鎌倉の行列のできるカフェ [グルメ]
radikoはとても便利だと思う。2010年スタートだから、いまから12年前にスタートしたサービスなんですね。こんな便利なものがあるとは、つい最近までまったく知らず。radiko使うようになってから、ライフスタイルまったく変わりました。激変と言っていい。
スマホで聴きます。ソファやベッドに寝転がりながら、好きなときに好きな場所でラジオを聴く。ラジオがずいぶん身近になりました。
いままで時間に縛られるというイメージでなかなか縁がなかったラジオ番組が自由に聴けるようになったのは大きいです。
ピストンさんのグルーブラインや、村上春樹さんの村上RADIOとか、よく聴いています。あと、スマホだとサッサッっとザッピングしながら、ちょい聴きで、番組を渡り歩くことも可能ですね。いろいろなラジオ番組を知ることができるようになりました。
そんなたくさん聴いているラジオ番組の中で、秀島史香さんのSHONAN By The Seaも聴いています。リアルタイムだと日曜の早朝なので、いままで縁がなかったですが、radikoを使うようになってから、聴けるようになりました。
その番組の中で、一度行ってみたいと思うようになったカフェが、鎌倉の老舗カフェ、カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ。マスターの堀内隆志さんと秀島さんの軽快なやりとりで、堀内マスターがとても優しいいい人オーラがいっぱいなので、いつか一度、そのカフェに行ってみたいと思っていたのでした。
GWに決行したいと思っていましたが、まず自分はかねてより決行してみたいと思っていた寿福寺の特別公開を狙ってやってきました。
以前、日記で紹介したように、鎌倉の寿福寺は、北条政子による開基のお寺で、まさに源氏のルーツと言っていい禅寺。北条政子や源実朝のお墓もあります。(正確には供養塔)
でもこのお寺、原則非公開なのです。境内や仏殿には入れないのです。電話やFAXの問い合わせも不可能。
だから寿福寺に来るなら、鎌倉随一の美しい意匠といわれている参道の敷石を観るのと、裏山の墓地の北条政子と源実朝のお墓参りをするしかないのです。
まさに秘密のベールにつつまれたお寺なのです。
でも年に2回特別公開をする日があります。それが正月とGWの年2回。
それでGWにやってきたという訳です。
寿福寺は、SNSもやってないし、電話、FAXの取次もNGですから、GWのいつ公開なのかわかりません。ネットでいろいろググってみましたが、まったく見つからず。敢えて、5月の第1週という情報をキャッチしました。
それで、今日5/3に行ってみたのです。
残念ながら、公開されていませんでした。もうがっかり。いつ公開するのか、まったくわからないので、5月の第1週ということなら、今週いっぱいずっと通い続けるしかないのかな、と思ってます。
あまりに不愛想すぎるよ、寿福寺。(笑)
気を取り直して、カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュに行ってみようと思います。
GWの鎌倉小町通りはすごい人、人、人。もうコロナはどこ吹く風ですね。観光面では、もうコロナ前にだいぶ戻ってきましたかね。
カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュは、小町通りから1本入った道通りにあります。
ありました。開店30分前。
ところが・・・
開店間際になると、みるみるうちに行列ができてきて、すごい行列です。
もうびっくりしました。自分の場合、ラーメン屋で行列というのは、よく経験しますが、カフェで行列ができるというのは、もう驚くしかないです。みんな若い客層ですね。おしゃれな鎌倉らしい感じの若いお客さん達です。きっと堀内マスター人気なのでしょうね。
カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュについて、自分も勉強をかねて、調べて紹介してみますね。
鎌倉で昔から愛され続ける超有名コーヒー専門店が「カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ(café vivement dimanche )」。オーナーがこだわり抜いたコーヒー豆を丁寧に自家焙煎して、注文を受けてから挽いて淹れてくれる最高のコーヒー。コーヒー好きなら絶対行くべきカフェだそう。
