれが一番好きです。これが最高にカッコいいと思います。これはもうボサノヴァではないです。もう完全に日本の歌に変更されています。もちろん日本語で歌っているんですが、音楽のジャンルとしては何になるのであろうか。ちょっと思い出せないくらい中庸な立ち位置で、独特の存在感があります。
ものすごいアップテンポで疾走感があることが、この妖気漂う怪しさのメロディによく合っていてじつにカッコいいんだな。それに由紀さおりさんの美声がよくフィットしていてたまらん、という感じです。
これは、2011年に世界中で大ヒットしたピンク・マルティーニとのコラボレーション『1969』の中に入っています。
このカバーにはかなりハマって、1日中リピートして聴いていたこともあります。
いまもかなりヘビロテで聴いています。
江部賢一のマシュ・ケ・ナダ
江部賢一さんは、クラシック・ギターを鈴木巌に師事。ヤマハ・ネム音楽院でジャズ・ギター、理論、アレンジを学ぶ。さまざまなジャンルで音楽活動を行ない、ギターのアレンジ集も多数出版されている。
江部賢一さんのマシュ・ケ・ナダはこの得意のクラシック・ギターでアレンジしたインストルメンタル・バージョン。つま弾かれるクラシック・ギターの音色がじつに落ち着いた静謐な美しさで、この曲のもうひとつ別世界の違ったイメージを作り出していて、とてもいいと思います。
サパトスのマシュ・ケ・ナダ
木村純 Jun Kimura(guiter) ブラジル系グループのギタリストとしてライブ、コンサート、レコーディング等をこなし、数多くのCMに音楽提供をして、2001年度放送広告審査会(ACC)の銅賞(資生堂)とACC賞(松下電器)をダブル受賞。ボサノバギタリストとしての参加アルバムは多数に及ぶ。
これはカッコいいですね。アップテンポでかなりカッコいいアレンジです。自分は由紀さおりさんに次いでカッコいいと思います。数多くのCMに携わっていらしてきているので、あの数分の短い時間にいかに視聴者の心、耳を瞬時に掴むか、というキャッチーなアレンジに長けているというか、そういうセンスを感じますね。
これはかなりカッコいいと思います。
そして最後に、
ザ・ピーナッツのマシュ・ケ・ナダ
ザ・ピーナッツって知ってますか?(笑)
まさに我々の昭和の世代を代表する双子のデュオでした。
うりふたつの見分けがつかない双子をアイドル、歌手にして売り出そう、という戦略は誰が考えたものなのでしょうか?
当時の一世を風靡していました。自分も子供の頃、家のテレビで歌謡番組で、ザ・ピーナッツが歌っていたのをリアルタイムでよく見ていました。
いまでもはっきり覚えています。
怪獣映画での”モスラー~~~や”はよく覚えている。懐かしすぎる~。(笑)
そんなザ・ピーナッツですが、マシュ・ケ・ナダのカバーを歌っているのです。
これはSpotifyでは検索しても出てこないのですが、YouTubeに上がっています。聴いたら、オォォォオオオ~、まさにピーナッツの声だ~。もう50年以上も昔の子供の頃なのに、はっきり脳裏に焼き付けられているデュオ、伊藤エミ、伊藤ユミの双子の声。間違いない。涙が出てきました。
ザ・ピーナッツがカバーするマシュ・ケ・ナダは明るい張りのある歌い方で、ちょっと演歌みたいにこぶしが回ってますね。(笑)でもいかにもピーナッツの歌です。なかなか素晴らしいです。
ザ・ピーナッツは、オー・シャンゼリゼもカバーしてます。YouTubeに上がってます。
ブラジル音楽、ボサノヴァ、もちろん大好きだし、いい音楽だと思うけど、生身の人間である自分にはやはり容量がありますね。なかなかすべての音楽を全部消化しきれないです。
でも、このマシュ・ケ・ナダをきっかけに、ブラジル音楽、ボサノヴァにも興味がシフトして、いろいろ聴くようになればいいと思います。
オー・シャンゼリゼ [音楽雑感]
パリのシャンゼリゼ通り(Avenue des Champs-Élysées)は、パリ市内で最も美しい通りとされていて、特にフランスでは「世界で最も美しい通り (la plus belle avenue du monde)」と言う表現が使われている。
