SSブログ

ラウンドアバウトとスピードハンプ [街歩き]

ロンドン郊外を運転して驚いたのは、ラウンドアバウトである。日本語でいうなら環状交差点である。


ラウンドアバウト-5.jpg


20181217_roundabout_001.jpg


これは衝撃であった。日本ではもちろん見たことがなく、また自動車教習所でも教習項目に入っていない。海外に来て、ロンドン郊外に来て、初めて見たし、初めて体験したのである。


ラウンドアバウト-3.jpg



交差点なのに、日本のように、交差点が十字架の形状で四隅に交差点信号機がなく、円環状を走っている車を優先させて、その隙を狙って、自分の車も入り込んでいくのである。そして自分の好きなところで出ていくという感じである。もちろん後続車のためにどちら側に曲がっていくかは、円環状に入るときと出るときは、かならずその方向にウィンカーを出す。



これは面白いな~と思いました。信号機に左右される日本の交差点に比べると、もうドライバーの感覚でどんどんすり抜けていく感覚があって、面白い。意外や信号機の交差点と比べるとこちらのほうが事故少ないんじゃないか、と思いますね。


自分はもちろん日本で国際運転免許を取得していきましたが、現地でも自動車運転講習を受けさせられました。それは学科試験はなく、実技運転のみで、それも実際の街の路上を運転するという訓練です。もちろん教官はイギリス人です。


そのときに自分は、初めてこのラウンドアバウトの存在を知ったのです。

まさに衝撃でした。



このラウンドアバウトはイギリスが発祥のようだが、ヨーロッパの大陸のほうにもあるようです。一番大きい有名なラウンドアバウトは、パリの凱旋門のところですね。


AdobeStock_250118376-600x412.jpg



あそこそ最大のラウンドアバウトです。

あそこは怖いんだよね~~~。凱旋門周遊上の車が、もうびゅんびゅんすごいスピードで回っているので、その中に入り込むのはなかなか大変なのです。円環状を運転しているときもすごい怖いです。


ラウンドアバウトはイギリス発祥だが、フランスには1990年代後半の時点で約15,000箇所のラウンドアバウトが設置されるまでになったし、アメリカでも、諸外国での成功例からラウンドアバウトが見直されるようになり、1990年にネバダ州でアメリカで初めての現代的ラウンドアバウトが建設された。


以来欧米ではラウンドアバウトはメジャーな交差点となっていった。


日本には2013年に長野県飯田市の東和町交差点で信号機が撤去され、はじめてラウンドアバウト導入されている。以来、北海道とか、東京、大阪とかいろいろ見かけるようになった。日本はつい最近ですね。どうりで、と思いました。


でも当時の自分が住んでいた時代では、やっぱりラウンドアバウトというのは、イギリス発祥でイギリスのみの交差点、ルールだった。ヨーロッパ大陸やアメリカではまだまだだった。ヨーロッパ大陸を車で運転していても、あまり見かけなかった。


Basingstokeには、このラウンドアバウトが非常に多く、自分は初めてのカルチャーショックを受けたのである。



自分は、このBasingstoke Hatch Warren地区の住宅街でひとつのイギリスらしいというか、面白いものを発見した。当然車が移動手段ですから、気づかざるを得ないのである。


日本には道路にこういう仕掛けを見たことはないです。

ヨーロッパの大陸でも見たことないですね。


これはイギリスだけなのか、確信は持てないです。

かならず住宅街のところにある仕掛けなのだが、道路にこういう車道に対してその進行方向に対してこういう突起物が敷いてあるのである。


1280px-Ležeći_policajac_016.jpg


自分の記憶にある突起物の写真はネットにはなかったのだが、代替えでこの写真を選びましたが、実際自分が体験したのは、もっと灰色で三角錐上で尖っている突起物です。それの棒状のものが道路の進行方向にこのような状態で置かれているのである。


住宅街にはかならずありました。


これは運転しながら理解できたのですが、おそらくスピード落とせ、徐行運転させるための仕掛けなんですね。ふつうのスピードでこの突起物を乗り越えようとすると、もうガタンとすごい車に衝撃が与えてしまいます。それを避けるには、この突起物を乗り越えようとするときに徐行せざるを得ないんですね。