難しい店名ですが、フランソワ・トリュフォー監督の1983年のフランスの長編映画「Vivement dimanche!(日曜日が待ち遠しい!)」から取られたものだそうです。
オーナーの堀内隆志さんは、数々のメディアに登場し、コーヒーマニアはもちろん音楽好きからも一目置かれるる“カフェ界のカリスマ”。コーヒーや音楽に関する著書も多数発表しています。カリスマが用意したコーヒーの種類はとても豊富。好みを伝えればおススメの豆や飲み方を提案してくれます。
今年で開店28周年。素敵な店内でした。
自分は、コーヒーはそんなにこだわらない人なので、自分から豆を調達して、自分で淹れるというところまでいかないですが、美味しいコーヒーは、やはり一口、口にいれるとその違いがわかります。
松本で、珈琲美学アベのコーヒーはすごく美味しいと思いました。いろいろな種類のコーヒーを飲み比べてみましたが、特に幻のコーヒーと言われるゲイシャ・コーヒーを飲んだときは感動でした。
コーヒーの違いは、口に含んだときの香りや舌の味覚に伝わる気品が違いますね。コーヒーを楽しむなら、砂糖やミルクは入れてはいけないと思います。
どのコーヒーを頼むか迷っていたところ、スタッフが通常のコーヒーメニューの他に、こちらがマスター直々の自家焙煎のコーヒーになります、と紹介してくれましたので、そちらにしました。
コスタリカ ドンマヨ ゲイシャ アナエロビコ ナチュラル。公式オンラインショップでは、2300円もする高級コーヒーでございました。
ワッフルも頼みました。
いやぁ~素晴らしい芳醇で素敵な香り、味わいのある1杯でした。ちょっとフルーティーな甘い感じが確かにしますね。
コーヒーにあまり詳しくない自分でも、そのテイストの違いはすごくよくわかりました。
ワッフルも美味しかったです。
一度来てみたい、と思っていたカフェですので、達成感、満足感たっぷりで充実した感じよかったです。
お勘定のときに、堀内マスターから話しかけていただき、ちょっといろいろお話できました。うれしかったです。ラジオ聴いてます。すごい行列でびっくりしました。いやいつもこんなに混んでない・・・とかとか。思ってた通り、優しそうで、いい人オーラいっぱいの素敵な方で感動しました。
いい想い出になりました。
dimanche web shop (公式オンラインショップ)
祇園精舎の鐘の声 [雑感]
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」
誰しもが聞いたことのあるこの有名なフレーズ。平家物語である。琵琶法師が琵琶をつま弾きながら、こう語り継いできた。
平安時代末期における源氏と平氏の争いを描いた物語。作者は不明。平家物語は琵琶法師の「語り」を 媒体として伝承されてきた。
平家物語、まさに日本人の心に響く名言。
まさに盛者必衰、おごれる人も久しからず、である。
「栄耀栄華を極めたものも長くは続かず、春の夜に見る夢のようなはかないものであり、勢いがある者もやがては滅びてしまうのは、風にたやすく吹き飛ばされる塵のようなものだ。」
・・・という意味である。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。」
「諸行無常」も「盛者必衰」も仏教の言葉で、「諸行無常」とはこの世のすべてのことは常がなく、続かないこと、「盛者必衰」はどんな者も必ず衰えることを言う。
これは仏教の価値観・無常観を表す言葉である。
沙羅双樹とはお釈迦さまが亡くなるとき、沙羅の樹が臥床の四方に二本あったことから、仏のさとりをひらかれた最高の偉人といわれるお釈迦さまでも亡くなるときがくるという「盛者必衰」を表している。
祇園精舎とは「精舎」とは寺のことであるから今日の言葉で言えば「祇園寺」で、お釈迦様がご説法をなされた寺のこと。
この「祇園精舎」の北西の一角に無常堂(無常院)があり、祇園精舎で終末期を迎えた僧たちが、最後のひとときを過ごす場所、今日でいうとホスピスのようなところであった。
臨終を迎えると、建物の四隅に配されていた鐘が鳴ったといわれる。
ネットで調べたら、このような記載であった。
自分も、この「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」はあまりに有名で耳にしたことが多いのでそれになりに知識にあったのであるが、最近、Twitterでかなりバズった話で自分が驚いた話を紹介しよう。
「祇園精舎ってどこ?」平家物語にまつわる観光客からの素朴な質問…
観光客に京都で「祇園精舎ってここから何分くらいかかりますか?」と聞かれたとき、なんと答えるべきだろうか?