パリといえば凱旋門、その凱旋門を西から東にまっすぐ直線で突っ走る大道路である。凱旋門のところは、シャルル・ド・ゴール広場、そして東のコンコルド広場、ここまでを大直線で結ぶ大道路である。
まさに世界でもっとも有名な通りであり、もっとも美しい通りである。華のパリといったら、まず真っ先にこのシャンゼリゼ通りのことを思い起こすのは間違いない。
懐かしすぎる~~~。(笑)
もうここにどれだけの想い出があるか。。。
シャンゼリゼ通りをまっすぐコンコルド広場に向かって行って途中に右折したところにシャンゼリゼ劇場があります。響きがデッドな(笑)もともとはオペラハウスです。
そして、凱旋門のところからは、サル・プレイエルにも行けます。昔は、パリ管弦楽団のフランチャイズ・ホールでしたが、フィルハーモニー・ド・パリが出来てからは、とくにクラシックとは限定しないマルチユースな使い方をされているようです。ショパンが愛したプレイエル・ピアノの展示ルームがありました。
またぜひ行きたいです。
凱旋門からコンコルド広場までは、地図で見るとそんな距離はないような感じがしますが、実際歩いてみるとかなり歩きます。でも自分はよく歩いたんだな。(笑)いま、自分はシャンゼリゼ通りを歩いているんだ、という実感を味わいたいために、この一直線をよく歩いて楽しみました。途中セーヌ川とエッフェル塔も見えます。
コンコルド広場には、自分がパリに来たときに定宿にしていたホテル(ちなみに典型的なコンチネンタル・ブレックファーストでした。)があって、ここはそのままコンコルド広場で楽しめてそのままルーブル美術館やオルセー美術館も近いし、またパリ・オペラ座ガルニエにも行ける。
そして、そこからメトロで凱旋門まで一直線だし、またお天気のいい日は、シャンゼリゼ通りを凱旋門まで歩いていくのです。
シャンゼリゼ通りには、もう高級ブティックが立ち並び、いかにもファッションの街フランスらしいお洒落な雰囲気を醸し出しています。
シャンゼリゼ通りには、昔フーケッツという老舗のカフェがありました。
パリの4大カフェのひとつです。
まさに世界の俳優さんや著名人たちが愛した歴史と伝統のあるカフェでしたが、なんと!4年前の2019年にパリ市民の暴徒で放火されてしまいました。(笑)「黄色いベスト」デモでしたね。なんたる暴挙!開いた口がふさがらなかったです。
あれからこのフーケッツ、再興されたのでしょうか・・・
ネットで調べてみたら、無事修理完了で再開されているようですよ。それも事件のあった2019年度中にですね。全然知らなかったです。でもよかったです。
自分はシャンゼリゼ通りというと、どうしてもこのカフェ・フーケッツを思い出します。凱旋門から歩いてすぐのところにあって、なぜかパリに行く度に、このカフェの前を必ず通ることがすごいパリのイメージとして自分の脳裏に焼き付いています。パリのカフェは、店内よりテラス席がいいですね。お天気のいい晴れた日に、テラス席で楽しくゆったりしているパリ市民の姿は、まさにパリの風物詩といっていいです。”ブロンド美人はサングラスがよく似合う。”まさにそんな風景が広がっています。
自分もこのカフェ・フーケッツに入ったことありますよ。以前日記でも紹介しましたが、すごいメニューのお値段がお高いので、ゆで卵を頼んだ記憶があります。(笑)でもちゃんとゆで卵立てに1個だけちょこんと乗っかっているサーブのされ方です。
そんな想い出いっぱいのパリ・シャンゼリゼ通り。
このシャンゼリゼ通りのことを歌った有名な曲があります。
オー・シャンゼリゼ
もうこの曲、日本でも大ブームになって、そのメロディを聴いたら、あ~あの曲!と、誰でも知っている有名な曲ではないでしょうか?もちろん世界中で大ヒットして、ほんとうにたくさんの歌手によってカバーされてきたスタンダードな名曲となりました。
ある日、なんか、無性にオー・シャンゼリゼが聴きたくなって、Spotifyで聴いてみたら、例によっていろんなカバーバージョンが選曲できるので、いろいろ聴いてみると、もう大感動!あまりに素敵すぎ。しかしいい曲だな~。名曲ですね。