住宅街は閑静なところですから、安全のために、こういう徐行させるための突起物が道路に敷いてあるんだな、と当時は理解しました。なんかヨーロッパらしい面白い仕掛けだな、と思いました。


調べてみると、スピードハンプ、減速ロードハンプ、道路減速帯という正式名称なんですね。


いまは日本にもあるようです。


海外では車がないとなかなか生活が大変で、車での移動が原則になる。道路事情は、基本世界共通とはいえ、やはりそこで遭遇する海外ならではのルールや道路事情があることは確かで、ずいぶん困惑したものである。








nice!(0)  コメント(0) 

懐かしい郷愁漂う青春の街 前編 [街歩き]

先日、なにげなく、まったく期待もせず、昔、ロンドン郊外に住んでいた街のことをFacebookで検索してみたら、思いも寄らず、いろいろなコミュニティが存在し、しかもたくさんの街の景観の写真の数々。


その街の写真を見て、思わず涙が出るほど嬉しいのとあまりに懐かしくて、自分を見失うほど興奮してしまった。もう25年以上も前だろうか。。。全然街の景観が変わっていなくて、すごい郷愁の念。


あ~こんな時代もあったなぁ...海外で生活するという体験をし始めた頃で、そもそも自分は海外でぜひ仕事をしたい、住むなら断然ヨーロッパという欧州に対して並々ならぬ憧れを抱いていた時期で、その願いが叶い、とにかく毎日が楽しくて興奮状態で未知との遭遇の連続。反面いろいろな大きな失敗も数えきれないくらいした。


自分にとって、かなり甘酸っぱい想い出でもある。後年、ヨーロッパにはクラシックという切り口で海外音楽鑑賞旅行としていろいろな国を行脚するようになったがその頃の明るい楽しい想い出とはまたちょっとひと味違った若い頃の甘酸っぱい想い出である。


やっぱり仕事を背負って、働くという環境下では、そういう単純に無邪気な想いにもなれず、つねに重圧というかストレスの中で生きていたように思う。


そして地図を見てみると、その街の周辺にある街の数々。おそらく地図を見なければ、まったく思い出さなかったであろう25年以上もすっかり忘れていた街の数々。あまりに懐かしすぎて涙ポロポロ。全く忘れていた街の景観が、次から次へと鮮明に頭の中に蘇る。25年以上昔のことなのに、その街の景観はじつにくっきり鮮明に覚えている。人間の記憶ってすごいです。


あの当時はデジカメってなかったんですよね。フィルムのカメラだった。自分は当時カメラはやらない人だったので。写真を撮るときは写ルンです、を買っていたぐらい。


写真を撮るという習慣があれば、あの頃の想い出もいっぱい現実の証拠として残っていたかもしれない。本当に勿体ないことをした。


もうすごく懐かしい郷愁の想い、ヨーロッパでの自分の原点。そんな懐かしい街の景観の写真の数々を眺めながら、そんな甘酸っぱい想い出をいろいろ日記で語ってみたいと思った。


ロンドンより車で1時間くらい郊外で、地図でいうならばちょうど左下(南西)あたりの都市、ベイジングストーク(Basingstoke)というところに自分は住んでいた。


Basingstokeの地図.jpg


ベイジングストーク(Basingstoke)は、イングランドのハンプシャー州にあるタウンである。Basingstokeは、いわゆるロンドンの郊外のベッドタウンというような位置づけで、元は古いマーケット・タウンだったらしいのだが、1960年代にロンドンの過剰人口の受け皿として、拡張された街である。


基本ベッドタウンなので、マイカーがないと生活できない街である。バスなどの公共の交通機関ってあったであろうか。記憶にない。鉄道はある。ロンドン行きの鉄道は存在する。自分も現に1回使用したことがある。寒い冬のときで、駐車場に車をとめて、わざわざ電車でロンドンまで行ったことがある。電車を使ってみたかったという理由だけで。寒い冬のときだったので、夜遅く街に戻ってきたら車のエンジンをかけたとき、寒くてなかなかかからなかったことを覚えている。


街は車がないと移動できないようなタウンで、ほとんどが閑静な住宅街というような街である。みんなマイカー族なのである。自分も会社から車を与えられていたので、自分の足はマイカーだった。