学生時代に古典の授業で「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」から始まる「平家物語」の冒頭を暗記した覚えがあるだろうか。その答えをつぶやいた、
「祇園精舎ってここから何分くらいかかりますか?」
「多分半日以上かかります」
「えっ?祇園精舎って、この辺にないんですか」
「インドですね」
「えっ?平家物語の祇園精舎ですよ?」
「インドですね」
そう、祇園精舎はインドだったのだ。
【祇園精舎】
インド北部のネパールと国境を接する地域に栄えた古代インドのコーサラ国にあった寺院で、現在は遺跡が残る。ちなみに本当に鐘があるのかどうか確認したところ、30年以上前、祇園精舎に鐘がないことを残念に思った日本人の有志達が祇園精舎に鐘を贈っていた。現在もその鐘は静かに佇んでいるそうだ。
ツイッターでは、
「え、京都にないんですか」
「京都に住んでた時でさえ「このへんにあったんやろな」って認識だった…」
「祇園にあるお寺だと思われてるのか」
など数多くの反響があり、なかには、「江戸時代の日本人は、カンボジアのアンコールワットのことを祇園精舎と勘違いし、多数の日本人が、祇園精舎と錯覚したままアンコールワットを訪れたそうです」と、さらなるプチネタを投稿する人も。これらの反響から、祇園精舎は京都にあると思い込んでいる人が結構な割合でいることが浮き彫りになった。
・・・だそうである。
観光客が祇園精舎=祇園をイメージして、地元人に聞くことはよくあることなのだろうか?
「知らんかったわ…てっきり祇園社(八坂神社)あたりのどっかのことだと思いこんでた」「祇園さんならあるけど神社」みたいな反応がありましたね。実際に聞いてきた観光客は祇園や八坂神社(祇園さん)に行きたかったのかも。
まさに驚きである。(笑)自分も祇園精舎は、てっきり京都の祇園のことだと思っていました。祇園で神社みたいなところだと、やはり八坂神社ですね。
はっきりイメージしたわけではないけど、なんとなく祇園精舎って、あのあたりという漠然のイメージがありました。
このバズったTwitterをみたとき、にわかに信じられなかった自分は、ネットで、祇園精舎を調べてみました。そうするとWikkipediaに書いてありました。
祇園精舎
祇園精舎(ぎおんしょうじゃ、Jetavana-vihāra)、正式名:祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ、梵語: jetavane ’nāthapiṇḍadasya-ārāme)は、インドのコーサラ国首都シュラーヴァスティー(舎衛城)、現ウッタル・プラデーシュ州シュラーヴァスティー県にあった精舎(vihāra)である。釈迦が説法を行った場所であり、天竺五精舎(釈迦在世にあった5つの寺院)の1つである。
祇園精舎は、釈迦の大口支援者であったスダッタ(アナータピンディカ)によって、釈迦に寄贈された。そのためアナータピンディカ園とも呼ばれた。
現在では、一帯は歴史公園に指定されている。公園内には釈迦が説法を行った場所とされる香堂(ガンダクティ Gandhakuti、釈迦が寝食を行っていたとされる場所)やストゥーパなどが残されている。また園内には、仏教において二番目に尊いとされる菩提樹、「阿難菩提樹」がある。北インドの仏教徒にとって、祇園精舎は聖地の1つとして重要な位置を占めているが、その中でもガンダクティが最も重要とされる。
写真付きである。(笑)
ここが現在の祇園精舎である。
祇園精舎はインドにあったのである!
「平家物語」の冒頭に詠われているところから、特に日本ではよく知られているこの祇園精舎。
実際の祇園精舎には鐘は無かったが、1981年に日本の「日本国祇園精舎の鐘の会」が梵鐘と鐘楼を寄贈した。なお、梵鐘は中国起源で日本に伝わったもので、元来インドには無かったものである。
祇園精舎といえば、徳川家伝来「祇園精舎図」もある。
江戸幕府三代将軍・徳川家光は、長崎のオランダ語の通訳・島野兼了に仏教の聖地「祇園精舎」の視察を命じている。その頃、カンボジアのプノンペンの日本人町の人達は、アンコール・ワットが祇園精舎であると誤認していた為、その誤った情報が日本にも伝えられ、大勢の日本人が祇園精舎の参詣としてアンコール・ワットへ出かけていた。
島野兼了もその誤った情報により、そこが天竺(インド)の「祇園精舎」であると思い込んだままアンコール・ワットを視察し、一枚の「見取図」を作成した。
祇園精舎については、日本人はそそっかしいというか、誤解の歴史だったんですね。さらには、本物の祇園精舎に鐘がないことを残念に思い、そのまま鐘を贈ってしまうとは。(笑)
日本人っておかしいですね。いままで信じていたことが真実でないことを素直に受け入れられないんですね。
まっ自分も含めてですが・・・
まさにこれはトリビアといっていいですね。
この歳になって初めて知る真実に驚きました。