いろいろなカバーが、これまたそれぞれの個性、アレンジがあってとてもグーなのです。みんなイケているのです。以来、ここず~っと自分の中ではオーシャンゼリゼ、かなりマイブームです。
「オー・シャンゼリゼ」(フランス語: Les Champs-Élysées)は、パリのシャンゼリゼ通りをモチーフとした歌曲。フランスの歌手ジョー・ダッサンの楽曲として1969年に発表されました。
邦題の「オー・シャンゼリゼ」はフランス語で「シャンゼリゼ通りには」、「シャンゼリゼ通りで」を意味する歌詞「aux Champs-Élysées」に由来していて、発音は”オ・シャンゼリゼ”となるそうです。
オー・シャンゼリゼの原曲は英語で書かれた楽曲「ウォータールー・ロード(Waterloo Road)」であり、イギリスのサイケデリックバンド・ジェイソン・クレストの4枚目のシングル曲として1968年に発表された。ジェイソン・クレストのプロデューサーであったフリッツ・フライヤー(2007年死去)が彼らの作曲能力に限界を感じて、ザ・フォー・ペニーズ(英語版)のマイク・ウィルシュ(Mike Wilsh)とThe Jugular Vein のマイク・ディーガン(Mike Deighan)が作った曲の権利をビートルズのアップルレコードから買い戻して提供したものである。
この楽曲に、フランスの作詞家ピエール・ドラノエがフランス語の詞をつけたのが『オー・シャンゼリゼ』である。原曲はロンドンの「ウォータールー通り」を舞台としていたが、フランス語訳の際にパリのシャンゼリゼ通りに差し換えられた。これは、ウォータールー(ベルギーのワーテルローの英語読み)はフランスがイギリスに敗れたワーテルローの戦いの戦場と同名であり、フランスではそのままでは発売できないためである。
自分はこの事実を知ってびっくり!ウォータールー、Waterloo!
オー・シャンゼリゼの原曲がウォータールー・ロード、Waterloo Roadだったとは!
ウォータールー、Waterlooは、もう自分にとっては人生で忘れることのできないイギリス、ロンドンの街である。
懐かしい郷愁漂うわが青春の街、ベージングストーク、Basingstokeから毎週末、土日になると、マイカーでモーターウエイM3を1時間くらい突っ走り、そのままロンドンに出るところがウォータールー、Waterlooなのであった。そこからピカデリーサーカスにいったん出て、自分のロンドン遊びが始まるのである。遊び終わると、またピカデリーサーカスからウォータールー経由でわが街に帰っていく。それをずっと繰り返していた。
ウォータールー、Waterlooには、ロンドン・フェスティバル・ホールがありますね。2016年にときにロンドン再訪したときに行ってきました。
懐かしかったです、ウォータールー、Waterloo。
そんなオー・シャンゼリゼの原曲となった「ウォータールー・ロード(Waterloo Road)」。
これですね。
さっそく聴いてみました。
イギリスのサイケデリックバンドなので、あの当時のあの雰囲気ありありです。サイケデリックそのもの。
サイケディリックってわかりますか?
あの頃のロック・ミュージックはドラッグとは縁の切れない世界でした。
LSDなどの幻覚剤によってもたらされる心理的感覚や様々な幻覚、極彩色のグルグルと渦巻くイメージ、そんな世界がサイケディリックです。この感覚は当時のロックを世代的に体感した人でないとなかなかイメージ湧きにくいかも。あのなんともいえない退廃的な雰囲気、ムードというか。。
でもいざ聴いてみると、オー・シャンゼリゼなのです。(笑)まさにひとフレーズも違うことなく完璧にオー・シャンゼリゼなのです。で、肝心のサビの部分が、ウォータールー・ロード(Waterloo Road)として歌っているのです。
だから後世に伝えるに至って、編曲なんかいっさいしていないという感じです。
原曲はそのままオー・シャンゼリゼそのものでした。
でも曲の雰囲気は、サイケディリックなのです。(笑)
しかもサイケデリックな野郎たちが歌ってます。(笑)
お洒落なパリのシャンゼリゼ通りの歌曲「オー・シャンゼリゼ」が、じつはイギリスのサイケデリックバンドの曲が原曲だったとは!