Basingstokeは、またIT系の企業のオフィスが集中しているワーカー用のオフィス街、オフィスタウンであるともいえた。自分の会社もそうであるが、他にもCanonとかの日系企業もあったし、そのほかにもイギリスの企業のオフィスが軒並みたくさん集中してあるエリアに固まって建っているのである。


もうそこは企業オフィスエリア。アメリカでいうところのサンノゼのイメージに凄く近い。イギリスのサンノゼ版といっていいタウンだった。


もちろんロンドンのベッドタウンなので、オフィスがロンドンにある人もたくさんいるだろう。なにせ車で1時間くらいだから、車通勤でロンドンに通っている人も大勢いたに違いない。


Basingstokeは原則は、大半が住宅街なのだが、そこに住んでいる人はやはり生活していかないといけないので、もちろんスーパーマーケットもあったし、いわゆる飲食店含めたお店などが並んでいる繁華街エリアもあった。


車で行って、繁華街エリアの入り口にある大型駐車場(本当にバカでかい!)に止めて、そこから徒歩で、繁華街エリアに入っていくのである。


これが自分が今回FBで発見したBasingstokeの街の景観の写真である。繁華街というと正直大袈裟な言いようで、もっと質素で銀行とか、旅行会社とか、床屋とか、少なからずの飲食店など生活必需品、生活していくに必要な最小機能が集まっているエリアといったほうが適切である。こじんまりした規模の街なのである。


懐かしすぎる~~~。(笑)


1_JS219560768jpgare.jpg


0_JS219561024.jpg


Basingstoke-2.jpg


Basingstoke-3.jpg


Basingstoke-6.jpg


Basingstoke-7.jpg


Basingstoke-town-centre-top-of-town1.jpg



これがBasingstokeの街である。

もう全然あの頃と変わってない。

信じられないです。


自分はこの写真を見て、もうかなり心の動揺が激しかった。もう完璧に忘れかけていて、忘却の彼方、甘酸っぱい想い出のまま心の奥深くにしまい込んでいたもの。それがまさかいまになってあの頃の記憶が走馬灯のように頭を過るとは予想もしなかった。


イギリスならロンドンとか、ドイツならベルリン、フランクフルトとか、いわゆる観光都市を旅行してその街の写真を掲載するということはあっても、Basingstokeのようなほとんど誰も知らないような街の景観の写真はとてもレアで貴重だと自分は思います。


このなんのへんてつもない、ただの小さなこの街の景観に思いっきり反応する人なんて自分くらいしかいないでしょう。(笑)


だれも知らない、わからない無名の街だと思います。



Basingstokeのお店というのは、いかにもお店という面構えでなく、あくまでふつうの住宅の中がお店のように改装したような趣が多く、すごいこじんまりとした風情なのである。


出張のときは、会社のオフィスにある旅行課で航空チケット、ホテルを手配しますが、自分のプライベートの旅行のときは、この街エリアのところにある旅行会社でエアー、ホテルを手配するのです。本当にこじんまりとした旅行会社でその予約カウンター内の様子などいまでもはっきり覚えている。



銀行もこの街エリアにあった。イギリスはNational Westminster Bankだったと思います。そこの銀行カードとクレジットカード作りました。その銀行にもよく通いました。


あと、床屋もありましたね。現地人の方にカットしてもらいます。最初は自分はこの街エリアの床屋さんでやってもらっていましたが、その後、ロンドンに日本人がやっている床屋さんを発見して、そこに通うようになりました。


Basingstoke-4.jpg


この銅像はっきり覚えています。

まだあるとは!!!驚きです。


あとは、小さな雑貨屋さんというか、玩具さんとか、文房具屋さんとか、そして電気屋さん、そういう生活最低限に必要な規模のお店しかないんですね。文房具屋さんにはよく行きました。


だからBasingstokeの街での生活というのは、いま考えると、現在の自分の生活環境と比較すると、すごく禁欲的な生活でレジャー要素のお店がほとんどない、生活必需品のみのお店だけしかなく、仕事のことをしか頭にないというか、仕事中心に考える生活だったなーと思います。


自分は当時イギリス人はまじめなんだな~、こんな禁欲的なところで暮らしているんだな~と思っていました。いま考えればそれは浅はかな考えで、じつはみんな家庭を持っていて、家庭料理で、家族といっしょの時間を楽しむというちゃんとした自分の場所、自分の暮らしを持っていたということだけなんだと思います。


イギリス人にとっての唯一の楽しみはパブなんですが、この街エリアには1軒ありましたね。


あとは飲食店です。自分はこのBasingstokeの繁華街エリアでお世話になっていたのは、普段の食事に使う飲食店です。もちろんスーパーマーケットもありましたから、家庭での自炊もありますが、当時あまり料理が得意でなかった自分は、もっぱら外食専門でした。


この繁華街エリアにあった飲食店は、レストランと言えるほど豪勢ではなく、本当に古民家を改装してできた小さな街のレストランという装いです。非常に家庭的な趣で、家族経営のような感じで、家庭料理のイギリス料理メインで食べさせてくれるお店が多かったように思います。


自分は、この街レストランによく入り浸っていたのですが、壁に貼ってあるメニューを書いた板に、〇〇〇Served With〇〇というように、このServed Withという表現に当時すごく感動した記憶があります。


英語圏の現地ではこういう表現をするんだな・・・という感動です。いまではふつうになんともない表現ですが、経験の少なかった当時の自分は、この表記にすごく興奮したものです。


そして中華ですね。中華は、その後、自分の食生活の中心になっていきます。このBasingstokeの街エリアには中華屋さんが1軒ありました。ほどよく経ってから、自分はこの中華屋さんを毎日の食事処にするようになりました。


やっぱり日本人にとって1番美味しかった~、食べた~という満足感が得られて、日本人の味覚に合うのは中華です。日本人なら、外国の料理の中で、毎日食べてもいいと思うのは中華くらいしかないのではないでしょうか。中華はほんとうに偉大でヨーロッパではどこの国にも必ずありました。


Basingstokeの街エリアには、日本料理はなかったです。日本料理を食べたいならロンドンまで行かないとダメだったです。いまほど日本料理もメジャーじゃなかったので、当時は日本料理は非常に珍しく高級料理として扱われていました。



この繁華街エリアにあった中華屋さんは自分の毎日の食事処でした。店内は結構お洒落な装いで、薄暗い照明でした。このお店で自分は、以前日記でも紹介した甘辛スープ(現地語で、Hot & Sour Soup)の存在を知り(いまでいうス―ランタン(酸辛湯)に近い。)、それ以来この甘辛スープの虜になってしまい、ロンドンの中華街でもかかさず頼んでいたし、イギリスの中華レストランではかならず存在していました。


白い小さな容器に入っていて、オレンジ色のトロミのついた甘くてちょっぴり辛いスープなのです。その容器についているレンゲですくって食べるのである。


でも日本の中華レストランでは、ほとんど目にしないメニューなんですよね、この甘辛スープ。それが不思議なのです。


本当に生活していく上で必要最低限の機能、お店しかない街。それがBasingstokeでした。やはりロンドンのベッドタウンなんですね。遊びたいならロンドンまで行くしかなかったです。そしてIT企業のオフィス街でした。だからその会社で働いている方々がその街に住居を持ち、そこに毎日マイカーで通勤して働く。家庭持ちが大半だろうから、スーパーマーケットもあるし、家庭料理中心で家庭を大事にする。基本は閑静な住宅街。。。そんなイメージの街です。



IT企業が集まるオフィス街にある会社オフィスは、そんな街の中でもさらに郊外のほうにあるので、会社へ車で通う道は、もう田舎の草原の中を突っ切る道路という感じである。自分の記憶のイメージとはピッタリ合わないけれど、大体こんなイメージである。


basingstoke-streetview-image-approach.jpg


そうすると当然結構スピードを出して運転している訳だが、夜になるとネズミみたいな小動物がこの道脇からよく飛び出してくるんですよね。とうぜん急にはブレーキをかけれないので、そのままズブっとやってしまう訳です。(笑)他のドライバーもみんな同じ体験をする訳で、もう道路には、この小動物の死骸がゴロゴロ転がっていて、まさに壮絶な地獄図でした。(笑)


自分はこの街のさらにHatch Warrenという区域に住んでいました。いまも大事に保管してあるVOIDされたパスポートには、その頃の現地の住所が書いてあります。自分の住民票には、イギリス・ハンプシャー州から転入、という記録が必ず残ります。