しかも似ても似つかないその両者。
面白過ぎる!
その後に、フランス在住アメリカ人の人気歌手ジョー・ダッサンがアレンジして、1969年に自らのアルバムに加えて発表しました。シングルカット版はベルギーのワロン地域のチャートで最高4位となったほか、多くのヨーロッパの国でチャート入りした。
ジョー・ダッサンの日本でのシングル初版は「シャンゼリゼー」のタイトルだったが、すぐにタイトルを「オー・シャンゼリゼ」としジャケットも変更して再発売している。
これですね。
これが、いわゆる「オー・シャンゼリゼ」としての最初のリリースになったのでした。「オー・シャンゼリゼ」は、フランスの歌手ジョー・ダッサンの楽曲として1969年に発表されたのが始まりだったのです。
男性のぶっとい声で、武骨な感じで歌い上げる感じでお洒落な雰囲気とは全然違う世界ですが、フランス語なんで、なんとなく雰囲気はそれなりに出るもんなんですね。これがオリジナルか~そんな印象でした。
日本では、1971年に発売されたダニエル・ビダルのレコードがヒットしました。
ダニエル・ビダル(1952年6月27日 - )は、モロッコ生まれのフランスの女性歌手。1970年代前半に日本で活躍したことで知られる。ダニエル・ビダルが歌う「オー・シャンゼリゼ」は、日本語ともうひとつのフランス語のチャンポンで歌います。
これは、まさに「オー・シャンゼリゼ」ですね。「オー・シャンゼリゼ」のオリジナルのイメージはこの曲が原型と言ってもいいのではないでしょうか。
ボンジュール~アンニュイなパリのイメージ、当時の1970年代のあの雰囲気の伴奏。ハイカラという言葉が似合うようなあの時代の精一杯のオシャレ感覚。
1970年代だな~という感じのオー・シャンゼリゼです。
そして越路吹雪さんの「オー・シャンゼリゼ」です。
これも日本で、この曲を有名にしたひとつのきっかけになりましたね。越路吹雪さんのあの独特のカラーで見事に自分の曲としてアレンジされてます。もちろんオール日本語で歌ってます。訳詞は岩谷時子さんがやられています。
南沙織さんも「オー・シャンゼリゼ」をカバーしています。
南沙織さん知ってますか?(笑)
我々の世代、昭和の代表的なアイドルでした。
南沙織さんが歌う「オー・シャンゼリゼ」は、溌溂とした若々しいアレンジですね。越路吹雪さんが、昭和初期のシャンソンっぽいだったのに対して、一気に昭和アイドル時代のど真ん中の勢いのあるアレンジになりました。
またレイモン・ルフェーブルがイージーリスニングにし、世界的にヒットしました。小中学校の音楽の時間に取り上げられたり、たびたびCMにも使われたりもしました。
レイモン・ルフェーヴルはフランスの編曲家、指揮者、作曲家、ピアニスト、フルート奏者などいろいろな顔を持つ多才な人でしたが、イージーリスニング界の第一人者として有名。特に日本では、キングレコードを発売元としていた時期に、ポール・モーリアの「ラブ・サウンドの王様」に対して、「ラブ・サウンドのシャルマン」がキャッチフレーズとして使用されたことで有名になりました。
そんなイージー・リスニング界の第一人者が編曲する「オー・シャンゼリゼ」。これが世界的にヒットしました。とても優雅で、でもちょっとした躍動感もあって、パリの気だるい色気というよりは、もっと明るい元気な感じのアレンジでした。正統派という感じですね。
オー・シャンゼリゼは、もともとはイギリスの曲であるが、シャンソン及びフレンチポップスであるかのイメージが根強くあり、特に日本でフランスの歌として大ヒットしたため、長年シャンソン若しくはフレンチポップスとして扱われてきたのである。
もうちょっといろんなカバーを楽しんでみます。
Spotifyはとても便利です。
クレモンティーヌの「オー・シャンゼリゼ」
クレモンティーヌ(1963年 - )は、フランスの歌手。1988年にシングル「アプソリュマン・ジャズ」をリリースしてデビュー。歌手として多くの音源をリリースするほか、NHK Eテレ『テレビでフランス語』の毎月最終週に放送されている「Divertissement」に出演するなどしている。
このクレモンティーヌの歌う「オー・シャンゼリゼ」が自分は一番のこの曲のイメージにぴったりだと思います。もちろんフランス語で歌っていて、優しくソフトなシルキーっぽい肌感というか、ちょっとパリのアンニュイで気だるい色気、妖艶さを感じさせる歌い方なのです。もちろん彼女の声質もパリらしい。
自分は「オー・シャンゼリゼ」のカバーをいろいろ聴いた中ではこれがベストだな。
由紀さおりの「オー・シャンゼリゼ」
由紀さおりさん知ってますか?(笑)
我々昭和世代ではあまりに有名な方でした。自分は圧倒的に歌手としてしてのイメージなのですが、実際の活動としては、歌手、タレント、女優、ナレーターなど多岐に至る幅広い芸風でございました。シンガー・ソング・コメディアンを自称しているそうです。(笑)
由紀さおりさんは、演歌ではないんですよね。
もっと近代的でいろいろなバリエーションの歌を歌える才能があって、特に声質がいいですね。なんかジャズとかシャンソンとかの洋風の歌を日本語で歌う日本風アレンジのようなそんな立ち位置のような気がします。
いわゆる美声といわれる声質で、しっかりと線が太い声なのですが、定位がしっかりしていて、透き通った透明感のある美しさがあって、さらに湿度感があるしっとりとしたじつにいい声をしていると思います。美声なんですね。大人の女性の歌という感じです。歌手としては、すごいうまい歌手だと思ってます。
これは自分は知らなかったですが、2011年にピンク・マルティーニとのコラボレーション『1969』が各国で高く評価されました。
ロンドンとアメリカのステージに、プロモーションも兼ねて立った。2011年に世界50ヵ国以上でCD発売・デジタル配信され、2011年11月2日付のiTunesジャズ・チャート及びカナダiTunesチャート・ワールドミュージックで1位獲得という快挙を達成。さらにギリシャのIFPI総合アルバム・チャートで最高6位、シンガポールのHMVインターナショナル・チャートでは最高18位となった。この報道の影響もあって、特に2011年暮れから2012年に掛けて、由紀さおりのテレビ番組への出演が増加していた。
これは驚きました。
まったく知らなかったです。
このあとの日記でもご紹介しますが、このアルバムに入っている「マシュ・ケ・ナダ」がもう最高で、自分の中でベストワンの「マシュ・ケ・ナダ」と確信しています。さっそくこのアルバム、Spotifyで自分のお気に入りに登録しています。
夜明けのスキャット、喝采、ブルーライトヨコハマ・・・、懐かしすぎる~。(笑)
この由紀さおりさんが歌う「オー・シャンゼリゼ」もこれまたいいんだな~。この透明感のある美声でしっとりした雰囲気で歌う「オー・シャンゼリゼ」もなんとも素敵です。もちろん日本語です。これもなかなか捨てがたいベストワンに押したい感じです。
オー・シャンゼリゼ、まさにフランスと日本の両方の架け橋となる素敵な歌曲でした。まさかその原曲が、イギリスのサイケデリックバンドにあったとは思ってもみませんでしたが。(笑)
この曲を聴いていると、本当に昭和のよき時代、あの頃の時代の言葉でいえばハイカラというような、そんなあの当時の精一杯のオシャレ感覚を醸し出しているそんな曲ですね。
いまでも毎日ヘビロテで聴いている曲です。