まず、イギリスに渡ったときに、最初はB&B(Bed&Breakfast)みたいな民宿のようなところで過ごすのですが、そこに滞在しながら、自分の住居を決めないといけません。


いまでいう不動産屋さんみたいなところに通って物件探しです。

そのときに、イギリスには、その住居スタイルとして、


デタッチド・ハウス(1戸建て:2階)

セミデタチッド・ハウス(つまり1棟に2住宅は入っている。)

パーパスビルト・フラット (マンションタイプ)

バンガロー(平屋造りで建物の周囲にベランダを持つ)


とか複数のスタイルがあることを知ったのです。

どの住居スタイルがいい?と聞くのです。


いろいろ悩んで、結局デタッチド・ハウス(1戸建て)にしました。日本だと一戸建てとなるとマイホーム購入、借りても大変な家賃と思うかもしれませんが、当時のイギリスではそんなに高くもなかったです。


こと住居に関しては、日本とヨーロッパでは考え方というか相場が違うような気がします。ヨーロッパは人間らしい生活を標準としますから、住居もそれをスタンダードとします。日本のようなうさぎ小屋のような住宅事情、高騰した一戸建てという状況は理解できないのかもしれません。


Basingstokeの中のHatch Warrenという区域は完全な住宅街です。Hatch Warrenで画像検索してみると、自分の記憶の中にある自分の家やその周りの風景とドンピシャという写真はもちろんありませんが、大体こんな感じのイメージのところでした。


b492476a401f79ab512fc72f37dc677258e13b85.jpg


0c459dd6d856f0b200fc271bedd7d9513a92fe93.jpg


5KB1GPJ4OE-ubXjehHU3qg.jpg


https3A2F2Falto-live.s3.amazonaws.com2Fgnv8RYcI8LRCAJycmDb35LZVV-s2FAgxIdzYlMPzK3wBqhY9W7pY3F302FPhoto2F5B35D2FHPM8wh6svEa7WDIDzyJzaQ.jpg


いかにもイギリスのデタッチド・ハウス(1戸建て)ってこんな感じなんですね。家の造りもまさにこんな感じの家です。マイカーは家の前に置きます。日本の一戸建てとはちょっと趣が違います。いかにもイギリスの家という感じです。こんな風情をした住宅が一面に広がっているのです。


イギリス、ロンドンは夏はそれこそ夜の10時くらいまで外は明るく、冬になると午後3時になったらもう外は陽が落ちしてしまい真っ暗になってしまいます。そんな真冬の午後3時~4時頃に、すでに真っ暗な中を、この住宅街の通りを車で走りながら、国が位置する緯度が違うだけで、こんなに感覚が違うんものなんだな~と思ったことを覚えています。



Hatch Warrenにある自分の家は快適でした。外国の家ですから家の中も土足なんですね。(笑)でも自分はイヤだから土禁にして靴を脱いでました。


2階建ての一戸建てで、家具付きでした。やはり借りるときは家具付きの家を借りるのが無難ですね。拘り過ぎて家具まで自前で全部揃えようとしたら、大変な出費になってしまいます。寝室も大小で2部屋。大のほうは洋服ダンスがすごい大きかったです。トイレやお風呂が、1階と2階それぞれにありました。トイレはなぜかよく詰まったのを覚えています。(笑)


車は家の前に止めるのですが、夜中によくロンドンに遊びに出かけていたので、夜中に車で出発することが多く、それを見ていた隣人が、休日に家に訪ねてきて、「Youは、日本人だから働き過ぎだ。夜はちゃんと家でゆったり過ごしていないだとダメだ。日本人は働き過ぎなんだ。」と怒られたこともたびたびあります。(笑)


また隣人とも仲良くさせていただき、よくホームパーティに誘ってくれました。まわりの近所の人が仲良くて、その近所のお仲間みんなを1人の家に集めてやるホームパーティという感じです。たくさんの大皿にいろいろおつまみがあって、それを食べながらお酒も飲みながら団らんするという感じです。イギリスのホームパーティってこんな感じなんだな、と思いました。


基本は近所同士のパーティーなんですね。日本じゃ親しい人同士やりますが、近所同士でやることはほとんどないですよね。(笑)



BasingstokeからLondonへは車で1時間くらいです。

高速のM3で一直線です。


もうBasingstokeは退屈な街なので、若かりし頃で血の気が多く、刺激が欲しかった自分、そしてなによりも学生時代のブリティッシュ・ロック、パンク・ニューウエーブ時代のロンドンに憧れていた世代の人間ですから、とにかく時間があればロンドンに通っていました。できる限りロンドンの空気、街並みにじかに触れていたい。


土日はお休みですので、土日はかならずロンドンに出ていたような記憶があります。


BasingstokeからLondonをM3で車で行くと、ロンドンに出るところがWaterlooになります。ロイヤルフェスティバルホールのある街ですね。ここにかならず出ます。


そこからピカデリーサーカスに出ることが多かったです。ピカデリーサーカスは自分のひとつのブリッジというか分岐点のような街でした。そこからいろいろな街、方面に行って遊んでから、帰るときは、またこのピカデリーサーカスからM3でBasingstokeに帰るみたいな。


いまの自分でいうなら渋谷と同じですね。東横線でいったん渋谷に出て、渋谷を起点にして東京のいろいろなところに出かける。帰るときはまた渋谷から帰るみたいな。。。です。



2016年頃に再訪したときのロンドン・ピカデリーサーカス


25940505_2226754132_109large.jpg



ピカデリーサーカスには、自分の御用達の日本食材専門店があったのです。当時のロンドンにはヤオハンという日本食材のみを扱った巨大スーパーマーケットがありましたが、郊外にあって車とはいえちょっと不便な所にありました。何回か通いましたが、これは遠いや、と思い、それ以来、ピカデリーサーカスに日本食材専門店を見つけて以来、こちらに通うようになりました。なんかビルの地下1階にある小さなお店で、もういま閉業して存在しないんじゃないかな?それだけちっぽけなお店でした。


でもカップラーメンとか、ちょっとした日本の食材はほとんど品揃えしてあり、すごく重宝していた便利なお店でした。


ピカデリーサーカスには、もうひとつあの頃よく通っていたドーナッツ屋さんがあって、夜にロンドンに繰り出したときに、夜遅くによくそこでドリンク、ドーナッツを腹ごしらえでよく食べてました。2016年にロンドンに行ったとき、まだそのお店があったことに大感激。涙が出てきました。


25940505_2226754128_55large.jpg


M3に乗る前に、左側にハロッズを見ながら通っていくという構図はよく記憶に残っています。しかも夜、家に帰るときですから。


FkwfcB3X0AIxXR2.jpg



後編につづく


PS:


当時住んでいていちばんショッキングだったのはサマータイム(夏時間)というヨーロッパ(というか欧米)特有の発想です。ヨーロッパでは夏は、日が長いからその分、1~2時間早めて効率的に時間を使おうというものです。


春頃に1日23時間の日があり、秋頃に1日25時間の日があることになったりします。これは日本にいるときから注意しなきゃと知っていましたが、実際現地で住んでいるときに、難しいと感じるのはそのサマータイムに切り替わる日時なんですよね。3月の第2日曜日にいっせいに1時間進めることになるんですが、そのことにまったく気づかないというかわかんないんですよね。


今日からサマータイム、今日から元の標準時間に戻りましたとか、ふだん気づかない。


自分はこれで何回も失敗したことがあって、サマータイムに突入したとき、大陸のほうに出張するときに、航空チケットに書いてある飛行機の離陸時間を見て、何時に自宅を車で出れば間に合うな、ということを計算する訳です。


ところが途中で今日もうすでにサマータイムに入っているんじゃ?ということに気づいて、ありゃ、やべっ、すでに1時間進んで考えないといけない!飛行機の離陸時間は、1時間前倒しだったんだ!


いかん、もう間に合わない、と思い、慌てて車で飛ばしてヒースロー(LHR)まで駆け込んだことありました。ギリギリ間に合いました。


反対の場合もありました。サマータイムから標準時間に戻ったとき、その切り替わっていることに気づかず、これまた飛行機です。(笑)空港に行ったら、実際のボーディングはまだ1時間後だったということもありました。


日本はサマータイムがなくてよかったと本当に思います。







nice!(0)  コメント(2) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。